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【島根県海士町】島宿「但馬屋」から学ぶ循環する島暮らし

島根県海士町に、「島宿 但馬屋(たじまや)」という宿屋があります。畳屋を本業としていましたが、お客様の声に応える形で船渡し、宿泊業、漁業、農業、養鶏と生業を増やし、自給自足の暮らしを体現してきた宇野さん一家。

いつまでも海士町に滞在したいと思わせる居心地のよさ、人を引きつける魅力の理由が知りたくて、女将である宇野貴恵(うの よしえ)さんに日々の暮らしと宿への想いについて聞きました。

宇野さん一家の暮らしの延長線上にある、島宿 但馬屋

但馬屋

── 但馬屋さんが取り組んでいることについて教えてください。

宇野貴恵(以下、宇野) 宿泊業は年中ずっとやっています。冬は閑散期に入るんですが、ここ2〜3年間は干しなまこ業を生業として続けています。兼業というか、違う仕事を並行してやらないとだめですね。普通に暮らしていく分にはいいのかもしれないんですが、子どもを学校にあげることだとかを考えると、閑散期だからといって休めばいいというわけじゃない。閑散期は閑散期で仕事をしないとねぇ。

もともとが畳屋なので、畳、あとはさざえやあわびなどの水産業、小売業で米などの農業、養鶏でにわとりさんに卵を産んでもらったりね。にわとりさんは毎年決まった時期に30羽うちに来るんだけど、多い時は60羽とかになるから、最近だと卵も売ったりしてますね。

但馬屋の養鶏場のようす
但馬屋の養鶏場のようす

── 毎年30羽ですか……。

宇野 島に送ってもらえる小ロットが、ひよこさん30羽なんですよ。エサ代もばかになりません。雄鶏も昔はいたんだけど、夜中の3時位からコケコッコーと鳴くから、今は雌鶏だけです。

── にわとりさんが産む卵はもちろん、但馬屋さんが提供される宿のごはんは、ほぼすべてが宇野さんご一家が作った、もしくは釣ってきた魚などの素材を使用したものだと聞いています。

宇野 そうです。卵もお米もそう。野菜も魚も、基本的には自分たちの手ですべて準備してます。今朝はほうれん草をお出ししましたけれど、収穫量が少ない時は自分たちの口に入らないこともありますよ(笑)。

但馬屋で出してもらう朝ごはん
朝ごはんの一例

宇野 量が足りない時は葉物なんかを買うこともありますけどね。できるだけ地産地消というか、この島で採れたものを仕入れます。お刺身やあわびなんかは、朝に船を出して釣りに行ってますね。

採れたてあわび
自分たちで捕ったあわびを、宿泊者の夕食として提供している

── 夜も朝も、ご飯は本当に美味しかったです。取材で島の方にお話を聞く中で、「この島で生卵を安心して食べられるのは、但馬屋さんのところだけだ」という声も聞きました。

宇野 わぁー、それは嬉しいですね。ありがとうございます。まぁ、でも自分たちも体にいいものを食べたいですしね。子供たちにも安全なものを食べさせたいなぁと思ってます。

自分たちの暮らしがあって、お客様がある。そういう風な捉え方をしているから、暮らしの中にお客様をお招きしてるという感じでしょうかね。お客様ありきで動くのは無理があるけど、そう思っていると続けられるもんです。そうじゃないと、ねぇ。どっかでしんどくなっちゃうから。

── 夕食時に見せていただいた、島の踊りもとても楽しかったです。

宇野 海士町発祥の隠岐民謡「キンニャモニャ節」ですね。せっかく海士町に来てくださったんだから、伝統文化にも触れてほしいなぁという想いでやってます。

キンニャモニャ祭りの銅像
宇野さんが踊るキンニャモニャ。小道具は「しゃもじ」

宇野 年に一度、8月に行われる「キンニャモニャ祭」では1,000人でこの踊りをします。楽しいですよ。

……でも、こんな感じで今のことだけを語るのは、私としてはちょっと物足りないんですね。ずっと歴史があって今があるんですよ。

── 女将さん。ぜひ、歴史についても教えていただきたいです。

「お客様の声に応えたい」という想いがすべての始まり

宿屋 但馬屋の外観

── 但馬屋さんは、もともと畳屋だったんですよね。

宇野 そうですね。今の宿屋が建っている敷地は、もともとうちの敷地じゃなかったんです。人の畑だった場所で、裏に母屋があります。もともとは母屋の隣に畳工場があって、狭い田んぼで自分たちが食べる分のお米を父が作りながら暮らしていました。

── 宿屋を始めるきっかけは何だったんですか?

宇野 たまたま、地元を出て行った人が島に戻ってきた時に泊まる場所がないということで、まぁ気軽に寝床を提供したのが始まりですかね。その後も泊まりたいという方が多かったので、じゃあ宿屋をしようかということで始めました。

宿屋を始めたら今度は船を持っているということで、釣りに行きたいだとか隣の島に行きたいという声が上がり、その要望に応える形で船渡しを始めました。釣ってきた魚を食べたいと言われたら、宿でさばいて食べていただいたりね、いろんなことを始めました。

但馬屋を切り盛りする宇野さん

── すごいですね。

宇野 私の父は海士町では「じっちゃん」と呼ばれることが多いんですが、彼がすごい人でね。どうせ船渡しをするなら、お客様が乗り心地のいい船にしたいよなぁ、と言って、船も8隻作りました。お客様の声があって始めるのはいいんですが、全部借金なんです。

── 壮絶ですね……。

宇野 借金を返すのも一苦労ですよ(笑)。一時、こんなに働いていて、宿屋も上手くいっているのに、どうして暮らしが楽にならないんだろうと思って調べてみたら、利息だけで何百万って払ってたりとかね。

いろいろあるけれど、頑張ってやってますよ。

循環する暮らしは特別じゃない。海士町の普通の暮らし

tajimaya
「じっちゃん」の漁師道具置き場の様子

── 畳屋は今も続けていらっしゃるんですよね。

宇野 続けています。但馬屋の畳は全部自分のとこで作ったやつですよ。お米の藁(わら)は、藁床として畳に使えますからね。お米は食べて、藁は畳に利用するんです。

── 無駄がないんですね。

宇野 そうですね、でも別に珍しいことじゃないですよ。ご先祖さまから続いてきた田んぼがあるから、他の仕事をしながら休みの度に耕すという作業は、うちのこだわりというよりも海士町の暮らしなんです。

小麦を作っている家もあるし、こじょうゆという島特産の味噌を作っている家もあります。海士町には兼業農家がたくさんで、それぞれの家で旬のものを作って自給自足するというのは、島の普通の暮らしです。

── 自給自足が当たり前だというのは、都会暮らしが長い私にとっては、なかなか衝撃的な事実です。

宇野 そうですか? まぁそうですよねぇ。じっちゃんから生きる術を学びたくて、海士町にIターンで移住してきた宮崎もそんな感じでしたからね。

キンニャモニャ踊り
宮崎雅也さん(右)

── 宮崎雅也さんは、海士町のIターン者の代表的な方として、よくお名前を聞く方ですね。

宇野 彼はもともと一橋大学の学生だったんですが、食に興味を持っている子で、10年うちで勉強してました。今年で一応卒業ということで独立する予定です。

── 10年ですか。寂しくはないのでしょうか。

宇野 そりゃ寂しいですけどね。でも彼は無農薬でお米を育てたいという夢がありますから。自分がそれで道を切り拓けたら、この島の農業を変えていきたいという野望もある。だから、時がちょうど実ったなぁというところですね。応援する気持ちの方が大きいです。

移住する側、受け入れる側の心構えと覚悟

── 宮崎さんのように、Iターンなどで地域に移住したいという若者は今もたくさんいます。そういう若者に、宇野さんから何かアドバイスはありますか?

宇野 なんでしょうねぇ。今は移住支援制度が整ってきたりしているけど、基本的には自給自足の暮らしをしたいと言うなら、自分がその土地できちんと暮らしていくために蓄えを持ってきたほうがいいと思いますよ。

── 蓄えって、つまりお金ということですよね。

宇野 そうですね。Iターンをするために必ずしも潤沢なお金がなきゃだめってことじゃないですよ。

宇野さん

宇野 でも、きちんとその土地で暮らしていくための仕事や、地域との関わりといった土台を固めるまでには、想像以上に時間がかかると思っておいたほうがいいんです。地域にとけこんできちんとその土地で暮らしていけるようになるまで、その蓄えを食いつぶしていくくらいの覚悟がないと長続きはしないですね、きっと。

── 確かにそうですね。来れば何とかなるという気持ちだと、途中で予想外のことが起こった場合、心が折れてしまうかもしれません。

宇野 まぁでも、受け入れる側の整備も必要ですよね。

── 自治体や地域の受け入れ体制ということでしょうか?

宇野 と言うより、私たちみたいな地元の側ですね。私たちがもう少し豊かに暮らしていくためには、ほうれん草一株の値段がもう少し上がらないといけない。野菜が高く売れないと、自分たちが生きていく糧にならない。米農家はみんな赤字だしね。

そういうところに若者が来たとなると、当然いろんなことを教えてほしいとなるわけです。私はもちろん喜んで教えてあげたいんだけど、例えば農機の使い方を教えるとすると、農作業が初めての子は絶対に一度は機械を壊すんですね。そうすると、修理しなきゃいけなくなります。けど、それもまたお金がかかります。そういう現実を支えるだけの制度があったらもっといいのになぁって思ったりしますよ。

── 但馬屋さんの営みや、海士町の自給自足の暮らし、そして移住の現状が少しだけわかった気がします。

宿屋としておすすめしたいだけでなく、自給自足の暮らしを希望する方にもぜひ一度訪れてみてほしい宿だと思いました。宇野さん、今日はありがとうございました。

うちの話が何かの参考になるなら嬉しいです。また遊びにきてくださいね。

お話をうかがった人

宇野 貴恵(うの よしえ)
昭和38年大阪生まれ海士町育ち。順正高等看護福祉専門学校卒業後、3年間看護師として勤務。昭和63年に帰島。現在但馬屋の若女将として、料理、接客はもちろん島の民謡を踊って歌ってお客様をもてなす。明るい笑顔と高い笑い声がトレードマーク。

このお店のこと

島宿 但馬屋(たじまや)
住所:島根県隠岐郡海士町海士4602-1
電話番号:08514-2-0437
アクセス:菱浦港より車で5分
参考価格:1泊2食付 9,800円~
予約問い合わせ先:海士町観光協会 08514-2-0101

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伊佐 知美

旅するエッセイスト、フォトグラファー。1986年生まれ、新潟県出身。世界中を旅しながら取材・執筆・撮影をしています。→ さらに詳しく見る

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