営みを知る

【蔵前】NAOTの靴を履いて遠く遠く、どこまでも|株式会社loop&loop代表・宮川 敦

モノづくりの町【蔵前】特集、始めます。

東京都蔵前にある靴屋さんの「NAOT TOKYO(ナオト・トウキョウ)」。日本人の男の子の名前のように聞こえる「NAOT」は、ヘブライ語で「オアシス」という意味です。

20年以上も前から日本で流通していたというイスラエルで作られるその靴は、履けば履くほどその人の足にフィットする不思議な靴。

naotの靴をもつ

世界中を旅した株式会社loop&loop代表の宮川敦さんは、帰国後、故郷の奈良にある奥さんのお母さまのお店「風の栖(かぜのすみか)」にて、NAOTの輸入を始めます。

「欲しい」と言ってもらえたから、NAOTは日本にあるんです

── はじめに、宮川さんがNAOTの販売を始めた経緯を教えていただけますか。

宮川 敦(以下、宮川) NAOTは僕たちのお店の名前であり、靴自体の名称でもあります。20年以上前から日本で流通していた靴で、もともとは販売されている商社さんがいたのですが、6、7年くらい前に販売を辞められて、以降は日本に入って来なくなってしまいました。僕たちは商社さんから卸させてもらった靴を奈良県で販売していたのですが、突然なくなってしまうと、「困る!」と言うお客さんがたくさんいました。

── それくらいファンが多かったということでしょうか。

宮川 そうなんです、「この靴じゃないと歩けない」とおっしゃっていただいて。お客様の熱意に後押しされて、一か八かで直接イスラエルへ交渉しに行きました。すると職人さんたちも快諾してくださって、もう一度輸入し始め、今のNAOTを販売できるようになりました。うちの店で復活したら、今まで取り扱ってくれていた店舗さんから「是非、うちのお店でも取り扱わせて欲しい」と言っていただくことが増えてきたんです。

もし、ファンであるお客さまから「欲しい」と言ってもらえなかったら、NAOTはもう日本では買えない靴になってしまったんじゃないかと思います。それくらいこの靴のことが好きで、長く履いてくださる方がたくさんいた。僕たちがこのプロダクトの流通を、もう一度日本でスタートしようと思えた理由ですね。

── NAOTと出会ったきっかけはどんなものでしょうか?

宮川 最初は義母が経営している「風の栖(かぜのすみか)」というお店でNAOTを取り扱っていました。義母は、足が幅広で甲高で靴に困っていたんですよ。でも、NAOTの靴を初めて履いたときに、痛みもなく「私にも履ける靴がある」とすごく感動したそうなんですね。

それでこの靴をたくさんの人に知ってもらいたいと思って、お店でお客さまに勧め始めました。義母だけではなく、僕たち自身もNAOTを必要とするお客さまをたくさん見てきました。どうにかしてこの靴を繋いで誰かのために提供したい、役立てたいと思う気持ちが強くなって起業し、今に至ります。

── いざ海外との取り引きを実行に移すのって、簡単なことではないですよね。どのようにして始めていったんですか?

宮川 僕は20代の頃に、東京で貿易関係の仕事をしていました。ですので、海外とのコンタクトはスムーズにできたんですけど、靴業界の経験があったわけではないですし、靴の貿易に携わったわけでもないので、本当に一か八かでした(笑)。

僕と妻は、NAOTを始める前に30歳から約4年間、世界を放浪していたんです。僕も彼女も東京でサラリーマンをしていました。会社を辞めて、最初は2年間の旅の予定で貯金したお金を持って回っていたんですけど……結局、4年間の長旅になりました(笑)。

naot-宮川敦

── 予定よりも長期間になったんですね。

宮川 帰ってきたら無職で、僕も34歳。正直「どうしよう」って思っていました。ふたり共奈良出身だったので、荷物は奈良に送っていたんです。奈良に戻ってきて無職で、半年くらい水タバコを吸いながらボーッとしていたんですよ。その時期に義母の、「風の栖」というお店を手伝わせてもらおうと思ったんです。最初は、とりあえず食べていかないといけないから、という理由でした。

その頃はもうNAOTはお店に置いていなかったんですけど、履いているお客さんはすごく多かったんですね。僕は失うものが何もない状態だったので、イスラエルにコンタクトを取るのもダメ元だったんです。僕自身も海外に行く前の20代の頃からずっとNAOTを履いていて「むっちゃこの靴好き!」という気持ちが大きくて、まずはちょっとでもいいからイスラエルからNAOTを送って欲しいという気持ちだった。

それで、日本でNAOTを取り扱えることになりました。初めて日本に靴が来てお店に出したら、すごく喜んでくれるお客さんがたくさんいて。僕たちはそこから先がどうなるのか、全然予想はしていなかったんですけどね。

履けば履くほど自分の足にフィットするNAOTの魅力

naot-olga
NAOT OLGA(オルガ)

NAOT OLGA(オルガ)

── イスラエルのものづくりについても、お伺いしてもいいでしょうか。

宮川 NAOTはキブツのひとつです。キブツとはヘブライ語で「集団・集合」を指す言葉。彼らは、学校とか病院とか半径1キロくらいの小さな範囲に村を形成しているんですけど、そこで靴を作っていたのがNAOTです。NAOTは、靴の名前であり、僕たちのお店の名前であり、そしてNAOTを作っているひとたちの、名前でもあるんですね。

── 職人集団みたいなものですか?

宮川 そうですね。靴だけでなくワインとか、他にもいろいろつくっている村もあって。今はだんだん変わってきているらしいんですが、もともとは何もなかった砂漠みたいなところにいくつかの家族が住み着いて街をつくったところからNAOTは始まっているんです。

NAOTの靴って“完璧なものではない”んです。たとえば革の色が1ロットごと違うことがある。それが僕の中ではおもしろい。ラフな感じがリアルなんです。一個一個違っていて、温もりがあります。

── 完璧じゃない。それもお客さんが強くNAOTを求める理由のひとつなんでしょうか?

宮川 この靴は、履き込むほど変化していきます。靴自体がその人の足に合ってくるんです。外側の革だけではなくて、インソールもその人の足型になっていく。そうすると、自分の足にピタッ!と合うんですよ。僕は、真っ暗闇の中でたくさんのNAOTの靴があっても、自分の靴を言い当てられると思います(笑)。

NAOTのインソール(履いて馴染んだ後)
NAOTのインソール(履いて馴染んだ後)

── NAOTをイスラエルから取り寄せ始めて奈良のお店に置いて、なぜ東京にお店をつくることになったのでしょうか?

宮川 ずっとやってみたくて4年くらい前に実現できたことなんですけど、キャラバンをやりたかったんです。「NAOTキャラバン」と言って、この靴を持って全国で販売しながらNAOTのことを知っていただく。北海道から九州まで2年間かけて、「旅する靴」を実現しました。

そのときの出会いのひとつで、札幌でお世話になっていた「チョロン」さんというお店があるんですけど。セレクトショップをされてて、そこでNAOTの靴を期間限定で販売させてもらったんです。そのチョロンさんの本店が札幌にあって、東京がこの場所(現在NAOT TOKYOがある場所)だったんですよ。

── おおお、そうなんですね。

宮川 その後チョロンさんがお店を閉められることになって、このお店も場所をそのまま引き継いで自分たちがやらせてもらっているんです。

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NAOT TOKYOの店内では「旅」に関する本も販売している

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── 修理で来られる方も多いんですよね?

宮川 多いです。そこは自信があるところで、友だちとかご家族とか、口コミでNAOTは広がって、一足を大事に使ってくれる方がたくさんいるんです。

僕らとしては、長く履いて欲しい気持ちがあるので一番力を入れているのはフィッティング。靴のサイズが合っているからこそ、NAOTのよさを感じ取れます。お客さまの足の形と照らし合わせて、ぴったりフィットする一足を探します。こっちのデザインが合うんじゃないかと、おすすめさせてもらうこともあります。

お客さまとディスカッションをして靴を決める時は、お医者さんに近い気持ちでやっていますね。ちょっと変わっているけど、僕たちはもともと靴屋さんだったわけではない。だからこそ、手間暇のかかるやり方を選んでいます。フィッティングに力を入れると、一足一足を販売するのにすごく時間がかかるんです。でも、ていねいにやるからこそ、自分の足に合うって喜んでくださる方がたくさんいらしゃるのだと思います。

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人生を一度捨てているからこそ、お客さんの喜びを最優先にしたい

── これから数年先、宮川さんはどんなことをしていきたいですか?

宮川 僕らはいつも、楽しいことをしたいと思っています。NAOTを全国展開するとか、そういうゴールは考えていないです。まずは、お客さまに喜んでもらえることをしたい。もうひとつは、自分たちが楽しめる仕事をしたい。本当にそれだけです。

── そう思うようになったのはなぜですか?

宮川 いつでも僕らは、死ぬかもしれないから。

── 死ぬ、ですか。

宮川 はい。たとえば、災害が発生した場所に居合わせたら死んでしまうかもしれない。一番大事なのは今を生きること、今を楽しむことです。そして、他の誰かのためになり得ることをしたいんです。そうやって考えていたら共感してくれる素敵な人にどんどん出会っているし、これからももっともっと出会えるんじゃないかと思う。楽しみながら誰かのためになる生き方のほうがワクワクします。

── そこまで死を意識するきっかけは何かあるのでしょうか?

宮川 僕は、旅に出たことによって一度、人生を捨てています。僕の考えでは、旅は何かを得ることではなく、捨てることが目的なのかなと思っています。30歳で会社を辞めて旅に出て、帰ってきても仕事がない。世界を旅するという夢を叶えてしまって、やることがないままどんどん時間が流れていく日々。ベランダで水タバコを吸いながら「生きている意味ないなぁ」と思っていました。

誰のためにもなっていないし、いい歳して何もできない自分が情けなかった。そんな過去も含めて、NAOTがあって今の僕がここにいるんです。だから、人に喜んでもらえることがしたい。落ち込んでいた時代があったから、余計にそう思うのかもしれない。

── 世界を旅するという夢が達成された今、次にやりたいはありますか?

宮川 NAOTという船に乗って、スタッフみんなでおもしろいところへ行きたいです。旅をしていると、次の街へ行くときとか、国境をまたぐ瞬間って、すごいワクワクするんですよ。大丈夫かなという不安もあるんですけど、次の扉を開いたら、新しい世界が待ってたりして。

僕たちはこのNAOTという靴で、旅をしているんです。この靴で、次はどんな世界が見られるか。みんなで考えながら、ワクワクしています。

naot-宮川敦さんの靴
宮川敦さんがずっと履き続けているという靴

お話をうかがったひと

宮川 敦(みやがわ あつし)
株式会社loop&loop 代表取締役社長。「ありがとう」の循環を目指して、手づくりの靴NAOT(ナオト)を中心に、ライブやトークショー、ワークショップなど、靴屋の枠にとらわれないイベントなどを主催。実店舗は東京蔵前にNAOT TOKYOと、奈良市にNAOT NARA、風の栖(かぜのすみか)の3店舗。

このお店のこと

naot-tokyo

NAOT TOKYO
住所:東京都台東区駒形2丁目1−8 楠ビル301
電話:03-5246-4863
営業時間:金・土曜日の12:00~19:00
最寄り駅:地下鉄都営浅草線「蔵前」駅、もしくは大江戸線の場合は「蔵前」駅
公式サイトはこちら

DANIELA
NAOT DANIELA
naot IRIS
NAOT IRIS
naot OLGA
NAOT OLGA

(一部写真提供:NAOT )

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家族と暮らしを、どんどん楽しくする新しいウェブメディア「よむよむカラメル」さんでは「合わない靴はない。かわいい上にしっかり歩ける「NAOT」スタッフおすすめの今春履きたい3足」を公開中です! 2記事あわせて読むと楽しさも倍増です。

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くいしん

編集者。1985年生まれ、神奈川県小田原市出身。→ さらに詳しく見る

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