営みを知る

森林と生きる町・北海道下川町。その実態と歴史を学びに行ってきた

一人ひとりが歴史を紡ぐ風を生む【北海道下川町】特集、暮らしながら始めます。

ある日、もとくら編集部に届いた、1通のメール。

北海道の下川町は、3400人の町です。
けれど、環境未来都市にも選ばれており、木質バイオマスでの熱供給や循環型森林経営の確立など、持続可能な産業を構築してきました。また、近年では移住者も増えてきており、そのような方々の共通項を「WORK LIFE LINK」という形で、新しい暮らしを提案したいと考えております。

北海道? 下川町?

メールは、このように続きます。

そこで地域取材での発信を考えており、一度お打合せができたら幸いです。急なお話で恐縮ですが、今週、東京出張があり○月○日に貴社にご訪問することは可能でしょうか?

その日の夕方には、フライトがあるので、ピンポイントでの打診になります事、ご容赦下さい。宜しくお願い致します。

編集部全員が初耳だったその町から東京へやって来るという、メールの送り主の下川町産業活性化支援機構の長田拓さん。

今日は、この長田さんともとくら編集部との出会い、そしてこれから一緒にプロジェクトを行う下川町という町についてのお話です。

まずは下川町へ行ってみよう

連絡をくださった長田さんは、ご自身も大阪出身で下川町への移住者です。地域を盛り上げる仕掛け人の一人として、数年来活動しています。

メールを受け取った編集部・くいしんとWasei代表の鳥井は、長田さんの熱意と町が目指す暮らしを聞き、まずは現地へ行ってみることに。

そして「地域特集をつくって記事ベースで発信するだけではなく、下川町まるごと、もとくらと一緒にPRしていけないだろうか」という話で盛り上がり、編集部から誰か町へ派遣し、連携を取れないかということになりました。

当時、東京以外の場所で活動することに興味があった私・立花が、その話を聞いて名乗りを上げ、ついに2017年度から地域おこし協力隊として下川町へ移住することに。これからは東京と下川町をつなぎ、地域の垣根を超えて魅力を伝える広報として、現地で活動する予定です。

下川町の立花

北海道下川町ってどんなところ?

さて、そこまで編集部が惚れ込んだ下川町。

一体どんな町なのでしょうか?

森

北海道上川郡下川町は、道北に位置する人口約3,400人の町です。広さは東京23区と同じくらい。ちなみに23区内には2017年2月現在、約1,300万人が住んでいます。現地へ訪れた際、中心地がぎゅっとまとまっており、あとは森や平地が広がっている印象でした。ご近所さんを訪ねるのに徒歩数分かかる、というのも珍しくなさそうです。

町自体は天塩川の上流域にあり、この天塩川は日本で唯一北に向かって流れる川です。明治34年(1901年)に岐阜県からの開拓者が集団移住したことにより開拓され、歴史が始まったと言われています。

下川町は、通称レジェンドで有名なスキージャンプの葛西紀明選手の出身地でもあり、町中には無料で使えるジャンプ台が設置されています。スキーやジャンプの部活動やクラブなどで子どもたちが合宿に訪れることもあるそうです。

基幹産業は林業と農業。農業は、トマトやアスパラ、そして小麦が有名です。夏は気温が30度近くまで上がり冬はマイナス30度まで下がることもあるという寒暖差を生かした栽培方法で、甘みの強いトマトが採れるのだそう。小麦は北海道のブランドでもある「ハルユタカ」という貴重な小麦を生産しています。道内でも江別市と下川町、お隣の美深町あたりでしかつくられていない小麦だそうです。そのため、町中でもハルユタカを使った手延べうどんや地ビールをいただくことができます。

産業の中でも、下川町と切っても切り離せないのは林業の存在です。町内で働く人々の多くが林業や森に関わる仕事をしており、町を支えているのです。

“森と暮らす”を体現している町

去る2017年1月中旬に、地域おこし協力隊として移住するため、私と編集部・タクロコマのふたりで下川町役場への顔見せと面接に向かいました。

対応してくださったのは、三条課長。下川町の林業と暮らしのイロハを教えていただきました。

ピンチを乗り越え町の資源で生き残る

三条課長 これからよろしくお願いしますね。今日は、下川町の主に林業のことをお話しできればと思っています。

立花 はい、よろしくお願いいたします! 林業はもとくらの取材でも何度かでてきている大事な産業の一つですが、まだ知らないことがたくさんあるのでいろいろ教えていただきたいです。

三条課長
三条幹男課長

三条課長 まず、どうして下川町で林業が興ったかというと、町の面積の9割近くが森林だったからです。けれど、そのほとんどが国有林で国の財産です。だから下川町民が自由にできる木材っていうのは少なかったんですね。

立花 はい。

三条課長 そこで、昭和28年(1953年)に自分たちで木を切って町の財産にできるように1,200ヘクタールの国有林の払い下げを受けました。国から買うことを、払い下げって言うんだけどね。

当時、下川町の財政は年間1億2,000万円くらいだったんだけど、8,800万円かけて払い下げを受けて。

立花 思い切った投資ですね。

三条課長 その1,200ヘクタールの山で天然林を育てて製材して売る森林産業を進めようと思っていたんだけど、次の年の昭和29年にものすごく大きな台風が直撃したんです。北海道って滅多に台風が来ない地域なんだけど、その年はすごかった。洞爺丸っていう船が台風の直撃を受け、沈没してしまった事故があったから、洞爺丸台風って呼ばれています。

で、その洞爺丸台風でせっかくこれから育てようとしていた1,200ヘクタールの山の木がほとんど倒れてダメになっちゃった。だから計画が全部パアになって、8,800万円の借金だけが残りました。

立花 早くもピンチです……。

三条課長 そうなの。しかも、被害で倒れた木はそのままにしておくと腐って山が荒れてしまうから、処分しなくちゃいけない。だからその年から4年かけて倒れた木を全部処理したんだけど、根元からポキッと折れたもんだから丸太に製材することはできて、その木材がラッキーなことに高く売れたんです。

立花 ということは、天然林を育てて製材して、というサイクルはできなかったけれど、借金返済はできたということですね。

三条課長 はい。でもね、台風で木々が倒されちゃったし製材して売っちゃったから、山には何もなくなっちゃったんです。

立花 背水の陣ですね。

三条課長 そこで、人工林を植え始めました。針葉樹なら60年くらいでがっしりした太い木に成長するから、毎年50ヘクタールの土地に木を植えて60年育てる。それを毎年繰り返していくと1年生から60年生の木々が育つ山が出来上がるんですね。

立花 ある区画に木を植え、翌年は違うエリアに新しく木を植えるということを毎年続けているということでしょうか。

三条課長 そうです。たとえば町内の山の中には、町有林がまとまっているエリアがあります。今年はこの5ヘクタール内に植えよう、来年はあの山の10ヘクタールの木を切って、新しく植えよう、っていう風に育てる場所を点在させています。同じ場所で毎年やると環境に影響があるからね。そういうバラバラのエリアを全て合わせて50ヘクタールということです。

立花 なるほど。

三条課長 人工林をつくることで定期的に山の手入れをする仕事が生まれ、木工場で加工するから雇用もできます。しかもこの山の木々は町有林で下川町のものだから資源も町の中で使える。このまちおこしセンター『コモレビ』も、町役場や学校も下川町の木々が使われています。

こんな風に、資源もお金も雇用も循環する。それが僕たちが考えて実践している持続可能な森林経営です。

余すことなく木を使い、活かす

三条課長 ただ、木を切るだけではなくて間伐など山の手入れや木材加工をする中で出てくる副産物もたくさんあるんです。おがくずとか、木の破片とか。そういったものも活用できないかと思って、加工品もたくさんつくっています。

トドマツの葉からアロマテラピーオイルや防臭剤をつくったり、木工作家さんも最近は増えてきたりしています。

コモレビ
まちおこしセンター「コモレビ」。木工作家さんの作品など、下川町発のアイディア製品が並ぶ

立花 素敵ですね。

三条課長 余すことなく木を使うという意味で、代表的な取り組みは木質バイオマスエネルギー。これまで未利用だった残材を集めて木質バイオマスボイラーで燃やして生じる熱を、公共施設に供給しようという取り組みです。これは平成16年(2004年)から本格的に導入していて、今は小中学校や町内の五味温泉、140名の集落がある一の橋地区へ供給しています。

今後は下川町の全住宅や施設に、この木質バイオマスで熱を供給したり、発電もしたいなと思っているんですけどね。

熱供給システム

原木を加工する際に出る端材。これらをボイラーに投入して燃やし、その熱を供給する
原木を加工する際に出る端材。これらをボイラーに投入して燃やし、その熱を供給する

立花 その木質バイオマスエネルギーを使うことで、どんな風に町が変わるんでしょうか?

三条課長 公共施設で熱が安く使えるようになるから、町の経費削減につながるんだよね。その浮いたお金で子どもたちの給食費や医療費を安くしたり、赤ちゃんがいる家に育児手当のように配給したり……。町に暮らす人々にとって目に見える形で還元していきたいと思っているんです。

今のところ下川町が目指しているのは、町中のエネルギーをすべてこのバイオマスボイラーで出る熱だけ使って暮らせるようになること。もしできたら、日本初だね。

食べ物は誰がどこでつくっているか気にするのに、木材はどうでもいいの?

立花 起死回生をかけて森を活かす道を選び、今に至ったという歴史が分かりました。

三条課長 ただね、日本の木材というのは安い外国の輸入品に押されているんです。

でも、下川町の木材は適正に管理されているのが売り。平成15年(2003年)には「FSC®認証」っていう国際認証を受けました。このFSC®認証を受けたのは、下川町が北海道で初なんです。

食べ物なんか、今は誰がつくったのかを明示することが求められていますよね。でも木材はどこで生産されたものかあんまり気にされていない。安い木材は大量伐採されて木々が植えられ、土地が荒れているなんてことも珍しくない。下川町の木材は、環境に配慮した方法で無理なく育てられているから本当は世界に誇れるものなんです。

説明を受ける立花

立花 下川町の木材を広めるために、どんなことをされているんでしょうか。

三条課長 シンプルなのは、建物を建てるひとでFSC®認証の木を使ってくれる場合、補助金を渡してサポートし、地元の木材を地域で使いやすくできる補助制度を設けました。

FSC®認証の木材や下川産の材を使った分だけ補助をして、さらには下川の工務店を使ったらいくらっていうふうに条件もつけて、なるべく下川の材で、下川の工務店が家を建てられるように制度を整えました。

環境未来都市として“これからの暮らし”のお手本に

三条課長 こうした取り組みが評価されて、平成23年(2011年)には、国から環境未来都市として認められたんです。

立花 環境未来都市。

三条課長 環境や地域の暮らしの課題と向き合って、解決策を実践している地域に認定されるものです。

僕らとしては森を生かした事業を長いこと続けてきたから2030年までに「森林未来都市」として確立するのを目指しています。

森林未来都市として、大事にしているのは3つの柱。林業の活性化と、エネルギーの自給、そして誰もが安心して暮らせる町づくりをすることです。

立花 林業とエネルギーについては理解できたのですが、安心して暮らせる町づくりという部分は、具体的にどんな取り組みをされているんですか?

三条課長 下川町には、五味温泉っていう公共の温泉があるんだけど、そこに行くための乗り合いバスを走らせたり、「見守りサービス」と言って、下川町の約1,700世帯あるうちの約500世帯が65歳以上の高齢者だから、希望するひとには朝と晩に一定時間ひとの動きがないと直接消防へ通報が行くシステムを導入したりしています。あと「買い物支援」。お年寄りは冬は特に雪深いし足がなくて買い物に行けないから、ワゴン車で商品をお届けするような支援をやっています。

立花 国の認定や補助を受けつつ、いろいろな施策を打っているんですね。

三条課長 そうだね。ただ、なかには「下川町ばかり補助金をもらってズルイ」って言われたこともあります。

でも僕は、補助金を使って町の人々のための施設をつくったり、仕事ができたりするなら構わないと思ってる。自分たちの暮らしがより良くなるなら、新しい取り組みを進めて補助を得たほうが、結果的に町のためになるんじゃないかって。

立花 そういう意味でいうと、「やろう!」と決めたことを提案・実行するまでに、かなりスピード感があるなと思いました。

三条課長 やらないとさ、下川町がなくなっちゃうから。

ただ、山をつくったり木材を加工したり、バイオマスエネルギーを普及したりしていると、だんだん成果として現れてきていて、よそから移住してくる転入人口が町の外へ出る転出人口を上回ったの。これって本当にすごいこと。

昔はピンチの連続で、お金もないし、自分たちがやろうと思ったことがすぐにはできなかったけれど、みんなで集まれば結構できることってあると思います。アイディアはあるんだけどお金がない、とか、お金はあるんだけど知識がないとかさ。そうすると大学の先生と一緒にやってみたり国に補助金を出してもらったり、下川町の中で暮らすひとのやる気さえあれば、いくらでもできることはあると思うんです。

きっと、そういう姿勢のひとたちの実績が徐々に形になってきて、絡み合って、今の下川があるんじゃないかと思いますよ。

“これからの暮らし”を探るべく、北海道下川町へ

じつは私にとって、下川町へ顔合わせに行った日が人生で初めての北海道訪問でした。

北海道下川町

正直にお伝えすると、何よりも一番衝撃だったのは、下川町でひとが本格的に根付き暮らし始めたのは1901年だということ。110年ほどの、まだ始まったばかりの歴史を持つ町が日本に存在するのだという事実が、私にとって本当に大きな驚きだったのです。

そして同時に、ひとが生きていくために目の前にある森や木々という資源を使って産業を生み出す、発想の転換の速さと実行力も感じました。もともと何もなかった土地でひとが暮らしを築き上げ、仕組みとして確立させてきた軌跡は、ある種の近未来感すら覚えます。

「これからの暮らしを考える」という謳い文句を掲げて始まった灯台もと暮らしですが、下川町は既に“これからの暮らし”のモデルケースを実践しているような感覚を抱きました。

これから3年間、どんな化学反応が下川町で起きるのか。

町の歴史や森のことを学びながら、未来をつくるお手伝いができればと思っています。

(この記事は、北海道下川町と協働で製作する記事広告コンテンツです)

感想を書く

探求者

立花実咲

1991年生まれ、静岡県出身の編集者。生もの&手づくりのもの好き。パフォーミングアーツの世界と日常をつなぎたい。北海道下川町で宿「andgram」をはじめました。→ さらに詳しく見る

詳しいプロフィールをみる
【下川町日記】6月中旬、やっと春本番の緑が萌えています 世界を変えたいならまず自分が変わる。北海道下川町を“森と暮らす”先進地域へ|奈須憲一郎

目次

特集記事一覧

探求者

目次

感想を送る

motokura

これからの暮らしを考える
より幸せで納得感のある生き方を