花に触れたとき、海を眺めるとき、山の空気を吸い込むとき、「元気が出る」とか「優しい気持ちになれる」ことってあると思います。
今まで許せなかったことが許せたり、引きずっていた後悔に踏ん切りがついたり、何か新しいことを決意してみたり。
「自然」には、私たちを精神的に豊かにしたり、またあるときには救ってくれたりするような、何か特別な力があるのではないかと私自身は考えていました。
十和田湖・奥入瀬でネイチャーガイドを務める村上周平さんは、10年前、青森県十和田市に移住してきました。現在は、ネイチャー散策(ランブリング)と、十和田湖のカヌーツアーを実施しています。
今回、村上さんにお話をお伺いしたことで「自然が持つ力」について、ひとつの答え合わせができたような気がします。
「個として自然を見られるようになると、自分以外の命が無数にあることに気づく」
「自然を好きになってくれることは世界平和に繋がると思う」と語る村上さん。
十和田の自然と人と触れ合ってきた村上さんが自然の持つ力について出した答えは、「平和」と「調和」。そして、その力を感じ取るために必要なことは、一枚の葉の葉脈の形や、ひとつの花びらのつき方といった「自然の個を見つめる」ことでした。
自然の好きなところは人それぞれだと思います。だけど、村上さんの言うような「個を見る視点」で自然と関わりを持てたら、私たちは日々の中で誰かにもっと優しくなれるかもしれない、そう思わずにはいられないお話でした。
(以下、村上周平)
自然を意識したのは「命への関心」から
「自然」に興味を持ったのは、父と山登りをした幼い日がきっかけだったと思います。
空が青いのはなぜだろう? 海が塩味なのはなぜだろう? という疑問と同じくらい漠然と、「命ってなんだろう?」と子どもの頃の僕は思ったんです。自分だけじゃなくそれ以外の命、つまり動物や植物に好奇心をそそられました。
でも小さい頃は、自然に対する好きという感情が「自然の何が好きなのか」とか「自然にはどんな力があるのか」とか全然わからなかった。ただ、目の前に広がる自然の大きさに圧倒されて感動したんだと思います。
アウトドアガイドを志したのは社会人4年目のときでした。
それまで北海道栗山町に生まれ岩見沢市で生まれ育った僕は、地元で就職し当時は営業の仕事をしていました。中学・高校と特に夢もなく大人になったんですけど、やっぱりもう少し夢を持って働いてみたいなと思ったんです。
そんなとき、子供の頃からずっと好きだった自然の中で、何かをやってみたいと思いました。そして22歳の時に北海道のアウトドアガイド養成専門学校に通うことを決めたんです。
「動」と「静」という自然との関わりかた
現在、僕が十和田湖でカヌーツアーをやっているのは、アウトドアガイド養成専門学校時代にカヌーに出会ったことが大きいです。
それまで自然のフィールドでも山や森ばかりで遊んでいて、水の世界とは親しんでこなかった。だけど、専門学校の体験授業の中でラフティングとカヌーに出会い、後者を選んだんです。
どうしてかと言うと、僕自身が技術や知識を蓄えていく中で自然を体感することよりも、自然を見ることの方が好きだと気づいたから。
カヌーって自分の力加減で水の抵抗を感じながら自由に漕げるでしょ?
そうすると自然の姿形をそばに近づいてじっくり見る事ができる。だからラフティングを「動」とするなら、カヌーは「静」だと思ったんです。それまで「自然の何が好きか」がわからなかったのですが、「静」を見ることのほうが、自分が好きだったことにカヌーとラフティングどちらも体験して気づきました。
十和田の自然を自慢してほしい
僕が十和田市を選んだ理由ですか?
北海道でリバーガイドとアウトドアショップの店員をやっていたときに、知り合いのガイドから「十和田で自然体験ツアーの会社が立ち上がるんだけど、どう?」というお話をいただいたことがきっかけでした。
もともと、地元・北海道以外の自然ももっと見てみたいという気持ちがあったので、「よしきた」という気持ちで移住を決めました。それまでは十和田がどういうところかもよくわからなかったんですけど来てみたら驚きましたよ、この自然の豊かさに。
十和田には、見ていて活力や優しさを分けてもらえるような自然がたくさんあります。天然の巨木、ブナがこうして形として残っていることはじつは当たり前のことじゃないんです。
よく、ツアーに参加してくれたお客さんで「東北の自然は優しい」と言ってくれる人がいますけど、そういう発見の声を聞けることが嬉しいですね。僕が教えるというよりは、一緒に発見していくのがこの仕事をしていて一番楽しい瞬間です。
個として自然を見つめると、人はどうなれるのか
ネイチャーガイドをしているうちに僕自身の自然への見方が変わってきました。
どう変わってきたのかというと、大きな自然を形成している小さな自然、その最小単位である「個」を見ることに価値があると思うようになったんです。
個とは、大きな森全体じゃなくて葉の形とかブナの樹の模様のこと。ひとと同じように、ブナも全く同じブナなんて存在しません。そうやってじっくり自然を見ていくと、ひとつの生命には個性があって、自分以外の命(個性)が無数にあることに気づく。
これに気づくことは、大げさですけど世界平和に繋がると思うんです(笑)。
日本古来の神道、八百万の神やアイヌ文化の信仰がそうであるように、森羅万象には神が宿り、崇め、畏れ、感謝をする。でも神だからって、人間より上とか下とかないですよ。ただひとつの生命として尊重すべき命が存在している。そのことに目がいくようになると、他を受け入れる心の余裕ができて差別もなくなると思いませんか。
また、自然は厳しく食うか食われるかの世界です。その中で、種は独自のライフスタイルを築き懸命に命を繋いでいます。個を見るということは、ただ美しい姿を見るだけでなく、ハンティングのシーンや骸(むくろ)など「生」だけでなく「死」の場面を垣間見ることもあります。
そうした場面は喜怒哀楽といった人の感情を大きく動かし、感性を養うことができる大切な瞬間だと思います。そういうふうに感性を磨き個として自然を見れるようになると、きっと、ひとにも優しくなれると思います。という意味では「平和」とか「調和」の力があるのかもしれませんね、自然には。だからもっといろんなひとに、自然を楽しんでほしい。
十和田の自然には縄文の時代から色濃く残る歴史のおかげか、深い森があります。そこに生きる生命たちが、時を超えてひとつの生命としてあり続けていることを訴えてくれると思うんです。だから僕も十和田の自然に惹かれているのかなぁ。
移住してから10年、いまだこの小さな生命がつくり上げた大きな世界に飽きたことがありません。
次の世代まで見せていきたい自然がある
僕はカヌーツアーとネイチャー散策をやっていて、別々のことをやっているように思われがちですけど根幹は一緒なんです。
「自然を楽しんでほしい」、これだけです。そのために水の上ではカヌーを使うし、地上の散策ではルーペを使う。ルーペを使うともっと小さな世界を知れるし、双眼鏡使えば遠くの景色、鳥とかも確認できますよね。そうやって自然を楽しんでもらうことだけを考えています。
日本だとネイチャーガイドって国家資格じゃないので、名乗れば誰でもなれるんですよ。でも、ボランティアガイドと違うのは責任を追求されるところだと思っています。自然を楽しんでもらうために絶対に必要な安全管理。それから聞かれたことに地域の魅力をプラスアルファして伝える意識。これらがないといけません。
そこに対価が払われるシステムがこれからもっと出来上がっていってほしいし、そうしないと地域も潤わないような気がします。僕としても、これからも今の世代、そして次の世代にこの自然を見せていきたいからそこのシステムづくりが固くなってほしい気持ちはありますね。
十和田には終わりなき自然の世界がある
これからやっていきたいのは、もっと十和田の自然を多くの人に紹介したり、次世代の人にもより広く見せていったりすることです。
意外と地元の人は、近すぎて足を運んでくれないのが現状なんですよ。地元の人には、地元のいいところと悪いところをしっかりと知って、その上で自分の土地を自慢してほしいと思っていて、それを聞いて知らない人も来てもらうっていうサイクルが必要だと思うんです。
十和田のひとも帰省して友達を連れて十和田湖に来てくれたりするんです。でも、来ておわりになったらちょっともったいない。もう一歩踏み込んで、どういうところがいいのかを知ってもらえれば、より自然を楽しめるし地元の自然への理解も深まるじゃないですか。そういうところに僕らを利用してもらえればいいかなと思います。
そのためにもこれからもネイチャーガイドとして、「終わりなき自然の世界」を追求していきたいと思います。まだまだ、十和田には僕も知らない自然の物語がたくさん詰まっているから。
(この記事は、青森県十和田市と協働で製作する記事広告コンテンツです)
お話をうかがったひと
村上 周平(むらかみ しゅうへい)
1980年、北海道夕張郡栗山町に生まれ、岩見沢市で育つ。アウトドアガイド養成専門学校卒業後、北海道でリバーガイドとアウトドアショップの店員として働いたのち、2008年にガイド仲間のお誘いで十和田に移住。現在は青森県内でアウトドアグッズ販売・ツアー企画を手がけるネイチャーエクスペリエンス グリーンハウス(NEx)に所属