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島根県海士町の山内道雄町長、海士町交流特命大使の信岡良亮さんが登壇|TIP*Sマナビジカン主催のイベントが開催

7月17日に大手町にあるTIP*Sで、『TIP*Sマナビジカン「果敢に行動することが明日を変える」~最後尾から最先端へ・海士町の挑戦~』と題したイベントを開催されました。人口約2300人中、400人以上が全国から来たIターン者であり、新しい挑戦をしたいと思う若者たちの集う島となっている島根県海士町。まちおこしのモデルとして全国の自治体や国、研究機関などから注目を集めています。

ゲストに同町の町長・山内道雄さんを迎え、聞き手は、株式会社巡の環を設立した信岡良亮さんです。島おこしの今までと、これからの話をお聞きしました。

海士町のキャッチフレーズ「ないものはない」

信岡良亮(以下、信岡) まずは海士町について、町長からご紹介いただけますか?

山内道雄(以下、山内) 隠岐諸島の中のひとつ、中ノ島を「海士町」といい、1島1町の小さな島です。歴史的には、1221年の承久の乱で敗れた後鳥羽上皇が、海士の島で生活されていて1240年に崩御されました。宮内庁で管理されている御火葬塚があるということが、一般的によく知られていることですね。

山内町長

信岡 文化的な背景についても聞きたいです。食についてどうでしょうか?

山内 離島でありながら、日本の名水百選に選ばれている湧き水「天川の水」があります。周辺の3つの島でお米をつくっているのは海士町だけです。「天川の水」が流れ込む保々見湾の海水を使い、丹念につくられる天然塩『海士乃塩』は、東京の3つ星ホテルでも使われているんですよ。自給自足ができる島でもあるので、私たちは誇りを持っています。

町のキャッチフレーズは「ないものはない」。東京のように便利さはないけど、島にあるものを活かして頑張っていくんだと意気込みを込めています。

信岡 町として「ないものはない」とキャッチフレーズを持っていることは珍しいですよね。

山内 今は港に着いたら「ないものはない」と書いてある大きなポスターが目に入ると思います。まあ、逃げるときにも「ないものはないんだ」と言えるというかね(笑)。でも、信岡くんのようなIターンの方々が、島の人間が気付かなかった新しい視点で、色々な島の魅力に気づかれました。その代表として、商品開発の第一号は「サザエカレー」ですよ。今は東京でとても売れてます。

トップの仕事は、ステージを用意すること

信岡 ふたつめの質問です。山内町長が町政に携わることになる経緯を教えていただけますか?

山内 私はずっと島にいた人間ではありません。学生の頃は島前高校がなかったので、やむなく島をでました。その後で電電公社(日本電信電話公社)に入社して、電話交換や、郵便局・郵便の窓口などひと通りの仕事を全てやりました。電電公社がNTTに変わる1985年、課長に昇進したタイミングで、両親の体調が優れなかったので海士町に一時的に帰ることにしました。

信岡 あくまでも海士町に帰った理由は、介護のためですか?

山内 そうです。別に目的はあったわけではないですね。それで当時の町の建設会社の社長から「民間企業にいるなら町政を手伝ってほしい。今、海士町を変えるのは君しかいない」とお願いされて。周囲からは「絶対選挙で勝てるわけがない」といわれていましたけど、当選できました。それはまさに、「住民の勝利」でしたね。住民の皆さんが、海士町を変えなきゃいけないと思って、あの厳しい選挙で本気になって投票してくれたことが、海士町を変えるひとつのきっかけです。

山内町長

信岡 以前町長が、ちゃんと選挙で戦って、住民から選ばれた感覚があるから「町長として仕事をしている」と聞いたことがあります。

山内 それはそうだよね。悪かったら町長なんて選挙で投票しなければいいですよ。威張ることではなく、町民の機嫌を取るわけでもなく、できないことはできないとピシっと伝えることが、私は政治だと思ってます。

信岡 町長のことをすごいなと思うのは、町長室に入ると見える看板に書いている言葉を、掲げるだけではなくて実行しているところです。「今やらねばいつやる。わしがやらねば誰がやる」 という言葉ですね。選挙で当選した最初は、何からはじめようと思ったんですか?

山内 職員の意識改革です。地域経営は、企業経営ですから。 私は電電公社で営業マンから支店長になりました。いつもお客様の対応や苦情処理をしてきましたから、議会や役場は自分と目線が違うと感じて、私は町長就任時にこういいました。「今日から、海士町役場は住民総合サービス株式会社です」と。住民は納税してくれている株主であり、住民サービスを受けるお客様であると。そして、私は社長であり、課長になる人は取締役で、職員は社員ですと。役場ではなく「会社だと思うように」と伝えました。現在は経営会議を毎週5時15分からやっています。

信岡 実際に小さな社会で改革を起こすことは、かなり人間関係的に苦しい人もいるのかなと体感値として持っています。よくそれを実践できましたね。

山内 いや、それは職員の熱意、誠意、志によると思います。今思ってみれば、職員は意識を変えて、よく頑張ってくれているなと。

信岡 町長ご自身は「自らが腹を切らねば、改革は指示されない」といって、自分の給料をカットすることからはじめられました。

山内 私が町長に就任したときに、町に11億5千万円の負債があったんですよ。「山内、お前の町は財政破綻しそうじゃないか?」と知り合いにいわれたこともあります。現在は、町の借金の3分の1を返済して財政危機の山を乗り越えました。

信岡 過去と現在では、町のトップの役割は変わってきますか?

山内 そうですね。財政危機の当時は、重要な仕事は外貨を獲得することでした。でも今は、海士町の島民が活躍するためのステージを用意することが重要な仕事です。ここに来る人は、海士町に仕事があるから来るんじゃない。みんなスキルを持ったうえで、仕事をつくりに来ていますから。

島に帰ってくる子どもを増やすために

信岡良亮

信岡 3つ目の最後の質問は、これからの海士町の未来についてです。町長が任期を終えるまでにやりたいことを教えてください。

山内 平成16年を基点として、今年の3月までで483人の方が移住してくれました。もちろん行き来している人もいますが、人口の1割がIターン者として定着しています。今後重点的にやりたいことは、いかに子どもたちを島に定着させるかですね。

信岡 Iターン者の増加は、島の子どもたちにもいい影響を与えていますよね。14歳の少年・少女の夢の実現に向けて、町をあげて応援する「立春式」がその影響を象徴しているという気がしていて。

山内 立春式では「自分は島に帰ってくる」と子どもたちが話しだす。地域に目を向けることは”人が育つ”ということだと思っています。

信岡 「僕の将来の夢は、海士町の大人のようになることです」といってくれる。海士町の大人は、島の未来に責任を持ち、自分たちで考えて動いています。大人の背を見て、子どもたちは影響を受けていくんですね。

山内 今、海士町では化学反応が起きていて、新しい風が吹いています。身内意識が強かった閉鎖的な島に、歳の若い共稼ぎの夫婦が来ると、保育園に子どもを預けない人もいるそうです。島で子育てに困っている家族がいれば、近くに住む島民が子どもの世話役をする。今までになかった島民間での交流が見られています。

Tips-会場からの質問

── ここからは会場からも質問させていただきます。島に新しいうねりが生まれてきたのは、Iターンの方々による影響が大きいのでしょうか?

山内 Iターンの皆さんのおかげです。例えば「隠岐島前高等学校新魅力化構想」を提唱した岩本(悠)くんは、県の人からも感謝されています。現在は教育魅力化特命官として島根県地域振興部・教育委員会を併任しています。岩本くんのように、更なる活躍をするために海士町からワークフィールドを変える人もいるでしょう。島をフィールドとして、学んだことを全国にヨコ展開してくれる人が育つことが海士町の財産です。みんな島を出ても海士町ファンですから、これは有難いことです。

── 島に大きく影響を与えているのはIターン者だといえますが、Iターン者も島から多大な刺激を受けていると思います。信岡さんが海士町に移住してから一番印象に残っていることはなんでしょうか?

信岡 島民の方の言葉の重みですね。海士町の方って、等身大で、自分の言葉で語る人が多いんです。「この島が好きだ」って。毎日の生活のなかで培ってきた言葉の方が、よっぽど腹に落ちるんだと実感しました。その言葉の重みが分かるようになればなるほど、ぼくは島の人とお酒を交わすときに、恥ずかしくない自分でいたいなと思っています。

生き残るために、本気度が試される時代に

── 今後も全国各地で暮らしを見つめなおし、生きる土地を変えていく流れは大きくなるはずです。受け入れる地域が移住者に期待していることは、どのようなものでしょうか。

山内 海士町に新しいステージを求めて、外部から多くの人が来ています。だからこそ、本気で来ていただきたい。元気、やる気、本気がキーワードです。地方創世を推進している今、地域は生き残りをかけて、本気度を試されているのだと思います。その本気度が高ければ高いほど、地域も人も伸びる。お金があれば、地域やまちづくりが進展するわけではないですからね。地域やコミュニティは、その土地で暮らす人がつくります。

── 海士町のIターン者代表として、信岡さんにこれから海士町で目指すことを教えていただきたいです。

信岡 これからの持続可能な未来を考える際に、循環型・持続型地域のモデルとして、海士町がタグポート(先導船)となることです。というのも、今ある社会のモデルに限界を感じている人が増えていくと思うからです。誰でも新しい社会に参加でき、ひとりの人間として自分の人生を選べる社会になるといいなと。僕はその橋渡し役をできるようになろうと思います。

海士交流大使に任命された信岡さん

イベントの最後に、山内町長が、海士町交流特命大使として信岡さんを任命しました。これまで「都市と田舎をつなぐこと」をテーマとして活動してきた信岡さんと、山内町長の今後の活動に注目です。

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小松﨑拓郎

ドイツ・ベルリン在住の編集者。茨城県龍ケ崎市出身、→ さらに詳しく見る

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