「分かり合えないからこそ、文化は生まれるし、アートは必要とされる」。
これは、編集部・立花が「あなたはどんな問いを立てるか」というテーマの取材の中でうかがった、印象的な一言です。
立てた問いによって、表現方法を変える──たとえば彫刻家を名乗っている方が建築物をつくったり、映像作品をつくったりするような──アーティストは、わたしが想像しているより多いのかもしれない、と思います。
なぜなら取材を通して出会った方々の中には、アートは“問いを表現する手段”の一つであると考えている方も少なくないからです。
この気づきは、2017年3月に1ヶ月、イギリスのマンチェスターで「SICK!Festival」というパフォーミングアーツのイベントに行ったときも感じたことです。
参加アーティストたちの中には「ライター、ダンサー、コンサルタント」と名乗っているひともいれば「ディレクター、フィルムクリエイター、カメラマン」と掲げているひともおり、「アーティストという肩書きだけで参加しているひとの方が少ないのでは?」と思うほど、本当に多様でした。
取材を重ねるにつれ、アートという言葉でくくられた領域は、わたしの想像以上にふところの深いものなのではないか、と思うようになりました。
今回、千葉県松戸市が拠点のアーティスト・イン・レジデンス(*1)「PARADISE AIR(パラダイス・エア)」さんと、同団体のプログラムを使って長期でステイしていたアーティスト・Alicja Rogalska(アリシヤ・ロガルスカ)さんに取材を実施。「あなたの問いは何か」というテーマの取材内容に対して、「PARADISE AIRさんがアリシヤさんを紹介してくださったのでした。
アーティスト・イン・レジデンスという形を通して“表現”をしている「PARADISE AIR」さんと、映像やワークショップ、ディスカッションを通じて作品をつくっているアリシヤさん。
異なる2つの“表現”に込められた「問い」を、うかがいます。
(*1)アーティスト・イン・レジデンス:招へいされたアーティストが、ある土地に滞在し、作品の制作やリサーチ活動を行なうこと、またそれらの活動を支援する制度を指す(「artscape」より引用)
町会長さんとアーティストは似ている?
「PARADISE AIR」は、一般社団法人PAIRが運営するアーティスト・イン・レジデンス。「暮らしの芸術都市」というプログラムの一環で、スタートしました。松戸市内に住んでいる方々の日常生活や暮らしを、アートとしてとらえ直すことを目的として運営されています。アートを用いて日常を紐とくことで、どんな創造性が生まれるのかを探求しているレジデンスです。
具体的な活動内容としては、たとえば酔っ払いがよくいる公園に、レジデンスに滞在しているアーティストの作品を置くことで子どもたちが集まりやすくしたり、町内会の会長さんたちを集めて松戸をより良くするためのディスカッションを、アーティストを交えて実施したり。
地元の方々の、生活に対する解像度を上げるために、アートという手法が使われているのです。
2016年に滞在したフランス出身のダンサー・エミリアが公園で行ったパフォーマンス。作品名:TEST アーティスト名:Émilia Giudicelli
「PARADISE AIR」の代表の庄子さんは「このレジデンスの特徴の一つとして、美術家だけではなく音楽家やシェフ、写真家など幅広いクリエイターを呼んでいるところが挙げられます。街の可能性や多様性を育みたいという思いがあるためです」と話します。
また、アーティストの肩書きや手法が多様なことに加えて、彼らをレジデンスに招致する仕組みも、地域にひらけた形になっています。「PARADISE AIR」では、滞在期間が3週間のショートステイプログラムと3ヶ月のロングステイプログラムの2つの受け皿があります。
取材させていただいたアリシヤさんは、ロングステイプログラムの参加アーティスト。世界中から449件の応募がある中から、アート関係者はもちろん松戸市役所の方々や地域住民たちもアーティストの選考に関わりながら、2018年度に滞在する2名のアーティストを選びました。
選考などの仕組みだけではなく、施設としての「PARADISE AIR」にも、「日常生活や暮らしをアートとしてとらえ直す」ための仕掛けがあります。
アーティスト・イン・レジデンスは、美術館やギャラリーが旗振り役として運営しているところも珍しくありません。しかし、「PARADISE AIR」の場合、宿泊はできますが作品を発表する場所が館内にはありません。そのため、自然とアーティストは街に出ていくようになります。
滞在中、地域のひとたちにインタビューして作品のための情報を集めたり、住民参加型の作品をつくったりするひとたちも多いといいます。作品づくりを地域にひらけた形でおこなうことで、松戸の住民たちにとってもアートが遠く離れた別世界のものではなくなっていくのです。
「ポーランドのあるアーティストのリサーチで、第二次世界大戦を経験した方にスポットを当てたインタビューに同席したことがあります。
人生で一番良かった思い出は何ですかという質問に対して、オーストラリアに空爆したのが成功したときっておっしゃって。結構衝撃的じゃないですか、そういう話って。
逆に今までで一番悲しかったことを聞いたら、当時松戸に飛行場があったらしくて、戦争に負けそうになるにつれ先輩たちがどんどん亡くなるから、若干17歳くらいで、その飛行場の一番重要な役職についてしまったそうです。そして自分が整備した飛行機を50機ぐらい見送ったら、一機も帰ってこなかったことが人生で一番悲しかったことだ、と。
『さっきまでオーストラリアに空爆したのを喜んでたやん!』って思うんですけど、その感覚のギャップっていうか、ふだん生活していたらそんな話、聞く機会はほとんどない。でもアーティストがいることによって、今まで知らなかった地域の話ができるのは、とてもおもしろいと思います」
さらに、庄子さんは「僕にとって、町会長さんとアーティストってあんまり変わらない気がします」と教えてくれました。
「自治会長さんとか地域のおじいさんたちと話してみると、イノベイティブというか、アーティストのようなことをおっしゃったり、実行していたりする。
たとえばゴミ置場の管理方法。カラスの被害を防ぐためにどうしたらいいか地域のひとを呼んでアイディアを出し合ったりとか、ホームレスのひとにお金を渡して管理を委託したりとか。
松戸は、江戸時代から宿場町として栄えた歴史もあり、自治意識が強い地域です。ここに来る前は、町会とか何のためにあるのか疑問でしたが、意義深いことをしていんだと気付きました」
「誰も彼もと分かり合えたら、文化は生まれないと思います」
松戸市内の地域住民を含むメンバーによって選ばれた、2名のアーティスト。
そのうちの一人が、アリシヤさんです。ポーランド出身で、文化人類学について大学で学んだのち、ロンドンを拠点に活動しています。
地域にひらけた作品づくりをするアーティストの一人として、アリシヤさんが作品にかける「問い」をうかがいました。
(以下、アリシヤさん)
私のテーマは、「主流な生き方と別の、オルタナティブな世界にはどんな問題があり、それらの原因や解決方法は何なのか」という問いです。たとえば経済やジェンダーなどの、解決されていない問題ですね。一見関係ない社会問題も、環境に紐づいていることがあるから、最近は環境問題にも興味があります。
もともと文化人類学を勉強していたバックグラウンドがあるから、社会科学でもファインアートでもないような、その間に位置するような作品をつくっています。移民であり法律家でもある方々を集めて一つのテーマについてディスカッションをしてもらい、会話からどんな新しい視点が生まれるかということにフォーカスした作品もあります。ジャーナリストやアクティビストとは違いますが、彼らと一緒に仕事をすることもありますし、似ている部分はあるかもしれません。
私にとってのアートは、自分の問いについてリサーチしたり新しいアイディアを見つけるための、ひとつのツールというか、方法だと考えているんです。そのため、作品がインスタレーションだったり映像だったりするからか、わかりにくいと言われることも、しばしばあります。
最終的にはドキュメンタリーのような映像作品になることも多いですが、映像を撮ることだけがゴール(作品)ではありません。かといって、どんなにプロセスが興味深くても映像がイノベイティブでないのも、よくない。テーマを決めてつくりはじめるプロセスも含めて、作品として見せられるように編集しています。
Tear Dealer / Skup Łez(*2) from alicja rogalska on Vimeo.
作品をつくるうえで、自分とは異なる価値観を持つひとの意見を聞くことを大切にしていて、そこから新しい着想を得ることもあります。
たとえば、松戸でインタビューをしたある日本人男性は、英語を話さないひとだったからGoogle翻訳を使ってコミュニケーションをしました。だからいろいろな間違いが起こって、お互いに何を言っているのか全然分からないこともありました。けれど、誤解によって新しい発見が生まれることもあったんですよね。
私は、分かり合えないという状態も、一つのコミュニケーションの形だと思います。だからミスコミュニケーションは怖いものではないし、美しいもの。
ひとつのトピックに対して、100人いたら100通りの考えや答えがあります。もし全員が分かり合えたとしたら、言葉もいらないし、何の文化も生まれないし、必要ないんじゃないかって。だからこそ、アートが必要とされるのだとも、思いますね。
(*2)アリシヤさんの「Tear Dealer(ティアディーラー)」という作品。ふるさとのポーランドで創作。日雇い労働で暮らす人々が多いエリアに、泣いた涙の量に応じて報酬が支払われるお店を10日間限定でオープンし、それぞれの方法で涙を流す様子を記録した映像作品。写真を見て泣くひと、体に痛みを与えて涙を出そうと試みるひと、玉ねぎで涙を流そうとするひとなどが映し出される。人間が持つ感情や、「働くとは何か」というテーマから生まれた作品。
ローカルなテーマがグローバルにつながっている
「PARADISE AIR」に滞在している3ヶ月間では、松戸に暮らしている方々を中心にインタビューをおこないました。日本に滞在しながら、少子高齢時代の中で将来どういう仕事が残り、消えていくのだろうということを考えていたんです。もともと私が「仕事」や「働く」というテーマを取り上げることが多いから、今回の切り口は「未来」にしました。
松戸に住んでいる方を中心に、大学の先生や車の修理屋さんなどいろんな仕事をしている人々を8名集めて「テクノロジーが発達し、日本の経済状況が変化する中で自分の仕事は将来どうなっていくと思うか」という話を聞いて、リサーチをおこないました。インタビューをする中で、テクノロジーに対する抵抗は低いひとが多いということや、日本人が持つ働く美学のような価値観は変化しつつあるのだということに気づきました。
インタビューをする中で、介護士さんと93歳のおばあさんと話す機会があって、一緒にプロジェクトを進行しました。彼女に残された時間を考えると、彼女から未来の日本のことを聞くのはとても興味深かったからです。今ほど過剰に働かなくてもよくなるかもしれない未来で、世界はどんなふうに変化していくのだろう、ということについて話をしました。
誰しも「こうなったらいいな」と願う世界はあります。その願望や欲望の根底が、どこにあるのかをリサーチして作品をつくりました。
松戸という地域だけに、フォーカスをしているわけではありません。もちろん松戸市の人々にフォーカスはしますが、人々へのインタビューを通して扱う問題は、ユニバーサルなものです。ローカルで課題になっていることは、世界の課題ともつながっている。ですから、普遍的な作品をつくっているという意識が常にあるんです。
私は彼女のような人たちと出会ってからずっと考えていた。「生産性のない人間には生きる価値がない」のだろうかと。だが国の対応を見れば、国益にならない人間に使う金はないと言っていることは明らかだった。高齢者をケアする私たち介護職に対しても同様だ。(中略)
どのような境遇でも、居場所と活躍の場を作るべきだという思いがいつも心の片隅にあった。そんな思いが過渡期にあるときアリシヤと出会った。アリシヤは聡明で澄んだ女性だった。翻訳アプリを介し何時間も真剣に話をした。会話には苦労したが、アリシヤとのコミュニケーションは研ぎ澄まされた時間だった。私たちは介護を題材にし「寝たきりの彼女」を、もとい「寝かせられきりの彼女」を作品の主体にすることに決めた。
後日、彼女や家族に概要を説明し承諾をいただいたうえでプロジェクトをはじめた。私は未来についてのインタビューを彼女にし、その映像を撮る。その映像とインタビューをアリシヤが編集し、彫刻や陶芸とともにインスタレーション作品にまで昇華させた。アリシヤの作品は本当に素晴らしかった。
おむつ交換などのケア内容や部屋の様子も快く撮影させてくれた。嬉々としてインタビューに応じる彼女は、今までよりも声に張りが出て生気に満ち溢れていた。少し若返ったようにさえ見えた。
(PARADISE AIR 2018 LONGSTAY PROGRAM 武田有史氏「ミライ」テキストより引用)