気になっているけれど、考えないようにしていること。関心ごとではあるけれど、周りに語れるひとがいなくてひっそりと胸の内に留めていること。
そういう“見て見ぬフリ”をしていることと思い切って向き合い、目の前に並べ「私って何を考えていたんだっけ? 何がしたいんだっけ」と、自分の思考と気持ちを棚卸しする時間。
ふだん忙しく仕事や学業に追われていると、そういう言葉にできない感情や、具体的に名づけることはできないやりたいことに向き合う時間が取れず、“本当の自分”は置いてけぼりになってしまいがちです。
2016年の10月某日、編集部・立花は「SPAC – 静岡県舞台芸術センター(Shizuoka Performing Arts Center 以下、SPAC)」の芸術総監督・宮城聰さんへ取材をさせていただきました。
宮城さんの取材後、何年も通った地元の東海道線の車窓を眺めながら帰路につく最中、私自身を縛っていた固定観念がゆっくりゆっくり、ほどけていくのを感じました。
「どうして分かってくれないの」と過剰な期待と妄想を相手に押し付けるスタンスを“見て見ぬフリ”していたのだと気づいたとたん、なんだか憑き物が落ちたような心地がしたのです。
何が自分と向き合うきっかけになるか分かりません。
「静岡から社会と芸術について考える合宿ワークショップ」は、宮城さんへの取材時にお誘いいただき、参加したプログラム。
自分と向き合うのは辛く、疲れる。でも誰かと一緒なら、できるかもしれないと思った2泊3日のことを、今日はお話させてください。
「静岡から社会と芸術について考える合宿ワークショップ」とは
このワークショップは、今年で5回目。舞台は静岡芸術劇場と舞台芸術公園です。
毎回、ワークショップの核となるテーマが設定されるのですが、5回目となる今回は「見て見ぬフリと見ているツモリ」がテーマです。
これに沿って、ペアで、グループで、時には全員で考えるプログラムが組まれています。
2泊3日のスケジュールは、こんな感じで進みます。
1日目:観劇体験を深める
- 合宿ワークショップ参加者紹介
- シェイクスピアの『冬物語』観劇
- アーティストトーク(演出家・振付家・俳優 小野寺修二さん×SPAC芸術総監督 宮城聰さん)
- シェイクスピアの『冬物語』観劇の感想をシェアする会(ワールド・カフェ)
2日目:「見て見ぬフリと見ているツモリ」な経験は?
- ワークショップ1:「見て見ぬフリと見ているツモリ」について考える 其の壱(テーマについて、参加者同士の対話などを通して共有・深掘りする)
- ワークショップ2:「見て見ぬフリと見ているツモリ」について考える 其の弐(ペアインタビューや個人の内省を深める方法を活用しながら、実際に「見て見ぬフリと見ているツモリ」について考える)
- ワークショップ3:オープン・スペース・テクノロジー(「見て見ぬフリと見ているツモリ」について自分が関心のあるテーマを出し、 出されたテーマごとにグループでじっくり語り合う)
3日目:「見て見ぬフリと見ているツモリ」の先へ
- プロアクション・カフェ(1日目・2日目の体験を踏まえ、何かのアイデアを前進させたい人々と、それをサポートしたいひとが相互に影響し合いながら、アイデアの実現に向けた第一歩を踏み出すために話し合う)
- ふりかえり
「静岡から社会と芸術について考える合宿ワークショップ」という名前を聞くと、なんだか堅苦しい感じを覚えるかもしれません。「芸術? 社会? そんなカタいテーマ、興味ない」とか「自分のことを改めて話す必要なんてない」とか「語らうのってなんかカッコ悪い。別に毎日楽しければ良くない?」とか。
どれも素直な感想で、そう思っているひとがいても不思議ではありません。それに、ひとそれぞれ価値観や優先度は違いますから万人が社会と芸術について考えたいわけでもないし、考えなければいけないわけではありません。
けれど、考えたいのに自分の意思を“見て見ぬフリ”しているひとはいます。“見て見ぬフリ”をした結果、自分が何を考えているのか分からなくなってしまったひとも、実はたくさんいると思います。
「静岡から社会と芸術について考えるワークショップ」は、芸術の世界にどっぷり浸かったひとたちだけが集まって閉じた世界で専門的な話をする場ではありません。私も初めはそう思っていた部分がありました。
会話の入り口は演劇やアートですが、そこから思考の迷路に入っていくと、見えてくるのは“見て見ぬフリ”をしてきた自分自身なのだということに気づいたのです。
1日目:シェイクスピア作・宮城聰さん演出『冬物語』を観劇
冬晴れの2月上旬。
青い空と雲間からチラリと富士山が覗く日に、年齢も10代の大学生から40代までと幅広い参加者が静岡芸術劇場に集まりました。
定員は20名でしたが、東は東京、西は兵庫から計30人ほどのひとが参加。開催史上、最多だったそうです。
まずは参加者同士で自己紹介。過去のワークショップへの参加者も数名いる一方、初対面のメンバーも多く、全体的に緊張した面持ちです。
次に、公演中の『冬物語』を鑑賞しました。
宮城さん独特の、2人1役(セリフを喋る役をスピーカー、声を出さず動きだけで演じる役をムーバーと呼ぶ)で演じ分けるという演出方法は人形浄瑠璃を思わせることで有名です。
『冬物語』は、2部構成。前半はシチリアという国の王であり、物語の主人公・リーオンティーズ王の猜疑心が暴走し、親友や息子、愛する妻・ハーマイオニーを失うという悲劇。後半は罪を償うリーオンティーズと、行方知らずになっていた娘、そして死んだと思われていた妻の真実が明らかになる、喜劇が描かれています。
観劇後、劇場2階のカフェ・シンデレラで、早速ワークショップ開始。ここでは合宿メンバー以外の方も、参加しました。
最初に、『冬物語』を観終えたいま、イメージしているものに一番近いカードを選びます。カードはイラストや写真、擬音語や熟語などが書かれています。わたしは青い海に光が差し、イワシの大群が泳いでいる写真にしました。
観劇体験を深める、この時間。ワークショップの際にみんなで考える問いかけは、以下の3つです。
- 『冬物語』を観て、どんなことを感じましたか?
- この物語のキーマンは誰だと思いますか? また、それはなぜですか。
- ひとは何を失ったら変わると思いますか?
各テーブルでグループになって座り、20分ほどみんなで考えを話し合った後、1つの問いごとにグループを3回変えながら意見交換をするワールド・カフェ形式です。
最後は、各グループで共有、話し合われたことを全体へシェアします。
- 舞台装置にある壁は、心の壁、人間関係の壁を表現しているのではないかと思った
- ハーマイオニーはキリストのような存在で、彼女が死んではおらず生きていたという事実は、キリストの復活を思わせると同時にリーオンティーズの懺悔を救う役割があるのではないか
- 「失う」という概念自体、失われるものそのものが大切だという前提があるのではないか。悪いものをなくしたときは「失う」とは言わないから
- 『冬物語』で最も重要なのは時間。ハーマイオニーが死んでしまって(と思われていた)からの16年間、リーオンティーズは自分の疑り深さとそれゆえに失ったものの多さと向き合い悔い改めているけれど、死んでいると思われていたハーマイオニーは16年間時が止まっていたから何かが改められたわけではない。同じ時間を過ごしていても、良いように変わることもあれば悪い方へ変化することもある
- 命の危険にさらされないと人間は変化しない
- 命のつながりが感じられる縦の時間は目に見えないけれど強固。友達や知り合いなど今持っている横のつながりは目に見えるけど明日には消えてしまうかもしれない儚さがある
などなど。中には「ひとは何を失ったら変わると思いますか?」という問いかけ自体に疑問を呈す声も。どの問いかけで盛り上がったか、各グループで違ったようです。
その後、合宿参加者は舞台芸術公園へ移動し、翌日に備えました。
2日目:「見て見ぬフリと見ているツモリ」になっていることを考える
翌日は、初日と打って変わって雨模様。富士山も雨雲に覆われて見えませんでした。
午前中は「違和感を感じることは何ですか?」という問いについて、3人1グループになって考えます。
まずは、それぞれ個人で「違和感を感じること」を考え、書き出します。
例えばわたしは、こんなことを挙げました。
- どうして世界は平和にならないの?
- 満員電車で降りるひとがいるのに頑なに入口から動かないひとは何を考えているの?
- これ以上便利になって、人間はどこへ行くのか。何をしたいのか
こんな感じでジャンルレスに考え、それを3人でシェアします。シェアして出てきた違和感はこんな感じ。
- 歴史のある劇団がつくる作品に、自分は価値があると思っていても、お金の問題で続けられないことへの違和感
- 日々の過ごし方と自分の気持ちがあっていない
- 昔は今の自分の年齢で当たり前のように結婚していると思っていたけど、現実は全然違う
- 同じ姿勢でずっとパソコンを触っている毎日。同じことの繰り返しの日々への違和感
中でも、満員電車の話は盛り上がりました。都心に住んでいる方は、誰しも感じたことがあるのではないでしょうか。
ちなみに、いろいろ話した結果「相手がどう思うか、自分が逆の立場だったらどうか、というところに考えが及ぶ想像力がない。もしくはそこへの思考をシャットダウンしているのではないか」ということに。
満員電車の話から、相手への思いやりや想像力、気配りについて、さらには「世界が平和になるために必要なのはこういった気配りなのではないか?」という話まで思考が広がっていきました。
3人での意見交換が終わったら、全員で輪になり思ったことを全員の前でシェアします。今まで話していたことへの感想でもいいし、ワークショップが始まってからずっと考えていることでも、なんでもいいのです。
自分自身の「違和感」を言語化し終えたら、午後からは本題である「見て見ぬフリと見ているツモリ」になっていることと本格的に向き合っていきます。
ここでは、2人1組になり、インタビューシートに則ってお互いの「見て見ぬフリ」をしてきたことについて話します。
かなりプライベートな話題になったので内容は割愛しますが、“見て見ぬフリ”をしてきたことと向き合い出すと、だんだんと自分の過去や思いが整理されていくように感じました。
「そういえば、あの時本当は嫌だったけど気にしていないふりをしていた」「ずっとモヤモヤしていたけれど、あの日のことがあったから今こうしていられるのかもしれない」など、過去の選択を見つめ、今の自分への道をもう一度辿り直す感覚になったのです。同時に、それが辛くて口ごもってしまうという方も、もしかしたら参加者の中にはいたかもしれないなと思います。
2人の時間を終えてから、再度輪になって思いのシェアの時間。「ワークショップの名前に“社会と芸術について考える”とある通り、自分もそのつもりで考えていたけれど、実はそれらは個人的なことと結びついていたということに気づきました」という感想が、とても印象的でした。
夕食後、今度は全体でオープンに話をする「OST」の時間です。OSTとはOpen Space Technologyの略で、数名が発議者になり、他のひとは興味のある議題のところへ行ってグループで話をするワークショップのこと。時間内であれば、どのグループにいてもよく、グループ間も自由に移動が可能です。また、落ち着いて自分の考えを深めたいときは、どこのディスカッションにも入らず、1人でお茶を飲んだりお菓子をつまんだりしながら休憩していてもOKです。
前後半の2回に分けてテーマを変えます。
前半はこの6つが出ました。
- 見守ると傍観の違い
- 技術革新と仕事観
- 楽しい痴漢撃退法
- 芸術の必要性
- 自分の感情を見て見ぬフリしないためにできること
- 駆け落ちと心中
いざ、OSTタイム、スタート!
特におもしろかったのは「技術革新と仕事観」のグループ。人工知能と働き方、仕事はどこまで余暇になるのかといった話が縦横無尽に飛び交い、規定の時間ではまったく足りませんでした。
ですが、合宿2日目でしたから、話足りないくらいがちょうどいいのかもしれません。
後半は、この5つについて話します。
- 何があなたをそんなに忙しくさせているのですか?
- サードプレイスの作り方
- 当たり前は当たり前ですか?
- 見て見ぬフリ 見えぬが見えるフリ
- 社会はどこまでが幻想か
わたしは後半はどこかのグループに属するよりも、グループ間を放浪しながらディスカッション中の会話に耳を傾けつつ今まで話してきたことを反芻しながら過ごしました。
それぞれ思っていることや知識、新しい発想に出会える時間で、どのグループもかなり盛り上がっていた様子。この日の夜は交流会も開催され、夜更けまでお酒を片手に語り明かしたのでした。
3日目:「見て見ぬフリと見ているツモリ」の先へ
最終日。昨日の雨が止み、晴天です。
午前は、プロアクション・カフェという形式のワークショップからスタートしました。
プロアクション・カフェとは2日間話して考えた個人の問いかけに対して、全員でグループごとになり、サポートできるように一緒に考えるというもの。
- はじめの一歩のつくり方
- アート分野専門のキャリアコンサルタントは必要?
- 男性学について気軽に話せる場をつくりたい
- 芸術との関わり方
- 優しさと妥協とあきらめ
- ひととの楽しい関わり方
各テーマの発案者は問いを掲げた背景を他の参加者にぶつけます。OSTのように時間制限内にグループ間を移動することはできません。今回は3セット、自分の興味のあるテーマのところへ入りました。
わたしが参加したのは「はじめの一歩のつくり方」「芸術との関わり方」「ひととの楽しい関わり方」の3つです。
「はじめの一歩のつくり方」では、アートに興味がない、演劇を見たことがないひとにとっての“はじめの一歩”は、どうやってつくりだせるのか?という問いからスタートしました。
まずはアートが好きなひと、よく知っているひとに連れていってもらうのがいいんじゃないか。けれど「行く」と判断するのは自分自身だから、やっぱり自発性に任せるしかないのか……?など。
「芸術との関わり方」のグループでは「そもそも芸術は必要なのか?」という話になりました。人間が、動物として命を保つためには芸術は不要だけれど、人間が人間であるために、芸術活動は多かれ少なかれ必要なのでは、という話題に。これを読んでいる方は、どう考えますか?
約20分ほど話し合ったのち、発案者は1人になり、他の参加者から出た意見を元に自分の疑問に対して解決策や道筋を考えていきます。後から聞いたのですが「この1人の時間、結構大変だった」とのこと。
違和感を感じること、見て見ぬフリをしてきたことを洗い出し、いざそれを自分のこれからの生活に落とし込んで考えてみると、現実的な壁も浮き彫りになり、グループで話すことが個人的な悩みや問題に寄っていくから、とのことでした。
2泊3日の合宿で深めたことを日常へのお土産に
合宿中、何度も「脳がプルプルするくらい考えよう」という言葉が出てきました。
すべてのワークショップを終え、「見て見ぬフリ」をしていること、してきたことに対して、さらに悶々としたひとや、次にどうするべきかが見えてスッキリしたひと、いろいろな方がいただろうなと思います。でもそれは「見て見ぬフリをせず見つめる」ことを経た結果なのではないか、と思うのです。「見て見ぬフリをしてきたな」と気づくことそのものが、まさに「見て見ぬフリをせず真正面から受け止める」ことの第一歩なのではないかとも思います。
今回、芸術を起点に様々なことを考え、言葉にし、理解し合おうとする空間がとても心地よかったです。誰ひとり、少なくとも私がグループワークをしたメンバーには、相手の意見を真っ向から否定するひとはいませんでした。そのため、宮城さんの取材を通して噛み締めた「誰もが孤独であること」「分かり合えないこと」をよりポジティブに捉えることができるようになった気がします。
富士山が見える空の下、舞台芸術公園を後にして幕を閉じた「静岡から社会と芸術について考える合宿ワークショップvol.5」。
ここでの2泊3日を通して深めたことを、日常生活へのお土産にして、また新しいチャレンジや取り組みが始まることを期待します。
(この記事は、SPAC – 静岡県舞台芸術センターと協働で製作するスポンサードコンテンツです)