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【島根県海士町】寮は暮らしと地域を学ぶ場。大人ではなく生徒がつくる島前研修交流センター

夜10時。

高校生たちが、一階のラウンジに集まり、メンバーの健康状態や一日の気づきを報告する、終礼点呼。その様子を、少し離れたところから見守る、男性が一人。

彼の名は、太田信知さん。ハウスマスターという名のもと、2015年の1月から島根県立隠岐島前高校(以下、島前高校)の島前研修交流センター「三燈」にやって来ました。

太田さん(左)と奥田さん(右)
太田信知さん(左)と奥田麻依子さん(右)

「隠岐島前高校魅力化プロジェクト」(以下、魅力化プロジェクト)の一貫で、外からこの島へやって来る「島留学」をしている生徒たちが住むここは、島前高校に通う生徒たちの暮らしの拠点であり、学びの場。

日々、生徒たちと時間を過ごす太田さんと、地域と学校のつながりの構築に尽力してきた奥田麻依子さんのベストコンビが、日本中から注目を集める新しい教育の場づくりを支えているのです。

学校と地域をつなぐ新しい寮のカタチ

太田信知(以下、太田) 何から話そうか……僕なんかより、この方が僕の上司ですので、うまく説明してくださると思います。

奥田麻依子(以下、奥田) 上司!? いやいや、毎日生徒たちといるのは太田さんですから……。みんなのことも施設がどんな役割を果たしているのかも、一番近くで感じていますよね?

太田 と言っても、僕が初めてこの島に来たのは2014年の9月で、移住したのは11月。ハウスマスターとして「三燈」に住み始めたのは今年(2015年)の1月かな。でもその時はまだ建物の工事が終わっていなくて、水が停まったり電気が点かなかったりして、僕の海士町暮らしは、生徒よりも業者さんとやりとりするところから始まりました(笑)。落ち着いて仕事をできるようになったのは、建物が完成した、今年の3月中旬くらいからです。

── 「ハウスマスター」というのは?

太田 いわゆる寮というと施設や生徒の体調管理をする、寮母さんのような人がいますよね。でもここでは、僕はそういったことはしない。この施設での暮らしにおいて、学校として決まっている基本的な規則はありますが、細かなことはぜんぶ生徒自身で独自のルール寮則をつくって運営しています。僕はそのルール作りのお手伝いをするだけです。

僕は生徒たちの声を拾って繋げることと、朝と夜の点呼をきちんとやっているか確認するだけ。だから寮母さんではなく、ハウスマスターと呼ばれています。

夜の点呼のようす。全員の健康状態を室長がチェックし、報告する
夜の点呼のようす。全員の健康状態を室長がチェックし、報告する

── 奥田さんはふだんはどういった活動を?

奥田 高校で地域のことを学ぶ授業のカリキュラムを考えたり、地域活動を行う部活の内容を先生たちと相談したりしています。海士町に限らず、生徒にとっては島前地域(西ノ島町・海士町・知夫村の三町村からなる)が学びの場なんです。

太田 「三燈」のコンセプトは「みんなでつくる島家、いつでも還れる島家」。「みんなで」のなかには、生徒はもちろん卒業生や地域の人たち、島外から来る講師の方々も含まれていて、宿泊されることもあります。講演以外のざっくばらんな話も聞ける貴重な体験ですし、もっとここをオープンなところにしたいという思いがあります。

奥田 暮らしを学ぶ拠点として、この「三燈」があるイメージです。地元の漁師さんと一緒に漁に連れて行ってもらったり、お話を伺いたい方のところに突撃訪問したりすることもあります。

太田 生徒たちはむっちゃ楽しそうなんです。外へ行けば、地域の人たちも生徒となかなか触れ合えないから、かまってくださるし、本土にはない文化や生き方などを教えてくださるので、知り合うきっかけにもなるし、自然と地域への愛着も芽生えますよね。

寮内の共用のキッチン。
施設内の共用のキッチン

奥田 島留学を始めて入学希望者が増えたことで、新たな施設が必要だという話があがったとき、より学びの多い空間にしたいなと思って、コンセプトから考え直しました。構想自体は5年以上前からありましたが、なかなか実行できなくて。

太田 全国的に見て、寮教育を実践しているところは本当に少ないですよね。大学側も、まずはハード面をつくるところから始めている段階で、そのあとソフト面を整えるというスピード感でやっているところが多いと思うので、寮でどんな過ごし方をしてもらうかまで、考えられていないんじゃないかな。

奥田 寮は、島に移住した生徒たちが、学校の次に長く時間を過ごす場所です。だから単なる生活のための場ではなく、地域とつながれる拠点にしたいと思ったんです。

寮内の共同スペース
勉強やおしゃべりができる共同スペース

── 新しい施設になって変わったことは?

奥田 以前は、規則どおりに決められたままを過ごすのが大事で、先生たちがそれを指導しているという雰囲気でした。

でも今は、生徒たち自身がどうありたいかを考えて、主体的に動くように変わりました。これも太田さんのおかげですけどねっ?

太田 まあ、僕の仕事は1日3秒だと思ってやっていますけどね……って言ったら怒られるかな(笑)。

でも、この仕事って何かをしなくちゃいけないということはないし、マニュアルがあるわけでもない。形にもなりにくい。見て分かることといえば、点呼くらい。生徒がみんなの健康管理をやっていて、それを取りまとめているかどうかを確認するのが僕の仕事です。それが1回3秒として一日3回、一週間に換算して63秒働けば、僕の仕事は終わりです。それでも毎日寝不足なこともあるから「なんで!?」って思いますけどね(笑)。

まあ、生徒たちが何かを新しく始めたいと声を上げたら、彼らが中心になって企画を運営できるように僕は全力でサポートするだけです。

奥田さんと太田さん

奥田 この前、この施設の目の前の広場でバーベキューをやりました。島内には「島親さん」という方たちがいるんですが、島留学で来た子と地域をつなぐための島での家族替わりのような存在なんです。

その島親さんたちをお招きしたんですが、このイベントも生徒たちがやりたいって言い始めたんです。昔は、生徒が言いだしっぺでも大人がぜんぶ準備をしていました。でも今回は、ホストとして彼らがもてなして作り上げることができて。学校の授業や部活で忙しく、なかなか地域の人たちと交流する機会がない生徒も多いので、こういう場を自分たちで設けられたのは、彼らにとっても良い経験だったと思います。

「三燈」を支えるコンビの成り立ち

── ところで、太田さんと奥田さんが海士町に移住したきっかけは?

太田 この人(奥田さんを指差して)に、人さらいにあったんです(笑)。

奥田 逃してはいけない! と思って。

というのも、島前研修交流センター「三燈」のコンセプトに共感して実践してくれそうな常駐スタッフがなかなか見つからなかったとき、タイミング良く太田さんがふらっと海士町に遊びに来たんです。共通の知人から、太田さんを紹介してもらったとき「この人しかいない!」と思いました。

奥田さんと太田さん

太田 9月に会って、11月には海士町に移住しましたからね。

── そこまで太田さんが適任だと確信を得た理由は?

奥田 学校と地域をつないで、島全体を学びの場にしたいという意図を理解してくれたということと、あとは人への絶大すぎるほどの信頼度の高さですね。生徒たちのことを心底信用しているんです。だから、自分は何もしないとか言っていましたけど、信頼されていると感じるから生徒たちは安心して太田さんにいろんなことを相談できるし、やりたいことにチャレンジできるんだと思います。

太田 もともと東京でシェアハウスを運営していて、ご縁があってふらっと海士町に来た観光客でしたから、Tシャツと短パンで奥田さんにお会いしました。あれからまさかこんなことになるとは(笑)。

奥田さんと太田さん

奥田 太田さんは移住する前に一旦東京に戻っていたので、私が東京出張の時は何度か都内で会って、どういう寮にするのがいいか話し合いました。あとは、いかに彼を自由にさせるかということに頭を使っています(笑)。全然ブレーキかけていないでしょ?

太田 うん。でも、最初の数日はずっと怒られる夢ばっかり見ました。

奥田 どうしてよ! 全然怒ったことないのにー!(笑)

── 奥田さんはいつから海士町へ?

奥田 2012年の4月です。それまでITの会社で働いていましたが、ずっと地域と学校をつなぐということをやりたくて。このプロジェクトのコンセプトの土台は立ち上げメンバーのみなさんが考えていて、そのアイディアに共感して海士町に来ました。暮らしの拠点を、いかに学びの場にできるかという点でいうと、まだまだこれからというところです。

より多文化協働を体感できる場へ

奥田 ひとつ、近いうち実現できそうなのは海外からの留学生を施設に受け入れることですね。多文化協働は、島前高校自体も魅力化プロジェクトでも大切にしていることです。

日本各地から来ている子と島出身の子が混ざるだけでも多文化に触れられるんですけど、そこへ海外の要素が入ると、よりいいかなって。

奥田さんと太田さん

太田 あとは、全国の中学高校の寮との交流をもっと活発にしたいですね。夏休みなどのタイミングで寮生の交換生活を行ったり、Skypeで情報共有をしあったり、共同でイベントを企画したりもできそう。

奥田 チェルシーハウスというNPOといっしょに、教育寮推進ネットワークを立ち上げようという話もあります。

寝泊りするだけでは体験できない、地元での暮らしを地域の方の協力を得ながら学ぶことができるのは島前という地域の強みだと思います。学びの質を高めて、より豊かにするためにも、地域や島の外とのネットワークづくりをがんばらないと。寮内の生徒たちは太田さんに任せていれば、大丈夫ですから。

太田 上司からのプレッシャーを感じます。精進します。

奥田 ぜんぜん感じていないでしょ!(笑)

島前高校男子寮
島前研修交流センター「三燈」

お話をうかがった人

太田 信知(おおた まこと)
島前高校魅力化プロジェクト/ハウスマスター。1985年、福岡県京都郡生まれ。理系・文系・宗教系の大学に通い、お坊さんの資格を取得。人生修行として東京でサラリーマンを経験後、東大・慶応等の大学生や社会人と共に住みながら、就活支援のシェアハウスを運営する。ご縁があってH26年11月に海士町に移住。「教師」ではなく「育師」という教育哲学を持ちながら、全国から集まった高校生と共に島前研修交流センターで自治組織作りに取り組む。将来は実家のお寺を継ぐ予定。/p>

奥田 麻依子(おくだ まいこ)
島前高校魅力化プロジェクト/魅力化コーディネーター。1986年、岡山県倉敷市生まれ。京都での大学生活を経て、東京のIT関連企業に就職。子ども達が多様な大人と関わりながら育つ環境を作っていきたいと思っていた矢先、「隠岐島前高校魅力化プロジェクト」に出会い、2012年に移住。島前高校を起点に、地元三町村(西ノ島町、海士町、知夫村)、学校、地域住民と連携しながらグローカルな教育に挑戦している。高校では、先生方と共に地域の課題解決に実際に取り組むプロジェクト学習や、国内外の専門家との対話を重視したキャリア教育を推進している。

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立花実咲

1991年生まれ、静岡県出身の編集者。生もの&手づくりのもの好き。パフォーミングアーツの世界と日常をつなぎたい。北海道下川町で宿「andgram」をはじめました。→ さらに詳しく見る

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