郷に入る

【島根県海士町】これからどう生きる?島の大使館で考えた、ふるさとプロデューサー研修生の未来

「自分の肌に合う地域で暮らすことに興味がある」
「地域と繋がりを持って暮らしたい」

このように考え、自分らしい暮らしを模索している人たちがいます。

彼、彼女たち「ふるさとプロデューサー(以下、ふるプロ)」研修生は、武蔵野大学と株式会社巡の環(以下、巡の環)が協働で行う【海士ゼミ】の密着取材において、島根県海士町でのフィールドワークなどの活動を学生たちとともにしてきたメンバーです。この記事では、ふるプロ研修生の30日間にわたる地域活動の振り返りをレポートします。

2ヶ月限定の「島の大使館」立ち上げ・運営

信岡良亮さん

地域の担い手である「ふるさとプロデューサー」とは、地域資源を活用した地域活性化の担い手として日本各地から集まり、活動する人々のこと。ふるプロを育成する事業を実施するのは、独立行政法人中小企業基盤整備機構です。この事業の目的は、主に4つ。

  1.  地域の多くの関係者を巻き込むこと
  2.  地域の特色を活かした産品をブランド化すること
  3. そして、外に売り出す取組みの中核的な担い手となる人材育成
  4. 日本の9割以上を占める中小企業・小規模事業者の事業発展を支えるため

2泊3日の座学研修の後、ふるプロ研修生は各受け入れ団体に配属され、すでに活躍している「ふるさとプロデューサー(*1)」とともに30日間活動します。

(*1):ふるさとプロデューサー育成支援事業は地域の多くの関係者を巻き込み、地域の特色を活かした産品をブランド化し、域外に売り出す「ふるさとプロデューサー」となる人材を育成することで、中小企業・小規模事業者が行う地域資源を活用した事業を促進し、全国津々浦々の地域や中小企業・小規模事業者の活性化を図り、地方創生に資することを目指しています。引用:ふるさとプロデューサー育成支援事業

研修生の講師であるふるさとプロデューサー、巡の環の取締役である信岡良亮さんは、都会側から田舎との良好な関係性をつくるために2014年から活動拠点を東京に移し、株式会社アスノオトを設立した人物。以下の流れで研修生の教育を担いました。

  • ステップ1 海士町を理解する
  • ステップ2 東京での「島の大使館」づくり
  • ステップ3 活動報告

ふるプロ研修生は事前学習に加えて、2015年9月7〜9日の間、海士ゼミの学生たちとともに海士町を訪問。フィールドワークを通じて地域の成り立ち、人々の暮らし、未来づくりへの挑戦など海士町に対する理解を深めました。

その後、「都会と田舎」「人と自然」「人と人」がつながる「島の大使館」づくりの実践活動に入ります。「島の大使館」とは、都会側から田舎をつなぐ機能をもつ拠点です。2015年9月30日からの2ヶ月限定で、新宿区にある四谷バルというお店に、島の食材を使用したカフェをオープンし、ふるプロ研修生たちは「島の大使館」の運営やイベントを企画しました。

ふるさとプロデューサーの育成研修を終えて

そして2015年11月29日。ふるプロ研修生たちは「島の大使館」運営を終え、活動の振り返りを行いました。

長崎県五島列島に帰って、宿を開業したい

矢野 沙織(やの さおり)さん 

矢野 沙織(やの さおり)さん

私は、長崎県五島列島出身の夫と結婚して、田舎や島暮らしに興味を持つようになりました。

それがきっかけで、ウェブ上で海士町の記事を読み、3年前に初めて海士町に行きました。地域コーディネーター養成を目的とした学びのプログラムの「めぐりカレッジ」に参加するためです。そこで信岡さんと出会って、都会と田舎をつなぐ活動をしようと誘っていただいたことがきっかけで、今、ここにいます。

私は、長崎県の五島列島に帰って、宿を開業したいと思っているんです。この夢は親しい人には言えるけど、そうではない間柄の人には言えませんでした。

自分の興味あること、やりたいことを人に伝えるのって、恥ずかしいじゃないですか。その夢のために、「今、何をしているのか?」と問われると怖い気もするんです。でも、島の大使館での2ヶ月間の活動を通して、自分の夢をきちんと言えるようになりました。

毎日ランチタイムにカウンターに立っていましたが、島の大使館は人の話を聞けたり話せたりできる空間だったから。以前よりも友達が増えたことはもちろんですが、人間関係も心地よくなっている気がします。

地域のプロジェクトを実行するヒントを得るために

加藤 紘道(かとう ひろみち)さん

加藤 紘道(かとう ひろみち)さん

私は新卒でマヨネーズの会社に三年間くらい勤めて、その後はベンチャー企業を渡り歩いてきました。仕事が忙しくても年に一度は、地元の富山にある漁村に帰ります。

毎年帰郷するにつれて、地元が寂れてきていることを感じるようになりました。そこで地域のためにできることをしたいと、漁村を活性化するための活動を始めたんです。社会人向けと小学生向けのそれぞれで、漁師さんとの交流会や漁業体験をする企画を3,4年してきました。

ふるさとプロデューサー育成支援事業に参加した理由は、地域のプロジェクトを上手に実行するためのヒントを得たいと思ったからです。

最初は8月に島の大使館をつくるためのMTGからスタートしましたね。9月に海士町へ視察に行き、島の大使館で提供する料理のメニューを決めたり、物件の掃除をしたりしました。10月に島の大使館がオープンしてから、ぼくは週に2回シフトに入って、通常の接客や調理の仕事と、コミュニケーションのワークショップを開いてみました。ふるプロとしての活動と同時に、個人でセイザブロウ株式会社を設立し、海士町のCASの商品をうちの商材にできないか相談してみたり、富山でクッキーなどの商品開発をしたりしています。

今後は、ふるプロの育成支援事業で得た経験をもとに、会社を成長させていきます。そして自分の地元に、少しでもお金が落ちるような企画にトライしていきたい。地方創生という言葉がもてはやされていますが、結局のところ、東京にお金が集まるような仕組みになっているのではないか?と危惧しているので。

海士町は行政と企業の連携が積極的に行われていますよね。でも地元を含めて多くの地域は、行政と企業間は分断されている。今後は地域を繋げる活動もしていきたいと思っています。

ふるさとプロデューサーという活動の根っこには、故郷を思う心がある

志立 育(しだち はぐむ)さん

志立 育(しだち はぐむ)さん

ぼくは都会と田舎をつなぐ巡の環、という会社があることを友達伝いで知って、ふるプロに参加しました。

島の大使館のカウンターに立ってみるとわかったことがあります。もともと島の大使館は四谷バルというお店を借りて営業していますから、四谷バルの常連さんとも話せる。みなさんと話してみると、自分の出身地が好きなんですね。ふるさとを愛している言葉が、ポッと出てくるんです。

ぼくは都会生まれの、都会育ちです。だから、ふるプロのメンバーが自分の出身地で商売がしたいと思えるのは、すごく羨ましいです。

ふるさとはありませんけれども、震災後のお手伝いで知り合った宮城県石巻の漁師さんのお宅には定期で必ず行くんですよ。日本で唯一、ぼくが勝手に家に入ってベッドで寝ていても怒られない、第二の故郷のような場所です。

ふるさとプロデューサーという活動の根っこには、故郷(こきょう)を思う心があるのではないか、と島の大使館のカウンターに立つことで感じることができました。

社会教育コーディネーターになるべく、島根県に移住を決意

市川 恵(いちかわ けい)さん

市川 恵(いちかわ けい)さん

わたしは大学時代に所属していた社会学部の講義で、海士町に行き、聞き書きを経験しました。そのときの授業プログラムを組んでくれたのが、のぶ(信岡)さんたち株式会社巡の環の方々です。大学院では海士町の教育について論文を書いて卒業しましたが、その後は飲食経営を主な事業とする企業に就職しました。

2014年の1年間はその会社に勤めたわけですが、今年の4月から、また教育の世界に戻ってきました。

島の大使館では毎週2回ほど、ランチタイムとディナータイムでカウンターに立ちました。自分にとってはディープな会話が繰り広げられる場所で、刺激ばかりを受ける日々。新卒のときは東京にこだわって就職先を探していましたが、今は以前よりもいろんな価値観に触れたことで物事を柔軟に考えられるようになりました。

この経験を活かして、島根県の益田市で社会教育コーディネーターになるべく、来年の4月から島根県に移住します。保育園と小学校、公民館の3つが併設する施設で働きます。
地方に行くなら、今だと思っています。

楽しいと思えることを大事にして行動していきたい

塚原 昌代(つかはら まさよ)さん

塚原 昌代(つかはら まさよ)さん

私は「マイプロジェクト(*2)」をきっかけに、ふるプロに参加することになりました。地域とかかわりを持ちたい、楽しいと思えることをやろうと思ったんです。

(*2)マイプロジェクト:マイプロジェクトとは、身近な課題に自発的に取り組めるプロジェクトを立案・発表することを通して実践を促進し、アントレプレナーシップを習得する教育技法。

私はプロジェクトマネージャーとして働いていて、主にプロジェクト管理を担当しています。今までシステム開発の仕事しかしたことがなかったので、飲食をはじめ、他の仕事なんてできないのではないか……と不安に思っていたんです。

島の大使館ではカウンターに立つ以外にも運営に積極的に関わらせていたのですが、状況に応じて臨機応変に対応するサービス業は、プロジェクト管理と同じだと思いました。全体の状況からタスクとスケジュールを見通して動くんですよね。

今後の活動は今のところノープランです。けれど、引き続き地域との関わりを持っていきたいです。将来的には複数の拠点を持って暮らしていきたい。働き方や会社とのかかわり方を考えながら、自分が楽しいと思えることを大事にして行動していきたいと思います。

都会から、地域で暮らす小さな一歩を

都会と田舎のいい関係を作りながら、自分にとってのより良い暮らしを模索しているふるプロ研修生の生の声を紹介しました。彼、彼女たちのように、地域との繋がりを作る小さなアクションを起こすと、次のステップに進めそうです。

※合宿や東京での活動は一部、武蔵野大学明石ゼミの学生たちとのコラボレーションで行いました。

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小松﨑拓郎

ドイツ・ベルリン在住の編集者。茨城県龍ケ崎市出身、→ さらに詳しく見る

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