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演劇は“違う世界を見ている相手”に寄り添う知恵を与えてくれる|「老いと演劇」OiBokkeShi(オイボッケシ)菅原直樹【アートに学ぶ#7】

これからの暮らしを考えるために【ぼくらの学び】特集、はじめます。

2016年、ダンス、演劇、音楽劇などのパフォーミングアーツが好きなわたし(編集部・立花)は、「私はアートで救われるのか」という問いを掲げて様々な方に取材を行いました。
その結果、私自身が救われた経験があるからこそ、その経験を誰かと共有したいということが分かり、同時に次なる疑問がわいてきました。それは「私はアートで誰かを救えるか」。アートという表現方法を通して、誰に何ができるかを考えます。

生きているひとは、いずれみな、死を迎えます。

その途中で体は老い衰え、昔はできていたことができなくなったり、時にはボケて記憶がおぼろげになったりします。

老いや、ボケや、死につきまとうイメージは、つらい、苦しい、悲しい……というマイナスなものばかり。

通りすがりの方の後ろ姿

誰にでも訪れる命の終わり、老いてゆく現実は、ふだんは意識せず目を背けがちなことですが、これらと無理なく向き合う方法を、演劇を通して導き出しているのが、「老いと演劇」OiBokkeShi(以下、オイボッケシ)です。

オイボッケシは、「介護現場に演劇の知恵を、演劇の稽古場に介護の深みを」というコンセプトで作品づくりをしており、岡山県奈義町を拠点に地域のお年寄りや介護職員、さらには日本各地の幅広いひとに向けてワークショップも開催している劇団です。

オイボッケシ主宰の菅原直樹さんは、今回どうしてもお話を伺いたい方の一人でした。というのも、わたし自身が菅原さんのワークショップ「老いと演劇(*1)」に参加し、「この形はアート(演劇)で誰か(老いやボケ、死が怖いひと)を救っている」例そのものではないか、と深く感銘を受けたからです。

岡山から東京へいらっしゃる時間を運良く頂戴でき、都内で取材を敢行。

老いやボケ、死、自分と違う世界を見ているひととうまく向き合う方法について、菅原さんはとてもていねいに教えてくださいました。

(*1)ワークショップ「老いと演劇」:立花が参加したのは、認知症のお年寄り役と介護者役を立てるロールプレイングゲームや、椅子取りゲームのような体を動かすゲーム感覚のワークショップだった

「お年寄りほど良い俳優はいない。俳優として負けたと思いました」

── 先日、「シアターコモンズ(*2)」のワークショップに参加させていただいたのですが、本当に感動してしまって、イベント後に初対面にも関わらずご挨拶をしに突撃してしまいました。失礼いたしました。

菅原直樹(以下、菅原) いいえ。参加してくださってありがとうございました。

(*2)シアターコモンズ:【アートに学ぶ#1】で取材させていただいた相馬千秋さん主催のイベント。2017年1月25日(水)から2月5日(日)まで都内で開催されていた

── ふだん、拠点は岡山県なんですよね。

菅原 はい、そうです。今日は仕事があって東京へ出てきました。

── 岡山での活動を、改めて教えていただいてもよいでしょうか。

菅原 2014年から東京を出て岡山県和気町を拠点にしていたんですが、半年くらい前から同じ岡山の奈義町というところに移りました。奈義町では僕は「奈義町アート・デザイン・ディレクター」という役割で、まちづくりに関わる仕事をしています。

東京にいる頃は俳優で、岡山に移る前は、特別養護老人ホームで介護職員として働いていました。その頃に、「演劇と介護は相性がいい」と気づいて和気町でオイボッケシを立ち上げました。だから僕の肩書きは、俳優と介護福祉士なんです。

── 演劇と介護が相性が良いと感じられたきっかけを、教えていただけますか。

菅原 僕が特別養護老人ホームで実感したのは、大きく分けて、お年寄りほど良い俳優はいないということと、介護者は俳優になった方がいいということの2つでした。

ひとつ目に関しては、特別養護老人ホームで働き始めてすぐに気づいたんですね。腰の曲がったおばあさんがゆっくりと僕の目の前を歩いている姿を見て「すごい」と思ったんです。歩いているだけで絵になるというか、劇的な興奮を覚えさせられたんですね。しかもお年寄りって80年とか90年という長い人生を歩んできた方々だから、みなさんが僕の予想もしないストーリーを持っています。ただゆっくり歩いているだけで、その生きてきた時間の厚みが伝わってくるんです。これはもう俳優として僕は負けるなと、思いました。

お年寄りが舞台の上に立って、字幕でその方のストーリーを流すだけでも立派な演劇になるんじゃないかって思ったんですね。その頃から、いつかお年寄りと一緒に芝居をやってみたいなって思い始めました。

── 介護職員は俳優になった方が良いと思われたのは、どうしてですか。

菅原 それは、介護職員として働き出してしばらく経ってから気づきましたね。

ある日、僕がある認知症のおばあさんの前を通り過ぎたら「あら、時計屋さん」って声をかけられたんです。そのおばあさんに対して当時の僕は「いや、僕は時計屋さんじゃなくて介護職員ですよ」と事実を伝えて立ち去ったんです。

でも別の日に再会したら、やっぱり「あら、時計屋さん」と言われて。その時に、「あっ、僕、時計屋さんになれば良いのかもしれない」って思ったんですね。そのおばあさんにとって僕が時計屋さんなら、一時的にでも時計屋さんとして演技をする。ボケを受け入れる演技をするんですね

── ワークショップでも、その疑似体験を行いましたね。介護職員役のひとが現実を伝えるけれど、認知症のお年寄り役のひとは見当外れなことを言う。その時、介護職員役のひとは、相手のトンチンカンな応答に対して否定と肯定の両方でリアクションしてみる、というものでした。

菅原 イエスアンドゲームですね。相手の言葉に対して肯定(イエス)して、さらに提案や思い(アンド)を伝えてあげる。さっきの時計屋さんの例で言うと「あら、時計屋さん」とおばあさんに話しかけられたら「こんにちは、時計の調子が悪くなったらまた呼んでくださいね」など、相手の見当識や要望を受け入れ、演じるというものです。

菅原直樹さん

菅原 認知症のお年寄りって、中核症状と呼ばれる、いわゆる記憶障害とか見当識障害という症状が出ます。見当識障害というのは、今がいつで、ここはどこで、目の前にいるのが誰かが分からなくなる症状を指します。認知症のお年寄りが、久しぶりにあったお孫さんに「あなた誰?」って聞くのは、この見当識が僕らとズレているから。

認知症の見当識は、こちらからするとおかしなことだったり論理や理屈が通っていないことだったりする。でも感情はありますから、「僕は時計屋さんじゃないです」と真っ向から否定されるとお年寄りは傷つくわけです。だから、認知症のひとたちがどういう世界を見ているかを把握して、受け入れる。僕らの目には見えなくても、見えたふりをしなければいけない。つまり、演じなきゃいけないわけです。そう気づいた時に、介護職員は俳優になるといいんじゃないかって思いました。

おばあちゃんの恋話と徘徊

── 菅原さんは現在、介護職員ではなくアート・デザイン・ディレクターや演出家・俳優としてお仕事をされていると思うのですが、認知症の方と触れ合う機会はありますか?

菅原 ありますよ。デイサービスへ行って、介護職員やお年寄り向けにワークショップを行ったり、お話をしに行ったりしています。

── 介護職員時代は、認知症のお年寄りと接する時にイライラすることはなかったんですか?

菅原 いや、あんまり思わなかったですね。

僕のおばあさんが認知症を患っていて、高校2年生の頃は一緒に生活をしていたんです。ボケているから「タンスの中にひとがいる」って言ったり、通っているデイサービスで男のひとに恋をして「彼と一緒になるために家を出ようと思う」って駆け落ちの話をしたりしていました。僕は高校生ながらに、まさかおばあちゃんの恋話を聞くことになるとは思わなかったので衝撃を受けたんですよね。それに、外で車の音がするとそのおじいちゃんが迎えに来たと思って外に出て徘徊が始まっちゃう。その時は、さすがにイライラしたような気もします。自分の知っているおばあちゃんじゃなくなっちゃったわけですから。でも僕も高校生だったからか、好奇心の方が強かったですね。徘徊が始まった時、おばあちゃんの後を追ってビデオカメラで撮影したこともありました。

── 自分はおばあちゃんのことをよく知っているのに、おばあちゃんにとって自分が他人になってしまうという感覚は、辛くなかったんですか?

菅原 それはやっぱり、辛いですし戸惑いますよ。おばあちゃんが泥棒を見るような目で家族に言いがかりをつけてくることもありました。でも、お年寄りの行動とか言葉が、僕の狭い価値観を壊してくれるような感じがしてとても新鮮だったんです。

認知症の方の見当識に合わせる場合は、お年寄りがどういう世界を見ているかを把握して、こちらが演じなきゃいけないわけです。それに認知症であるかどうかに関わらず、ひとはみんな同じ世界を見ているとは限らないですよね。なんとなく分かり合えることもあるけれど、厳密にはみんな違った世界を見ています。認知症のお年寄りと接する場合は、見当識障害なので見ている世界の違いが露骨に出るわけです。その時に、よりよくコミュニケーションするために相手がどんな世界を見ているか、想像してみるのが大事だと思います。

演劇と出会えたから、会話をするおもしろさを知れた

── 菅原さんが演劇を始められたのも、ちょうどそのおばあさまと生活されていた高校生の時だとうかがいました。

菅原 はい、そうです。中学生の頃映画が好きで、いつか映画監督になりたいなって思っていました。高校に入学したら、脚本とか演出が勉強できると思って演劇部に入ったんですね。でも、俳優は絶対無理だと思っていたんです。

── どうしてですか?

菅原 僕、落ちこぼれだったので。恥ずかしがり屋だったし友達とワイワイするのもあんまり好きじゃないし、休み時間も本を読んでいる方が好きな方だったから。

でもある日、顧問の先生が書いた台本に、引きこもり役があって「お前がこの役」って言われたんです。それで仕方なく舞台に立ったんですね。台詞はほとんどなかったんですけど。そこで初めて舞台の楽しさを感じました。

── どんな楽しさを感じられたんですか?

菅原 僕は最初、喋るのが好きで目立ちたがりなひとが俳優をやるものだと思っていたんです。でも演劇なら、いろんなひとが俳優をやって良いんだと気づけたのが一番の驚きでした。

引きこもりの役なら、日常生活でも引きこもりがちなひとが演じた方がリアリティがあったり、気持ちを理解できたりするんですよね。引きこもりの役がなかったら、僕は俳優をやっていなかったと思います。

── 菅原さんのおばあさまに対する好奇心や態度然り、自分の思い通りにいかない相手や、自分と違っているひとに対してすごく寛容だなと感じるのですが、それもやっぱり演劇と出会ってからですか?

菅原 そうかもしれません。僕、本当に落ちこぼれだったから(笑)。あんまり社会や学校に馴染めないなという実感があって。今でも、ひととも上手く喋れないし……。

── でもワークショップでは参加者の方々の前で、すごく生き生きと、分かりやすくお話しされていましたよね。

菅原 ああ、それでいうと僕、介護と演劇を結びつけてよかったなって思うのは、人前で喋ることができるようになったことだと思っているんですよ。

── 演劇だけでなく、介護も必要な要素だったということですか?

菅原 たとえば、弁護士やお医者さんなど立派な職業だったひとが認知症になって、特別養護老人ホームに入所する様子を何度か見てきました。若い頃はバリバリ仕事をしていた方々であっても、すでに地位も名誉もなくなり、金銭管理も家族に任せているわけです。そういう姿を見ると、人生にとって大切なものって何なんだろうって、考えずにはいられないんですよね。地位や名誉も、最後には結局なくなるんだなって。でも、そういう認知症のお年寄りとお話して、こちらがボケを受け入れると幸せで穏やかな雰囲気になるんです。

菅原直樹さん

菅原 それまで僕自身、社会や学校で息苦しさを感じていたけれど、何か大きなことをなさなくても良いし、演劇の知恵があればひととうまくコミュニケーションが取れると気づいたら、これで良いんだと思えたんです。介護の現場は演劇の力を再認識できた場所だったので、僕はこのことに関してはひとに伝えたいと思うし、話すことができます。

でも根本的に、ひとと喋ることをおもしろいと思えるようになったのは、演劇のおかげなんですよ。

── そうなんですね。

菅原 立花さんのテーマに関して言えば、僕の場合は演劇に救われたと言えますね。演劇は台詞を覚えて、会話を疑似体験する芸術ですよね。そうすると会話した気になりますし、ひととの会話で心が動く感じを知ることができた。

演劇と出会っていなかったら、今頃僕はどうなっていたのかなって思います、本当に。

ひとはみんな役割を演じている。本当の自分なんて誰も分からない

── わたしが菅原さんのワークショップの何に感銘を受けたかというと、まさに今、言及していただいた「私はアートで誰かを救えるか」というテーマそのものを体現されていたと感じたからなんです。

菅原 ありがとうございます。

── ボケは全員ではないにしろ、老いや死は今生きているひとにとっては確実に訪れるものですよね。でも、ふだん意識することはほとんどない。目をそらしがちな現実と向き合わなければならなくなった時、キツくて辛いことが多いけれど、菅原さんの演劇と介護を組み合わせた視点は、すごく無理がないというか。誰も不幸にならずに現実を受け入れられる方法だと感じて、鳥肌が立ちました。「これは、アート(演劇)で、誰か(老いやボケが怖いひと)を救えているんじゃないか……!?」って。

菅原直樹さんと熱弁する立花

菅原 はは、ありがとうございます(笑)。僕が誰かを救っているというよりは、演劇の力が介護者やお年寄りを救っているということは、あると思います。

僕が一緒に芝居をつくっている、“おかじい”こと岡田忠雄さんという90歳のお年寄りがいらっしゃるんですが、岡田さんはふだん、認知症の奥様を自宅で介護しているんですね。もともとホテルマンだったんですが、退職後は長年の夢だった映画俳優になるためにエキストラのオーディションなどを受けていた方です。

『BPSD:ぼくのパパはサムライだから』
岡田忠雄さん(左)『BPSD:ぼくのパパはサムライだから』の一幕(公式Facebookより) 撮影:hi foo farm

菅原 初めて会った日は、おかじいは耳は遠いし歩くのも大変そうだし、絶対演劇はできないだろうなって思っていたんです。でもいざワークショップが始まると、とても生き生きとして、ちょこまか動き回っていて。そんな岡田さんの姿を、どうしても忘れられなくて僕から「一緒に芝居をつくりませんか」と声をかけました。

僕がお年寄りと芝居をするのは岡田さんが初めてだったから、最初は「なるべくおかじいに負荷をかけないようにしよう」って思っていたんですね。僕はおかじいのことを、おじいさんだと思っていたので。

最初の作品では、熱演してくれるんですが台詞を全然覚えてくれなかったから、おかじいがよく喋る話をそのまま台詞にして台本をつくりました。そうしたら見事に演じきってくれて。2作品目からは、覚えられるかもしれないと思って台詞を書いたら、80パーセントくらい覚えてくれました。3作品目は1時間半舞台に出ずっぱりな役をやってもらって、結局おかじいが年を取るごとに負荷を増やしていっているんですね(笑)。

おかじいと付き合っていくうちに、だんだんいろんなことが分かってきたんです。演劇を始めたら岡田さんが若返っていると言う関係者もいるけれど、どちらかというと僕が一般的な視点で岡田さんのことを“おじいちゃん”だと思い込んでいたんだなって気づきました。

もう僕にとっては岡田さんは、おじいちゃんじゃないですからね(笑)。演劇仲間の一人です。

── お年寄りといえども、できることややりたいことはひとによって違うんですね。お年寄りっぽさは必ずしも全員に当てはまるわけではない。

菅原 そうですね。

よく、認知症のお年寄りってお年寄りっぽくないって言われることがあるんですよ。極端に言ったら、宇宙人みたい(笑)。

なぜそうなるかというと、認知症になると社会的に当てはめられていた常識や役割から解放されているからだと僕は思っています。すべてのお年寄りは、お年寄り役を演じているんじゃないかと思うんですね。孫の前ではやさしいおじいさん、電車の中ではか弱いおじいさん、というふうに。でも認知症を患うと、その役から解放されるんです。ひとって体は確かに老い衰えるけど、気持ちは衰えない。だから認知症の方と接していると若々しく感じる。それってある意味健全ですよね。岡田さんの場合は、舞台に立つことで、お年寄り役から解放されているから、舞台でもあれだけ生き生きと演技ができるんだと思います。

── 役割を演じているというのは、お年寄りだけではなくてどの世代のひとにも言えることかもしれませんね。

菅原 そうですね、むしろ本物の自分というのは、あるのかないのかよく分からないものだと思いますよ。本物の自分が何かということにこだわるよりも、いろんな自分を演じてその総体が自分なんだろうなって考えた方が楽じゃないかなって思います。

── 岡田さんは自宅では奥様を介護されているんですよね。でも、以前の舞台(*3)では認知症のお年寄りを演じていらっしゃった。ずっと“介護者役”として「お世話をしなきゃ」と思っていると息苦しくなってしまうかもしれないけど、その役割だけに縛られなくていいと発想を転換できれば、少し楽になるのかなと思いました。

(*3)『BPSD:ぼくのパパはサムライだから』:2016年11月に公演された作品。

菅原 今の岡田さんにとって、演劇は生きがいですからね。

よく岡田さんが「朝起きたら低血圧で、あと2~3年かななんて暗い気持ちになるんだけど、今日稽古があると分かると力が湧いてくる」ってよくおっしゃるんです。稽古の前も、調子が悪いとか腰が痛いとか言いつつ「でもやります」って言って。稽古が始まると、最後の方は腰が痛いことなんてすっかり忘れちゃってるんですよ。

菅原直樹さん

菅原 僕は岡田さんと演劇をつくることで、演劇の力を改めて実感しているんですね。東京で俳優をやっている間は楽しかったけれど、好きなひとしか観に来なくて「演劇の楽しさはあんまり分かってもらえないものなのかな」なんて思っていたし、生きるのに必要なものなのか自信を持って判断できなかったんです。

でも、岡田さんと作品をつくるようになってからは、演劇は死活問題になりましたからね。岡田さんや僕には、演劇は必要なんです。だからやっぱり演劇には、ひとを輝かせたり、時には救ったり力もあるのかなって思っています。

(文・構成/立花実咲)
(写真/タクロコマ)

お話をうかがったひと

菅原直樹さん

菅原 直樹(すがわら なおき)
俳優、介護福祉士。奈義町アート・デザイン・ディレクター。「老いと演劇」OiBokkeShi主宰。青年団に俳優として所属。小劇場を中心に前田司郎、松井周、多田淳之介、柴幸男、神里雄大など、新進劇作家・演出家の作品に多数出演。2010年より特別養護老人ホームの介護職員として働く。介護と演劇の相性の良さを実感し、地域における介護と演劇の新しいあり方を模索している。2014年より認知症ケアに演劇手法を活かした「老いと演劇のワークショップ」を全国各地で展開。OiBokkeShiの活動を密着取材したドキュメンタリー番組「よみちにひはくれない~若き“俳優介護士”の挑戦~」(OHK)が第24回FNSドキュメンタリー大賞で優秀賞を受賞。

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立花実咲

1991年生まれ、静岡県出身の編集者。生もの&手づくりのもの好き。パフォーミングアーツの世界と日常をつなぎたい。北海道下川町で宿「andgram」をはじめました。→ さらに詳しく見る

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