島の北部に位置する、明屋海岸を望める小高い山に「隠岐潮風ファーム」(以下、潮風ファーム)はあります。
海士町の地形を活かして放牧され、のびのび暮らす牛たちは、道路を車で走っているとところどころで草を食(は)んでいます。
こうした牧歌的な風景の裏には、潮風ファームの立ち上げメンバーの一人である竹谷透さんたちの、地道な努力がありました。
こだわりは、島生まれ島育ちであること
── 「隠岐牛」たちが、島でどんなふうな人たちに育てられているのかを教えていただければと思います。よろしくお願いいたします。
竹谷透(以下、竹谷) はい、お願いします。まずは、潮風ファームの設立からお話しますね。
潮風ファームは、平成16年の1月に設立された会社で、もともと建設業を営んでいた会社の新規事業として、新しく立ち上がりました。僕はその初期メンバー。潮風ファームの特徴は、未経産のメス牛の肥育を中心に子牛の生産から肥育までの一貫経営をしている点です。
また、僕たちが気をつけているのは人に優しく、牛に優しく接すること。怪我や病気の早期発見・治療ができるよう、観察をていねいに行い、牛にストレスを与えないことと傷つけないよう心がけています。
現在、ここで飼育しているのは、ぜんぶで620頭の牛で、450頭が肥育のメス牛、繁殖用のメス牛は120頭、子牛はオスとメス合わせて50頭という内訳です。
── 肥育というのは?
竹谷 肉牛として育てることを、肥育といいます。潮風ファームは、会社設立後に平成18年3月に初めて3頭の牛を出荷しました。隠岐牛という牛が、世の中に誕生した瞬間です。
── 潮風ファームさんが、隠岐牛ブランドを創ったのですね。
竹谷 ということになりますね。それ以降は毎月、東京の食肉市場に出荷するのですが、安定的に一定数を出荷するのはとても難しいことです。それでも、僕たちは1ヶ月に2回出荷できるように、がんばっています。今年はすでに180頭を出荷しましたね。
── すごいですね。隠岐牛を育てるうえでのこだわりを教えてください。
竹谷 島生まれ、島育ちであることです。ここで育った牛たちは、島の急勾配を活かした丘で育っているから、足腰が強いんです。足腰が強いということは太って肉がたくさんついても、それに耐えられるだけの筋力がつくということ。
それから、潮風を受けたミネラル豊富な餌を食べて育つのも、良質な牛が育つ理由かと思います。
竹谷 ……ただ、厳密に言うと、今ここにいる牛たちは、隠岐牛ではないんです。隠岐牛の親たちがいる、と言ったほうがいいかな。
── どういうことでしょうか?
竹谷 牛たちは、大体生後30ヶ月、つまり産まれてから約2年半をめどに、東京へ出荷されます。「隠岐牛」と名乗れる牛は3つの条件をクリアしている必要があるんです。
- 隠岐諸島で生まれ育った未経産のメス牛であること
- 日本食肉格付け協会で肉質等級が4等級以上の格付けを受けたもの
- 隠岐出荷証明書が発行されていること
隠岐にいる牛は、みんな隠岐牛かと言われると間違いではないんですが、条件を1つでも満たしていなければ「隠岐牛」になれない、隠岐出身の牛になるということです。
── 隠岐から来た牛が、すべて隠岐牛とは呼べないんですね。
竹谷 そうです。未経産の牛しか出荷されていませんから、島に残って放牧されているメス牛たちは「隠岐牛の親たち」ということになるんです。
── ちなみに、もしオス牛が産まれた場合はどうするのでしょうか?
竹谷 隠岐島内で、年に3回子牛の卸市場が開かれますので、そこに出すんです。
巡り会った命だから最高級の肉として出してあげたい
竹谷 牛舎に行きましょうか、実際に牛を見ながらのほうが、分かることもあるかと思いますので。
── はい、ぜひお願いいたします!
(一同、牛舎へ)
竹谷 ここは、牛一頭につき個室を用意した、一頭管理をおこなっている牛舎です。ほかの農場では、こうした方法で管理しているところは多くないと思います。
牛が育つまでの流れを話すと、子牛は産まれてしばらくは親牛といっしょに丘へ放牧されます。ですが、離乳を期に、まず群れで囲われた牛舎へ入ります。その後、成長してきたら一頭管理の牛舎へ移る、という流れです。
だから、子牛が親といっしょにいられるのはたった4ヶ月。わずかな時間だけでも親牛といっしょに自由に行動してほしいなって思っています。
竹谷 子牛の頃、紐で縛ったり殴ったりすると怖がってぜんぜん言うことを聞いてくれないんです。けれど僕らは、さきほども言ったように、僕らは絶対に牛を傷つけたり痛めつけたりしません。なるべく牛にストレスがかからないように、育てています。
── 島の地形を活かした飼育方法や、モットーを徹底することが本物の「隠岐牛」を育てる理由なのですね。
竹谷 もちろん、それだけではどうにもならないこともあります。牛には血統がありますから、種付けをするときも組み合わせをよく吟味しなければなりません。
でも、今まで建設業という別畑にいて、牛とはまったく関わってこなかった僕としては、自分なりに研究して、実践した育て方で出荷された牛が、5等級の隠岐牛として認められるとうれしいですね。
── 竹谷さんご自身は海士町なのですよね。ずっと海士町で暮らしているんですか?
竹谷 大学に行くために、4年間だけ海士を離れました。けど、仕事を辞めてすぐこっちに戻ってきましたね。
── 昔と今の町の変化に、何か思うところはありますか?
竹谷 うーん、海士にいると分からないかな。ただ、良くも悪くも知らない人が増えたなあって思うことはあります。でも、町が活気づくことは良いことですし、若い人が少しずつでも増えたらとは思いますよ。
── 海士町にとって隠岐牛はどんな価値があると思いますか?
竹谷 隠岐牛を、島の誇りにしたいんです。肉が好きな人には「ああ、あそこの隠岐牛は美味いよなあ」って言ってもらえるように。海士町の話に、自然に隠岐牛の話題が出るようになったら、カッコいいよなって。
もちろん、今だって精一杯でやって、いいと思って出していますよ。それは他の従業員にもよく言うんです、「本気でやっているか」って。牛は言葉を喋れませんからね。それでも、牛をどう扱えばいいか分からないという子には「自分に置き換えて考えてみな」と伝えます。
「もしお前が牛舎の中にいて具合が悪かったとき、管理している人がそれを見て見ぬふりしたらどう思う?」って。ちょっとしたことでも「気づく」、そして「動く」、気づいたことを「しゃべる」。この3つの行為を徹底することが大事なんです。
── 命を扱う仕事ですからね……。
竹谷 よく、出荷するときどんな気持ちなんですかって聞かれるんです。何回もやれば、だんだん慣れはします。でも、かわいいやつはかわいいんです、名前を呼んだら近づいて来たり、背中に乗せてくれたり。寂しい気持ちはありますよ。
言ってしまえば、生まれてから2年半で死刑台に連れて行くわけで。人間が、一番怖いですよね、自分たちが生きるための食料を育てているんですから。
竹谷 でも、巡り会った命だからこそ、いい肉になってもらいたい。自分たちの目標も、良質な肉を安定して出荷することだし、最後まで良い牛として育て上げて出してやりたいという考えでやっています。
だから、僕らは最期まで見届けます。島から自分の手でトラックに乗せて、自分たちで東京まで運転して肉が販売される食肉市場へ連れて行きます。そして競りにかけられて、格付けを受けるところまで、育てたスタッフが着いて行くんです。牛への敬意はもちろん、より良い隠岐牛を育てられるよう、市場で他の業者さんの話を聞いて参考にしたり、ほかの牛の質を見たりするためでもあります。
── 腹をくくっていらっしゃるの、かっこいいです。
竹谷 まあ、生涯勉強ですね、毎月、牛肉の購買者さんから実力テストを受けているような感覚で。
会社のスタッフも若いので、勉強しながらなんですが、最低でも「隠岐牛」を安定して出すことを目指して、がんばっている最中です。
お話をうかがった人
竹谷 透(たけだに とおる)
昭和53年5月1日生まれ。島生まれ島育ち、Uターン。高校まで隠岐で過ごし、大学で九州へ。その後飯古(はんこ)建設の生コン部へ。2006年2月より出向という形で有限会社隠岐潮風ファームへ。これからもいいモノを安定して出す(最低でも隠岐牛)を目標にがんばっていきます。
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