語るを聞く

【島根県海士町】この島がこの島であり続けていくために - 観光協会 青山敦士 -

島根県海士町にIターン者として移住して9年目を迎えた、青山敦士(あおやま あつし)さん(以下、青山)。学生時代に初めて海士町を訪れた初日の夜、島民同士が涙を流しながら島の未来を語る姿を目にしたのが海士町との出会いでした。今では、同じくこの島にIターン者として移り住んできた大分県出身の奥様と、あたたかい家庭を築いています。
観光協会の職員として日々業務に励む青山さんは、「地域の問題は結婚に似ているかもしれませんね」と笑います。
この記事は、青山さんから徳島県神山町出身の広岡さんに向けた手紙であると共に、地域の未来を見る人としての青山さんの想いの丈を語っていただいたものです。

■参考:【徳島県神山町】メディアの神山町が全てじゃない―移住者と地元民の間の私― 

島外の人を受け入れる気質を持つ、海士町

青山敦士

海士町を訪れた旅人が本土に帰る時、僕らは「どうでしたか?」と聞くようにしています。様々な感想をいただきますが、「中学生が挨拶してくれて、びっくりした」と言われることは多いですね。確かに海士町では、Iターン者もUターン者も関係なく、地元の人、島留学で島に来た高校生、そしてもちろん旅人も普通に挨拶を交わします。道を歩いていると誰かが気付いて、車に乗せてくれたりもしますしね。それらは確かに海士町のいいところです。

それらがなぜ起こるのかと問われた場合、僕らは「小さな島ですからね」と答えがちです。けれど、この島がかつて後鳥羽上皇が配流された土地であること、江戸時代に北前船の中継地点として発展してきたことなどから、島外の人を受け入れる基盤があった場所ということも関係しているとは思います。

そういった気質がずっと昔から育まれてきた海士町という島だからこそ、この10年間で400名超の人がIターン先としてこの島を選び、住み、暮らし、そして結婚して子供を育てたりしているのかもしれません。

……この外部の人を受け入れる気質が云々という話は、お遍路さんを受け入れてきた徳島県神山町と似通うところがあるかもしれないなぁと話しながら思ったりもしています(笑)。

徳島県神山町が抱える問題は、どの地域も抱える悩み

【徳島県神山町】メディアの神山町が全てじゃない―移住者と地元民の間の私―」という記事の中で、広岡さんという女性は「神山町は広く、メディアに出ていない部分があり、今この町にはレイヤーが多いんだ」という話をされていました。

広岡早紀子さん
徳島県神山町に住む広岡早紀子さん(中央)

僕はこの記事を読んで、率直に嬉しかったです。僕は実は記事を読むまで、神山町の存在はもちろん知っていましたが、実際に自分が足を運んで町を見てみようとまで思ったことはなかったんです。でも、こういった葛藤や悩みがあって、それに向きあおうとする地域なのであれば、神山町を訪れてみたいと思いましたね。

こういうのって、声にならない声じゃないですか。未来を目指す地域、いや、これからの地域には絶対についてまわる問題で、ある意味普通のことなのに、なかなか表には出てこない。こういった声を出すのは、リスクも勇気も必要だけれど、いいことだなと思って読んでいました。「灯台もと暮らし」の記事だとは知らなかったんですけど(笑)。

いくら時が経っても、徳島県神山町が今直面している課題はきっとなくならないのだと思います。海士町出身の地元の方も、きっと少なからず外から来た人に対する戸惑いや、ある種の不安を抱いていると思いますよ。今もそうだし、ずっとね。

僕だってその対象外ではありません。僕は今年で海士町にIターンして9年目を迎えますが、僕はこの島ではよそ者なのだと思って生きるようにしています。10年経っても20年経っても、僕はずっとよそ者です。よそ者としての礼儀や努力、立ち位置みたいなものは無くしたくないんです。それが僕なりのこの島、そしてこの島で生まれ育った方への敬意の示し方だと思っています。

一方で、僕はこの島で結婚をして二児の父親にもなりましたので、父親としてはまた別の話になりますけれどね。子供たちにとってはこの島がふるさとになるわけですから、ふるさとに遠慮する父親なんて要らないですよ。でも、いちIターン者としては、とにかくずっとよそ者として敬意を持っていたいと思っています。

地域と課題、そして恋愛と結婚の共通点

ここで言いたいことは、Iターン者とUターン者も、地域の未来を考える上では関係ないということです。もう少し丁寧に言えば、お互いの立場を活かして、仲間としてチームを組んで、一緒の未来を見るという目的を共有していれば、文句を言い合っている暇はないということです。

青山敦士さん

個人的には、Iターン者とUターン者、そして地元の人の関係性の話は、結婚に近いかなと思っていて。恋愛だったら「かわいいな」「素敵だな」で終わるけれど、結婚となると、どういった家庭や関係を相手と築いていきたいのかなど、少し話が変わってきます。結婚におけるパートナーは、共に未来を目指す仲間であり、戦友であり、そしてチームメイトです。このことは、地域でも同じだと思います。地域で生きていくことは、本質的には恋愛より結婚に近いのだろうと。

……いや、これは感覚ですよ。でも、大切なのは、相手がどうなのではなくて、自分がどうなのか。一人前として立っていられているのかどうか。本当にこの島で生きていくんだと覚悟を決めたら、こいつのこんなところが気に食わないとか嫌だとか、そんなことは言っていられない。

少し厳しいことを言えば、相手を気にする余裕があるということは、その状況を楽しめるだけの余裕があるということだと思います。けれど今、地域にはそんな余裕がない。海士町も、移住の成功例としてメディアに取り上げられることが増えてありがたい限りですが、島で暮らしている人の根底にあるのは危機感です。この島がなくなってしまうかもしれないという危機感

島根県海士町

観光協会が目的としている「島の繁盛」の最終的な目標は、この島がこの島であり続けることです。その担い手はIターン者だのUターン者だの言っていられない。ずっと昔から続いてきた海士町という島が、いつまでも海士町として続いていく、そしてそこに人の営みがあることが絶対的な目標です。

地元の人だけでそれを達成することが現実として難しいなら、別の手段を考えればいい。事実、この島の水産業を支える定置網漁の漁師さんの9割は、現在Iターン者が担っています。島の外から来た人がいなければ、今日食べている魚は、とうの昔に食べられなくなっていたかもしれません。

役割を果たせるか、一人前かどうかを考えよう

一人ひとりがそれぞれ、自分の役割をまっとうできるかどうか。頼れる時に頼れる人であれば、多少気が合わない側面があったとしても、島の未来を考える上では腕をがっちり組んでやっていきたいと僕であれば思います。Iターン者が集って創立した企業の株式会社巡の環は、それをすごく上手にされている事例だと思います。

海士町ではなく、東京を拠点として活動しているメンバーもいるけれど、離れている方がむしろ海士町のことを思う気持ちは強かったりして、場所や立ち位置みたいなものが関係なくチームが組めている。結局、目的意識やゴールの共有、どこを目指したいのかが大事だなと思いたいですよね。

青山敦士

もうひとつ例を挙げるとすれば、海士町観光協会にはスリランカ人のサミーラという男性がいます。文化や言語の違いは、もちろん重要な違いですし乗り越えるべき壁だとは思いますが、違うものは違うんだから、それぞれの立ち位置を活かした広い意味でのチームを組めばいいんです。彼には彼にしかできないことがあります。外国人にしかできないこと、外国人だからこそ説得力を持つ意見の言い方。彼がそういったところで力を発揮するなら、対する僕は日本人としてできることを全力でやる。

何度も繰り返して言いますが、肝心なのは目的を共有しているかどうか。チームだったら、多少喧嘩をしてでも言わなきゃいけないことはあります。大切なのは、島で生きる一人ひとりが未来を考えているということです。

もちろん、海士町にも課題はある

ただ、今の海士町が島民全員で同じ目的を共有できているのかどうかと聞かれると、それは少し答えに困るかもしれません。きっと、明確なゴールの共有というのは、この島もまだできていない。それは海士町が抱える課題のひとつです。

でも、僕は「明確なゴールを決めよう!」と声を挙げて、実際に行動している仲間がこの島にいることをとても頼もしく思っているし、まだまだ足りていないけれど、少しずつ「プレイヤー」が増えていることが嬉しいと思っています。

■参考:【島根県海士町】移住希望の若者よ「プレイヤーを目指せ。もうプランは十分だ」

今の地域に足りないのは、プレイヤーの数や地域で暮らす人々の「この土地が最高なんだ」という熱意や、メッセージだと思っています。相手がどうじゃなくて、自分がどうなのか。そして、綺麗事を言わないこと。自分の役割に自覚的で、その役割をきちんと果たせているかどうかが大切なんです。

海士町

この島がこの島であり続けるために、僕たちは危機感を持って、毎日真剣に、そして心から楽しんで仕事をしています。一緒に頑張っていきましょう。いつか、自分たちが暮らしている地域が心から誇らしい場所だと胸を張って言えるように、そういう気持ちで神山町の広岡さんに会えるように、僕も毎日、この島で頑張ります。

お話を伺った人

青山 敦士(あおやま あつし)
1983年、北海道北広島市生まれ。札幌で野球一筋で育つ。大学進学で上京。途上国支援の活動を共にしていた先輩から海士町のことを聞き、新卒で海士町へ移住。海士町観光協会の職員として「海士の島旅」のブランディングに取り組み、地方の在り方を問う「島会議」の企画・運営を担当。2013年には観光協会の子会社となる㈱島ファクトリーを立ち上げ、旅行業・島のリネンサプライ業を運営。妻と子供2人。

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伊佐 知美

旅するエッセイスト、フォトグラファー。1986年生まれ、新潟県出身。世界中を旅しながら取材・執筆・撮影をしています。→ さらに詳しく見る

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