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【西荻窪】古民家スペース「松庵文庫」に集まる変わらない暮らし、声と音

帰りたくなる町に暮らそう。【西荻窪】特集はじめます。

西荻窪駅(以下、愛をこめて西荻)の南口を、まっすぐ歩くと、すぐに住宅地に入ります。その中に、突如表れる古民家が「松庵文庫」。ポケットにお財布とハンカチだけ入れた、軽装のおじいさんやおばあさん、ベビーカーを引いたお母さんたち、カップル、小さな革のショルダーバックをかけた一人の女の子……そんないろいろな人々が、ぽつりぽつりと「松庵文庫」に入っていきます。

もともと音楽家のご夫婦が暮らしていた古民家を、西荻に住んでいた岡崎友美さんが譲り受け、カフェやイベントスペースを持つ「松庵文庫」という空間に創り変えました。老若男女が集う「松庵文庫」からは、昔は音楽が、今は談笑する人々の声や息遣いが、漏れ聞こえてきます。

この古民家は町の財産

── 「松庵文庫」があるこの家は、かつて音楽家のご夫婦の民家だったのですよね。

岡崎友美(以下、岡崎) そうです。私は以前からここの近くに住んでいるのですが、この家のご主人が亡くなって奥様が家を手放すと伺って、「取り壊すなんてもったいない! この家を守らなくちゃ」と思ったんです。

岡崎友美さん

── ギャラリー&ブックカフェという謳い文句がついていますが、もともとそういう場所にすることは決めていたのですか?

岡崎 いいえ、この空間を守って多くの人にシェアしたいと思っていましたから、最初はシェアハウスなども考えていました。でも、間取り的に不向きだったので、1階はカフェとギャラリー、2階にはイベントスペースを設けて、現在はヨガやワークショップを開催しています。

── 家を守り、雰囲気を共有できれば形態には特にこだわりはなかったんですね。

岡崎 そうですね。西荻って古いものを受け入れる土壌のある地域ですから、古民家で落ち着いてコーヒーや読書を楽しめる場所があれば、喜んでくださる方はいらっしゃるだろうなとは思っていました。

松庵文庫

「松庵文庫」ギャラリーのようす
「松庵文庫」ギャラリーのようす

── この古民家の、どんなところに強く惹かれましたか?

岡崎 広い庭と、空間が持つ雰囲気かなあ……都心で、もう一軒家が建つくらいの広さがある庭って、とても贅沢なつくりです。庭の中央には、樹齢100年というツツジの木があって、5月の満開の時期に合わせてわざわざお店に来てくださる方もいらっしゃいます。満開になると真っピンクになって、光の反射でお客様の顔がピンクに見えるくらいなんです。お店の中も、ピンク色でいっぱいになりますね。

松庵文庫のツツジの木
「松庵文庫」にあるのツツジの木

岡崎 それから……私がもともと古いもの好きということもありますが、この家が持つ時間の流れ方がとても素敵だと感じたんです。

家の裏手の路地を入ったところに、以前、大きなしだれ桜がありました。春になるとそれを見に来る地域の人がいたんですけど、マンションを建てる時に切ってしまったんです。その後、しばらくしてから「このへんに大きなしだれ桜がありませんでしたか」とおっしゃるお客様がいて。

なんでもない、道端に生えている植物でも、花が咲くのを楽しみにしていたり、わざわざ見に来たりする人はいます。そういう何気ない風景が、町の財産のひとつだと思うんです。だから、西荻でずっと生きてきた家も、移り変わる時代の中で、消えてしまってはいけないと思うし、集まってくる人たちから、この家を奪ってはいけないと思いました。

── お店に入るときに靴を脱ぎますが、それがより一層、お店というより古「民家」なんだなあと感じます。

岡崎 お店なのに、誰かの家のようですよね。「お邪魔します」と言いながら上がる方もいます。

……じつは、最初は土足にすべきか靴を脱いでもらうべきか、すごく悩んだんです。靴を脱いだり履いたりするのはめんどうだから絶対土足の方がいいとは言われました。でも、もともと人が暮らしていた家だから、土足はこの家を踏みにじる感じがして、抵抗があったんです。だから最後まで悩んで、お客様には靴を脱いでもらうことにしました。

この前、カップルのお客様が、土日で入口のところにいっぱい靴があるのを見て、「ホームパーティをやっているみたいだよね」とおっしゃってるのを聞いて、まさにそのとおりだと思います。

西荻村は居心地最高。ここで暮らせて良かったなあ

─ 先ほど、西荻は古いものを受け入れてくれる雰囲気があるとおっしゃっていましたが、ほかに岡崎さんが感じるこの町の魅力はありますか?

岡崎 西荻に暮らしている人たちって、「野菜を買うなら小高商店」「魚なら日南水産」というふうに、目的に応じて買うお店を決めて使い分けている気がします。

散歩をするのも楽しいし、おいしいものがたくさんある。カレー屋さんひとつとっても、「オーケストラ」さんとか「Spoon」さんとか「大岩食堂」さんとか……「大岩食堂」さんは、うちのスタッフのまかないがなくなったらお願いするくらい、定番になっています。あとは一人でごはんを食べに行くなら「夢飯」(ムーハン)さん。いつ行っても安定した美味しさだから大好きだし、家族で行くなら「松本」さんっていう中華屋さん。間違いなく美味しいから。

他の地域はどうなのか分からないけど、西荻で暮らしていればこの中でほとんど用が足せる。しかも、選ぶのが楽しいくらいどれも素敵なお店ばかりだから、私の暮らしは西荻でできあがっていますね、外に出る必要がないんです。

── 岡崎さんは西荻在住歴はどれくらいなのですか?

岡崎 約10年ですね。地元は横浜ですが、西荻のほうが暮らしやすいなと感じます。

── とても西荻暮らしを満喫されているように感じます。

岡崎 気づくと西荻から出ない生活になっているから、銀座とか新宿に行くと、人とモノの多さにちょっとびっくりしますね(笑)。他の町に親しみのあるお店がたくさんあるわけでもないし、西荻村が一番居心地がいいんです。

── 10年暮らしていて飽きない町なのは、岡崎さんが楽しみ上手なのもあると思います。

岡崎 そうですか?(笑) でも、暮らしていてこんなに楽しい町があるんだって発見できたのは嬉しかったですね。もう今後、西荻から離れる気持ちはないし、最終地が西荻で良かったなって、思いますよ。

人が生きてきた、その分だけの時間が流れる場所

松庵文庫

── 「松庵文庫」がオープンしたことで、岡崎さんの暮らしはどう変わりましたか?

岡崎 ものづくりや食べ物に対する考え方が、すごく変わりました。今までは、流行を消費者の一人として追いかけて、買ったり食べたりしていました。でも、「松庵文庫」のギャラリーやワークショップ、イベントを通して、作家さんやものづくりをされている方々に会うようになってから、モノが生まれた背景を、とても大切にしたいと思うようになりました。マスコミが発信していることだけではなく、作り手の言葉に耳を傾けることで、顔が見えるようになったのは一番大きいですね。

松庵文庫

岡崎 「松庵文庫」があるこの家も、もともと暮らしていたご夫婦の人生と歴史があるし、音楽家さんだったから教え子さんもたくさんいらっしゃるんです。

家を引き継いだ後に知ったことですが、未だに訪ねてくださる教え子さんもたくさんいらっしゃって。一軒の古民家に、こんなに深くて多様なストーリーがあるなら、より守らなければと思いました。

── 岡崎さんがおっしゃった「家が持つ時の流れ」のようなものが、なんとなく分かった気がします。

岡崎 「ピアノがここにあったわよね」って盛り上がっていたり、一人でいらっしゃって「先生とお茶を飲みに来ました」と、コーヒーを2つ注文する方がいたり。教え子さんに「この家を残しておいてくれてありがとう」とおっしゃっていただいて、暮らす人だけではなく、その人の人生の登場人物の方々の暮らしにも根付いていた場所なのだなと、ひしひしと感じました。

こればっかりは「松庵文庫」を始めないと分からなかったことです。亡くなったご主人に、ありがとうと伝えたいですね。

松庵文庫

── 家が持つ時間の流れは、他の場所で代用できるものではありませんよね。岡崎さんが、これから「松庵文庫」でやりたいと思っていることがあったら、教えていただけますか?

岡崎 考え中なのは、日本のおいしいお米に合う、国産やビオワインを昼から安心して楽しめるようにしたいということです。古民家でワインって、悪くない組み合わせだな、と。ダメならダメでいいから、楽しそうだなと思ったことは、とりあえずやってみたいですね。

── お昼からワイン、いいですね。お客様に教え子の方が多いなら、演奏会を開催するのも良さそうです。

岡崎 そうですね。この家の奥様が「音が流れていると、家が喜んでいるようだ」とおっしゃっていました。

私、奥様の言葉で印象に残っているフレーズがあって。「クラッシックの最終楽章は、みんな名曲ぞろいだと思っているけど、じつはつまらないものが多い。でも、私の人生の最終楽章は、岡崎さんがこの家を『松庵文庫』として息を吹き返してくれたから、すごく楽しいものになったわ」と。

今は、85歳くらいのおばあさんなんですが、こんなふうに言っていただく以上のことはないかなって。

── 新しいものがどんどん出てくる世の中で、「松庵文庫」が持つ安心感を、いろんな方が感じているのでしょうね。

岡崎 この家を壊して、マンションやビルを建てることは簡単です。でも、培われた時間や、その時間を過ごしてきた人生を壊さず、守っておくことにどれだけ意味があるのかを実感しました。これからもこの家を残し続けるためには、あとは私の覚悟ひとつだと思っています。

松庵文庫

お話をうかがったひと

岡崎 友美(おかざき ともみ)
短大を卒業後大手都市銀行に勤務。その後旅好きが高じて旅行会社の海外添乗員となる。結婚を機に退職。その後は専業主婦として子育てに専念。松庵文庫の建物を残したい一心で周りの人々に支えられ現在に至る。仕事を通じ、もともと興味のあったうつわや、作家さんとの出会いが増え、忙しいながらも充実した日々を送る。これからもご縁を大切に居心地の良い場所作りを目指す。

このお店のこと

松庵文庫
住所:東京都杉並区松庵 3-12-22
電話番号:03-5941-3662
営業時間:11:30~18:00
定休日:月曜日、火曜日
公式サイトはこちら

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立花実咲

1991年生まれ、静岡県出身の編集者。生もの&手づくりのもの好き。パフォーミングアーツの世界と日常をつなぎたい。北海道下川町で宿「andgram」をはじめました。→ さらに詳しく見る

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