編集部自身のこれからの暮らしを考える企画【ぼくらの学び】。僕は幼い頃に、地元にあるお城のお堀で河童(かっぱ)を見た記憶があります。あれは本当に河童だったのか、それとも他の何かなのか、今でも会うことができるのか……。
民俗学者の柳田國男が書いた『遠野物語』を読むと、妖怪は日本の暮らしに古くから根付いている存在ではないかと感じられます。実際に遠野では、多くのひとが妖怪の存在を受け入れ、目には見えないけれど存在するであろう何かを大切に扱っています。
また別の地域へ取材に言っても同じようなお話を聞く機会があるかもしれません。これからの暮らしを考える上で、妖怪のような目に見えない不確かな存在について学ぶことは、必要なことに思えたのです。
第2回目となる今回は、初回に引き続き、『山怪 山人が語る不思議な話』(以下、『山怪』)の著者である、カメラマンの田中康弘さんにお話をうかがいます。
お話は、人間が誰しも持っている、死生観の話へと及びます。
昔は死が身近にたくさんあった
── 編集長の佐野から聞いた話なのですが、岩手県遠野市の方にお話を聞くと「妖怪や目に見えないもののことを全然否定していなくて、存在を認めた前提で話ができる」と聞いて、おもしろいなと思いました。
田中 「そんなことは絶対にないんだ」と言ったら話はそれでおしまいですから。水木しげるさんも、小さい頃に自分に一生懸命話をしてくれたひとがいたから、表現できたのだと思います。
── 賄い婦だった「のんのんばあ」ですね。
田中 そうそう。遠野の山のほうだと、家そのものがまず古い家だし。たとえば便所は古くて汚くて、子どもからしたら、それだけで夜に行けないくらい怖いですよ。仏間にある肖像画とか、大抵どこから見ても視線が合うように見えるし、不気味ですよね(笑)。
── 怖いです(笑)。遠野は『遠野物語』と語り部さんたちの存在によって、物語を語り継ぐこと自体に強い想いがあるんだなと感じました。
田中 伝統芸というか、受け継いでいくものですよね。記憶に残るのが、遠野の“語り”だと思います。
でも『山怪』に出てくる「小さな話」というのは、記憶に残らないんですよ。忘れちゃう。ところが前もって「山でこういうことがあると、タヌキの仕業だよ」という話を聞いていると、山で不思議なことがあったときに「あれはタヌキなんだ」って思えるでしょ。そうすると、不思議なことに遭遇したひとが山を降りてから「今日、タヌキがね」と話して聞かせるんです。
この本にも書いてありますけど、怖い話を年寄りがするから子どもたちが怖がるんじゃないかと言うひとがいる。でも小さな話を聞いておかないと、怖がるとか怖がらないではなくて、山で何かあっても、何も感じない、感じることができないんですよ。だから話はどんな形でも聞いておくのに意味があると思います。遠野の場合は、それが観光や町興しにもなっているからね。もちろんその意義もあると思いますよ。
── 人々の語りが、感性を育む助けになっていたんですね。
田中 そうです。でもね、今は家で怖い経験をすること自体ないでしょう? 昔は今よりも、簡単に目の前でひとが死んでしまっていました。春先になると水路に水を張るんですが、大抵そこに落ちて死んでしまうひとが毎年いました。河童の話はまさにそうですけど、農作業の時期に水が増えますから、必ず全国で何人かは死ぬんですよ。
今も山仕事は、労災としてもっとも危険な部類に入れられています。山は本当に危険な場所です。大怪我するくらいならともかく、バサッと大きく切ってしまったら、もう助からないですから。昔はたとえば奥多摩でも、手当のできる場所まで運ぶのに、2時間はかかりました。
かつては、それくらい山が危険だった。「死んでしまう」ということが身近にたくさんあったんですね。特に東北地方の農山村に行けば、そうした気配のようなものが色濃く残っていますね。近畿や奈良県の紀伊半島、天川村も結構濃い山だなぁと思いますね。
山の険しいところに妖怪が多い?
── 田中さんのご出身である、長崎県の佐世保市はどういった場所でしたか?
田中 山はあるにはあるけど、深い山ではありませんでした。雪に閉ざされるわけでもないし、山も険しくなく、ひとの動きが活発なんです。九州の山は枯れ山で、沢もだいたい枯れている。大雨が降る時期に多少流れるくらい。
東北の山に行くと、雪の多いところはすごいわけです。毛細血管みたいに水が流れていて、当然そこにコケや下草、バクテリアなど、やまほど命があるんですよ。向こうのひとはそれが当たり前だからなんとも思わないんだけど、私からしたら山の生命力が九州のとは全然違う。山の力に、呑み込まれるんです。子どもの頃に斜面をたららっと歩いていたときとは、感覚が全然違いましたよ。九州には不思議な話も少ないですから。
── 九州には妖怪が少ないんでしょうか?
田中 そうかもしれない。九州にそういう発想がないのは、海に囲まれていて山がなくて、大きな川がないからでしょうね。東北は反対に、山からすべての水が来る。つまり、自分たちが生きるための農作物を育てるための水は、山から流れて来るという認識が九州よりも強いんですよ。
上に行けば行くほど、水も綺麗になるし、空気も綺麗になる。だから山のてっぺんに一番清らかなもの、神のようなものを感じるわけですよね。日本では、高い山はすべて信仰の対象でしょう。山の上には何もないんですけどね。何もないことが大事なの。何もないんだけど、自分たちの源流がそこだと感じ取っているわけですよ。それが山への信仰。
西洋に行くと、信仰の対象が天まで行くんですが、天まで行くと、もう手が届かない。具体的に自分たちが行って、見ることができるのは、山の頂上までなんですよ。それは日本の信仰では重要なことだと思います。そこから順序よく流れてくる水と共に、下に行けば行くほど生命が増えて、その中に自分たちが食べるものもたくさん生まれる。原点が山なんですよ。
── 山に入ると落ち着きますか? それとも、早く出たいというような恐怖がありますか?
田中 私はひとりで入ることはなくて、現地のひとたちと、何かをやるために入ったことしかありません。マタギと山を歩くのは、その行為自体が楽しいですよ。物理的に迷うので、ひとりでは絶対に入らないですけどね。あんなところで迷ったら本当に二度と帰って来られません。
山に入るひとたちにとって、一番の問題は「迷うこと」なんですよ。迷って、出られなくなることが、大問題。これは古今東西変わらない問題で、よくあるのが普通の自宅の近所にある山の中でわけわからなくなっちゃって、出られなくなってしまうこと。これは珍しくない話で特に東北に多いですね。
ひとが山で迷ったとなると、下手したら何日間も捜索に行くわけです。で、やっと見つけたら「お前、何をやっていたんだ!」と聞くけれども「狐にやられた」と言う。そうすると「狐じゃあしようがないな」となる。山の中じゃなくても、家のすぐそばを歩いていて、何がなんだかわからなくなったひとも、老若男女関係なくいるわけです。よく言うのは「酔っ払っているからだ」と言うけれども、朝一番でも起こるし、まったくお酒を飲んでいない状況でも起こるわけです。そういうことを引き起こす「何かをしでかす奴」が山にはいるんでしょうね。
誰でも持っている「死生観」
── それは都市部にも“いる”ものでしょうか?
田中 必要なのは「闇」だと思いますよ。人間は夜行性ではないので、闇はそのものが人間にとって恐ろしい存在なんです。闇がないと不思議なことはなかなか起きないだろうな、とは思いますね。妖怪は闇に住んでいるものだから、明るい都市部には住みにくいだろうなぁって思いますね。あるのかもしれないけれども、わからない。街中の騒がしいところだと、気づかないということでしょうね。
こういう不思議な話の特徴として、ある程度群れにならないと、見えてこないというのがあります。あるところにいるおばあちゃんが「こういう音を聞きました」だけではおもしろくないし、読み物にならないでしょ。だからなんだよって話になっちゃう。一部分だけ切り取っても意味をなさない。都市部だと、いるのかわからないから、群れをつくるのが難しいですよ。
でも、まとまることでやっと意義が出てくる。群れになることで、わかることがあるんです。私はこういう商売でいろいろな土地を回ったから、気付けたんですけどね。クジラみたいに大きなものがドーンじゃなくて、イワシみたいに小さなものがワサワサーって蠢(うごめ)くから、成り立つわけですよ。
── 前編でもお伝えしましたが、灯台もと暮らしにもそれに似た感覚があります。各地域にいる多くの方々にお話を聞いていると、もちろんおひとりおひとりに違った想いや事情があるのですが、それぞれのお話に通ずるものがあるように感じられることがあるんです。
田中 それは人間の根底にある死生観の影響かもしれないですよね。
── 死生観、ですか?
田中 山で生きているひとを見ると、よくこんなところで生きてきたなぁ、と思うでしょう。私は、山さえあれば、ひとは生きていけるんだなぁと思いましたね。山で命を落とすこともあるけれども、その反面、山さえあれば山が生かしてくれるというのもあるんですよ。山があってそこにひとが入らないと、こういった「怪」も起こらないじゃないですか。
マタギのひとたちが、なぜ山に入るのかずっと考えてきて行き着いたのは、ひとの生き死にの話なんですよ。たくさんの命があって、それと同じだけ死があるわけです。山に入ると気持ちがいいって言うひとも多いんだけれども、そうじゃないように感じるひともいる。山に豊かな命があるということは、それと同じだけいろんなものが死んできた。生と死というのは同数ですから。死んだものは、消えるわけではなくて、違う形になるんですよ。
山でひとが死んだとき、そのひとの身体は、違うものが分解してまた違った命になっていくんです。都市部では、それができないですよね。ひとが死んで、別の命になることはありえない場所なんですよ、都市は。暗闇を含め「命が自由に変化すること」が山の中にはある。それがエネルギーになるわけですね。最終的には死ぬか生きるかの話ですよ。
妖怪も、それをどう捉えるかは自由だけれども、この世のものではないからみんなが怖がるわけですよね。この世のものではないというのは、言い換えると「死」ということ。生き物として人間は当然死を恐れるんですよ。そこから逃れたいがために、お社をつくったりとか、手を合わせたりする。根本にあるのは、人間の「死ぬか生きるか」という想いですよ。
お話をうかがったひと
田中 康弘(たなか やすひろ)
長崎県佐世保市生まれ。雑誌、冊子等の撮影、執筆を生業とする。秋田県の阿仁マタギとの交流は20年に及び「マタギ自然塾」として活動を行う。狩猟採集の現場から「地の力」とそこに暮らす人々の生活を常に見つめてきた。著作『マタギ 矛盾無き労働と食文化』『女猟師』『マタギとは山の恵みをいただく者なり』『日本人はどんな肉を喰ってきたのか』(いずれもエイ出版社)『山怪 山人が語る不思議な話』(山と渓谷社)Twitter:@momorinnkoto