編集部自身のこれからの暮らしを考える企画【ぼくらの学び】。僕は幼い頃に、地元にあるお城のお堀で河童(かっぱ)を見た記憶があります。あれは本当に河童だったのか、それとも他の何かなのか、今でも会うことができるのか……。
民俗学者の柳田國男が書いた『遠野物語』を読むと、妖怪は日本の暮らしに古くから根付いている存在ではないかと感じられます。実際に遠野では、多くのひとが妖怪の存在を受け入れ、目には見えないけれど存在するであろう何かを大切に扱っています。
また別の地域へ取材に言っても同じようなお話を聞く機会があるかもしれません。これからの暮らしを考える上で、妖怪のような目に見えない不確かな存在について学ぶことは、必要なことに思えたのです。
これまで妖怪のことを調べ、学んできた中で感じたのは、妖怪には正解がないということ。その魅力はルールや決まり事のない、解釈の多様性にあることもわかってきました。それはそうですよね。だって、妖怪は目には見えない、不確かな存在なのですから。
だからこそ、「大妖怪展」のことが気になりました。7~8月には東京で、そのあと大阪のあべのハルカス美術館で11月6日(日)まで行われている展示です。
天狗や土蜘蛛といった、一般的に「妖怪」と言われて思い浮かべる美術作品だけではなく、幽霊、地獄絵、土偶……。そして、2016年の日本で『ゲゲゲの鬼太郎』に並んで、もっともポピュラーな妖怪キャラクターと言える『妖怪ウォッチ』を取り上げたこの美術展。
妖怪だけではなく、幽霊や地獄絵、土偶を同時に取り上げながら大妖怪展と銘打つ意味合いを理解すれば「妖怪の歴史はどういうもの?」「妖怪とはどういった存在なのか?」という疑問の、手がかりを掴めるように感じられたのです。今回は、大妖怪展の監修者であり、日本美術史学者である安村敏信さんに、電話取材を行いました。
(以下、安村敏信)
大妖怪展で幽霊や地獄絵、土偶や『妖怪ウォッチ』を同時に取り上げるのはなぜ?
幽霊をどのように位置づけるかというと、いろいろな考え方があります。幽霊と妖怪を別とする考え方もあるのですが、それに対して私は、展示を通して江戸時代には幽霊や妖怪は一緒くただったことを、まず伝えたかったんです。上位概念として「化け物」があって、その下に「幽霊」「妖怪」という概念があると考えています。
そう考えると、妖怪と幽霊の世界がクロスする部分もあるため、妖怪だけで表現するのは、逆に不自然なんですよ。ちなみに、生前の姿で現れたときに「幽霊」、生前の姿と異なる姿で現れたときに「妖怪」になると言われているんです。
地獄絵の世界を参照した「妖怪絵巻」で妖怪が物語になった
地獄絵がどうして展示に必要かというと、平安時代から江戸時代にかけて「妖怪絵巻」というジャンルが生まれて、妖怪が物語に登場するようになったんですね。絵巻をつくる作家たちが妖怪をどうやって造形したかと考えてみると、そのもっと前の平安時代や鎌倉時代に描かれた地獄絵の世界を参照しているんです。鬼とか化け物を参考にして妖怪をつくったんじゃないかと、私は解釈しています。
妖怪の源流として、平安・鎌倉時代の仏教絵画の地獄の世界があるので、それを今回出している。もっと前の歴史としては、仏教が日本に伝わってきて、地獄の世界が日本人に定着して、鬼だとか怪物が絵画として描かれるようになるわけです。
そして、それ以前の日本人は、自然に対してまったく恐怖を持たなかったのかと考えるとそんなことはない。そうやって、もっともっと前の歴史を考えたときに、土偶に行き着いたんです。土偶の中でも、胸が大きいものやお尻が大きいものもいますけれども、それは豊穣を祈る心から生まれてきたものでしょう。
妖怪とは、日本人が自然に還ったときにもっている不安の心を形にしたもの
そうではなくて、目だけが大きいとか、今回展示しているみみずく土偶みたいな奇妙な形をした土偶たちは、不安感が造形化されたものではないかと考えました。縄文人の不安を造形化したものとして、異形の形を持つ土偶を選んでみたんです。
こうした経緯があるから、大妖怪展は一般的に「妖怪」と呼ばれるものの範疇を超えているものまで展示しているように思えるかもしれません。ただ、基本的には妖怪とは、日本人が自然に還ったときに持っている不安の心を形にしたものだと私は思うのですね。つまり、恐れとおののきの造形化の歴史を観ようというのが、大妖怪展の狙いです。
日常生活に生きている人が、なんらかの恐れや不安感を妖怪として造形化したり、非日常な体験をしたときに妖怪のせいにしたりするわけです。それが現代まで続いて、キャラクター化して、妖怪ウォッチになったりね。妖怪ウォッチだって、江戸時代に行われた絵巻化や図鑑化と一緒の流れで生まれているんですよ。
なぜ今、妖怪が流行るの?
文明が発達し、インターネットをはじめとして情報の量が増大していますよね。たとえば情報の漏洩とか、いろんな問題が出てきている。そういった文明化された暮らしへの不安を、世の人々が明確に抱き始めているのが現代なのではないかと思うんです。それを妖怪化することで安心するというのは、ひとつ、時代の流れとしてあると思いますよ。
ここ数年、展覧会だけでも、各地で様々な妖怪に関する美術展が行われているんです。もちろん、NHKではドラマの「ゲゲゲの女房」が放映されて、水木しげるブームが起きたことも要因ですが、それはやはり、現代社会が奇妙な不安感を持っているということを表していると思います。
大妖怪展で伝えたいことは?
妖怪には、正解がないわけですよ。手が10本なければいけないとか、決まりが何もないんです。つまり、画家からしたら、自由に描けるということですよね。自由に描くことができるからこそ、様々な画家がどのように描いたかというのを大妖怪展では見てもらいたい。
自由自在に形を変えて描く。これは、美術的な意味では日本絵画の本質です。伊藤若冲は、絵の具に凝って、彩色画でおもしろいものを描いている。日本絵画の自由奔放な楽しさ、多様性を伝えるために、妖怪は最適なんですよ。
これだけ科学が発達しても、多かれ少なかれ妖怪を信じているひとがたくさんいるのはおもしろいですよね。しかもそれを、大人も子どもも一緒になって楽しんでいる。こういうおもしろい文化は、日本以外にないんじゃないでしょうか。
お話をうかがったひと
安村 敏信(やすむら としのぶ)
1953年富山県生まれ。東北大学大学院博士課程前期修了。1979年より板橋区立美術館学芸員として江戸文化シリーズと銘うち、江戸時代の日本美術のユニークな企画を多数開催し、注目を集める。2005年より13年まで同館館長を務める。現在、”萬(よろず)美術屋”として美術の魅力をいっそう広めるために幅広く活動中。日本美術全集では、第13巻『宗達・光琳と桂離宮』を監修。2013年7月より社団法人日本アート評価保存協会の事務局長を務める。