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【島根県海士町】地域暮らしの新しい働き方「マルチワーカー」とは

島根県出身で1989年生まれの太田章彦(おおた あきひこ) さんは、高校時代に写真に出会い、大阪の専門学校で写真を学びます。
卒業後は「豊かさとは何か?」を主題とし、祖父母が暮らす島根県浜田市弥栄町で限界集落を撮影。しかし、地域で暮らしていく意識が持てなかったこともあり、写真の個展を開催した後、暮らしと働き方を模索するために海士町へ移住しました。そして海士町では「マルチワーカー×写真家」という暮らし方で、2015年の春で海士町暮らし3年目を迎えました。

季節の旬を仕事で巡るのは、「とにかくこの島がいい」をたくさん見つけたいから

── 海士町へのIターンのきっかけを教えてください。

太田章彦(以下、太田) 「写真・仕事・暮らし」をひとつにできないか、という思いを抱え出していたとき、漠然と海士町に興味が湧きました。でも僕が持つ海士町の知識は、「地域創生」のための行財政改革、特産品開発、高校の魅力化プロジェクトなど、独自の取り組みにより注目を集める町だということくらいでした。

── それでも海士町に移住したきっかけというのは?

太田 島に住んでいる人と繋がりがあったからですね。その人に仕事と家について、とても親切に相談に乗っていただいたことが大きかったです。気付けば島暮らし+自己実現の絵がぼんやりと描けていました。

── 海士町に来る前にはどのような写真を撮ってきたんですか?

太田 海士町にIターンする前は、写真を使って「言葉」の視覚化をしていました。例えば「限界集落」という言葉だったら、「年寄りが多い」「子供が少ない」「空き家が多い」「学校の数が減る」「農業や伝統芸能等の後継者不足」などイメージを構成するいくつかの言葉があります。その言葉を写真にする。その作業で写真と写真の間に立ち現れてきた「豊かさとはなにか」という問いを作品の落としどころにします。

── 海士町に移住してからは、第一次産業の写真を主に撮っているとお聞きしています。

太田 そうですね。

── 第一次産業が島の主役だからですか?

太田 マルチワーカーをしていると、生産現場に関わることが多いので、第一次産業が主役でもあるけど、そもそも僕が仕事をしている作業風景を撮ることが好きなんです。それと、通勤中に見える風景を撮ったりしますね。

── ちなみにマルチワーカーって、一年で複数の仕事を行うことですよね?

太田 たとえて言えば、季節労働を1年つなげる働き方です。海士町には岩牡蠣のブランド「春香」があって、春に出荷のピークを迎えます。夏は宿泊業が忙しくなり、秋は海産物の冷凍処理、冬はナマコの出荷といった具合に、季節ごとに人手が必要になるんですよね。

岩牡蠣漁のようす ── 旬を巡る仕事って、地域の需要にピッタリですね。

太田 それぞれの仕事場で一年を通して雇用するのは難しいですからね。そこで、各現場のピーク時に観光協会からスタッフを人材派遣する、という仕組みです。マルチワーカーとして、季節によって旬を迎える現場で働きながら、写真を撮っています。

── 仕事をしながら写真も撮る。お得というか相乗作用がありますね。

太田 そうです! マルチワーカーをしていて、得だよなぁと思うのは、人間関係が非常に作りやすい。1年で4つ以上の職場を巡るので、おそらく島で一番多く上司ができます。

── でも上司がたくさんいると、どこへ行ってもぺこぺこしてるんじゃ……。

太田 そうそう(笑)。その代わり現場で自分が何者かを理解されると、写真は撮りやすくなる。つまりカメラを向けやすくなります。島のどこへ行っても、自分が写真家ということを認知されているのは、とってもいい環境だと思うわけです。

海士町の海 ── 実際に被写体である海士町が、今後どうなるといいと思いますか?

太田 海士町で暮らしている僕も含めたみんなが、どこか別の土地と比較するのではなくて「もう、とにかくこの島がいい」と思える部分をどんどん増やしていきたい。そのために島を、季節によって訪れる旬を仕事で巡り、現場の写真を撮る。そうやってたまった写真を見返したとき、きっと、大切な何かを自分に気づかせてくれるような気がしています。

── 過去に撮った写真を見返すことによって、撮影しているときにはわからなかった発見というのがありますよね。写真を通じて、海士町の本当の魅力を探しているということでしょうか?

太田 そうかもしれないですね。海士町に移住してから、「島らしさ」とはなんだろうと思うことがよくあります。海士町では「ないものはない」という言葉をよく使いますが、暮らしに必要なものはあるんです。コンビニがなければ生きていけない人なんていませんし、大抵なるようになります。

だけど、そんな「ないものはない」と言って諦めるような割り切りの強い考え方をするんだったら、そこまで無理をして島に移住しなくてもいいと思う。我慢なんてよくないし、なんでもある場所に行けばいいことですよね。

岩牡蠣漁のようす

「海士町、そしてここで生きる作家のために、いつかこの島でアーティスト・イン・レジデンスをやりたい」と語る太田さん。島民が親しみを持って受け入れられる芸術文化を作ろうとする、その理由を聞いてみました。

── たしかに都会と比べると、海士町は絵や写真の展示スペースは圧倒的に少ないですよね。そうなると芸術文化はあまり感じられないかもしれません。でもなぜ、今まではなかった芸術文化が海士町にあるといいと思うのでしょうか。

太田 海士町で芸術に触れる機会を増やすことで、「見る文化・飾る文化」 を作りたいと思って。この文化があることによって、「島」に限らず、物の見方が増えるのではないか、と思っています。そのうえ「見る文化・飾る文化」がないと地方では芸術を生業として続けていくことがむずかしいとも思っています。

── ぼくは茨城県に住んでいるんですけど、まったく同感します。芸術を見るのに適したギャラリーというものが地方にはほとんどないし、場所がないから見る・飾る文化も育たない。ぼくも大学を機に都会で芸術作品を見た経験があってはじめて、視点や思考が拡張したと思います。

太田 写真をやっていく上で、必ず越えなくてはいけない壁。そんなふうに、勝手に思っています。

── いいチャレンジですね。

太田 海士町に来てから僕は何も果たせていないので、これからですね(笑)。

太田章彦さんの作品はこちら

「Blowin’ In The Wind」

Blowin' In The Wind

Blowin' In The Wind

Blowin' In The Wind

Blowin' In The Wind

「Stranger Of Island」

Stranger Of Island

Stranger Of Island

「残るか、残らないか」が僕が写真をする上であらゆる要素の基準になっています。
今取り組んでいる作品も僕が残さなかったら、誰もこのテーマを残さないだろう、という思いで制作しています。
そして、テーマとの関係性を考えると、僕しか撮る人はいないだろう、という使命感を持って制作しています。
それでも「残るか、残らないか」はわからないので、確信を得るまで作品を制作し続けようと思います。

どのような被写体が残るか。
どのような時間・記憶・気配が残るか。
そして、どのような事を残したいか。

僕は、僕にしか撮れない物はなにかをいつも考えています。
引用:http://akihikoota.com

お話をうかがった人

太田 章彦(おおた あきひこ)
1989年生まれ。海士町観光協会・マルチワーカー/写真作家。島根県出身。ビジュアルアーツ専門学校・大阪の写真学科を卒業後、祖父母の住む島根県浜田市弥栄町に移住する。そこで限界集落について作品制作を始め、「豊かさとはなにか」をテーマに作品発表(Nikon Juna21)。その後、島根県の隠岐諸島のひとつ海士町へ移住。「仕事」と「暮らし」と「写真」について考える。2015年6月にエプソンイメージングギャラリー「エプサイト」で個展「Stranger of islamd – 海士」を開催予定。

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小松﨑拓郎

ドイツ・ベルリン在住の編集者。茨城県龍ケ崎市出身、→ さらに詳しく見る

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