どの地域にも、どの町にも、よそ者はいる。
そして、生まれた時から引っ越しをせず、一ヶ所で暮らし続けているひとも、もちろんいる。
UターンやIターンという言葉が生まれる、もうずっとずっと前から、ひとはあちこち移動してどこかに根を張り、暮らしを築いてきた。
「灯台もと暮らし」編集部・立花が暮らし始めた北海道下川町は、岐阜県から入植してきた約60名の人々によって切り拓かれた、約115年の歴史を持つ森の町。
開拓の鋤が入った、その町の面積の9割は、森林。
しかもその森は、今や60年以上かけてひとの手により、管理され、育てられてきたもの。
木を植え、育て、成長したら伐ってまた植える──。
循環型森林経営と呼ばれる、その取り組みを始めた当時は、ちょうど大量生産・大量消費の時代。
それでも、下川はじっくりゆっくり時間をかけて森林と生きることを選んだ。
今でも、森はひとの目が届く範囲で守られ、枝葉や端材まで余すことなく活用される。
木材を建築用材や炭をつくったり、下川のほとんどの山を覆うトドマツの葉を蒸留して森の香りがする精油にしたり。
ここは、森から始まる循環をつくり、その輪の中で暮らす町。
誰に頼まれたわけでもなく、自分たちで始めた森づくり。
けれど、逆境を切り拓くひともいればまた、違う道を選ぶひともいる。
1980年代から、当時の産業の中心だった鉱山の休山が相次ぎ、およそ15,000人から3,400人に人口が激減。
下川町からは、どんどんひとが流出していった。
猛スピードで迫り来る時代の流れに何度飲み込まれそうになっただろう。
それでも、下川のひとは閉じこもることなく常に地に足をつけ、アンテナを外へ外へと張り巡らしてきた。
“開拓”とは、土地を耕すだけじゃない。
ひとを呼び込み、なりわいをつくり、そして自らも変わり、生み出し続けること。
ここで暮らしていると、そんなことを教えてもらっている心地になる。
実際、今では自分のやりたいこと、目指すもの、好きなこと──それらを手のひらでしっかりとつかみながら、自分の未来を自分でつくっているひとが、すこしずつ、増えていて。
だからこそ、今、ここで暮らしているわたしたちが、115年の歴史の最先端を生きているという実感が、ふとした瞬間、生々しく肌に迫ってくる。
開拓当時のことを祖父母から聞いたというひとも暮らしているから、なおさらなのかもしれない。
今や林業・林産業だけでなく、農業も町を支える一つの産業になった。
ここ5年で、移住してくる人々も増えつつある。
歴史の紡ぎ手が、今、ここにいる。
新しい風を呼び込み、そして、自らも風を起こそう。
一人ひとりが歴史を紡ぐ風を生む【北海道下川町】特集、暮らしながら始めます。
(この記事は、北海道下川町《下川町産業活性化支援機構》と協働で製作する記事広告コンテンツです)