ITの町と呼ばれて久しい、徳島県神山町。町の発展を牽引してきた特定非営利活動法人グリーンバレーの中心にいるのが、理事長の大南信也さんだ。独特の方針が牽引する長年の町づくりを経て、今まさに「発酵の段階」に入り始めたという神山町。全国から注目されるまでに至った今日までの道のりと、そこに込めた想いを聞いた。
神山町の町づくりの中心「グリーンバレー」とは
── グリーンバレーとは、どんな組織なのでしょうか。
大南信也(以下、大南) 神山町に本拠を置く非営利活動法人です。「日本の田舎をステキに変える」を合言葉に、アーティスト・イン・レジデンスや神山塾、サテライト・オフィス誘致など、移住支援を軸とした事業を主に手がけています。
── 合言葉が「日本の田舎をステキに変える」って、いいですね。
大南 ありがとうございます。ビジョンとして、掲げていることは、この3つです。
- 「人」をコンテンツにしたクリエイティブな田舎づくり
- 多様な人の知恵が融合する「せかいのかみやま」づくり
- 「創造的過疎」による持続可能な地域づくり
── 「やればええんちゃう」も、この町でよく聞く言葉ですよね。
大南 そうですね。あとは、「できない理由より、できる方法を!」「とにかく始めろ(Just Do It)!」というのも、この町を語るときによく言われる言葉です。
── 神山町は、サテライト・オフィスの開設が相次ぐ町としても有名です。
大南 ここ数年で、10社以上が神山町にサテライト・オフィスを開設しました。Sansan株式会社のオフィスや、株式会社えんがわの「えんがわオフィス」には、今でも毎日のように全国から視察がきています。
── 2011年には、初めて転入者数が転出者数を上回りました。
大南 私が神山町の町づくりに関わり始めてから早25年、人と町の新陳代謝はずっと活発になってきたと思います。まさに今、神山町はあちこちで発酵が始まる段階に入ったのだと思います。
神山町の歩みと「グリーンバレー」の歴史
── 神山町に人が集う理由は、一体何なのでしょうか。神山町とグリーンバレーの歴史について聞かせていただけませんか?
大南 グリーンバレー設立は2004年。でも、前身があります。それが「国際文化村委員会」なのですが、そこに至るまでもまだ道のりがあって……。
一番最初の始まりは、1991年の青い目のアリスと呼ばれる人形を、「祖国であるアメリカに里帰りさせたい」と願う地域の有志の集いでした。青い目のアリスは、1927年に日米親善のために贈られた人形でしたが、戦時中にその多くが壊されてしまって、現存するものが少なかったんです。残っているものの1つが神山町の小学校にあるということが分かり、せっかくだから里帰りさせてあげよう、という目的で。
── 青い目の人形、ですか。
大南 人形にはパスポートが付いていて、贈り主の名前や住所まで分かりましたが、何しろ数十年前の話です。贈り主がご存命かどうかもわからないままアメリカに渡って、色々と模索して……。結果として、贈り主の手元に届けることができたんですよね。
一団の動きはアメリカ現地の新聞にも取り上げられたりして、あの時はみんなで一緒にワクワクしましたね。
── 楽しそうですね。
大南 その時の成功体験やワクワクを共有した仲間が、じつは後のグリーンバレーの設立メンバーになります。目的だけでなく、経験や驚き、喜びを共有する仲間とともに、その後のプロジェクトを進めることができたのが、神山町の発展の大きな理由になったんじゃないかと今になって思います。
── なるほど。その後はどうなるのでしょうか?
大南 その時にできた国を超えたつながり、つまり国際交流を絶やしたくないとうことで、有志で「神山町国際交流協会」を設立しました。ちょうどALT(Assistant Language Teacher)が始まった頃だったので、地域で受け入れを始めたり。
その後、徳島県が神山町を中心に国際文化村を作る構想を練っていると聞いて、10年、20年後は県ではなく町、自治体に運営が委ねられるだろうと予想し、「それであれば、企画から自主的に関わろう」と判断、「国際文化村委員会」を設立しました。これが、先ほど申し上げた、グリーンバレーの前身になります。
そこから、毎年3名のアーティストを神山町に招待する「アーティスト・イン・レジデンス」という制度がスタートするのですが、気が付けばアーティストが毎年1組ずつくらいは神山町に移住するようになって。
そこから、引っ越しの手伝いや家探しなんかをやってたら、徐々に自分たちに移住支援のノウハウが蓄積されていく形になってね。アートが目的で神山町に自費でやってくる人なんかも増えてきたので、情報発信や整備にも力を入れなければということで、「イン神山」というサイトを作りました。
大南 その時にデザインを手伝ってくださったのが、働き方研究家の西村佳哲さんです。町づくりに意欲的になればなるほど、じつは背伸びをしたサイトを作りがち。でも、背伸びをして作ってしまうと、実際の町よりも素敵に見えてしまったりして、見た人のイメージと現実がかけ離れていってしまうこともありますよね。
そうすると、「悪いギャップ」が生まれます。それは長期的に見て、町に根付く人を呼び込めない。だからあえてデザインをしないことで、ありのままの神山町を発信する。「神山町の小窓」として機能するようなサイトを作ってもらいました。
── なるほど……。たしかに、「イン神山」は等身大なサイトという印象を受けます。
大南 その後、「アーティスト・イン・レジデンス」ならぬ、仕事を持ったまま移住する逆指名制度の「ワーク・イン・レジデンス」を2008年に開始。アーティストや、パン屋などの人が神山町に入ってくるようになった流れで、今度は「サテライト・オフィス」という形で、空いている古民家を改装して都心の支店としてオフィスを構えるという動きが出てくるようになりました。これが、2010年頃の話ですね。この頃から、神山町は連日テレビや新聞で取り上げられることが飛躍的に増えました。
── はい。
大南 まだ続きます(笑)。「サテライト・オフィス」が町に浸透し始めると、今度はこれまで町になかったサービス産業が成立するようになりました。具体的には、カフェや、ピザ屋、宿泊施設がそれに当たりますね。
── サービス産業が町に生まれると、何が変わるのでしょうか?
大南 地元の農産物が消費されるようになります。「オーガニック」という価値観が町に拡がったことも、神山町にとっては変化です。
大南 一般的に、地域の農業と都会との関わりは、買う・買われるの関係にあることが多いと思います。でもそれだと、いくら野菜をブランド化しても、利益は1,000円~2,000円くらいが関の山。そうじゃなくて、僕はその野菜をサービスにして、つまり今の例だと料理にして、都会から人がやってきて、食べてもらって消費されるという流れが理想なんじゃないかなと思うんですね。
例えば地域でオーガニックフードを作ったとします。ほとんどの地域が、東京やどこかのオーガニックレストランに卸すと思うんです。でも、売った時は1,000円~2,000円の範囲の話が、東京のレストランで調理されたあとはサービスが加わり、20,000円~30,000円の料理になります。
── たしかに、そうですね。
大南 それを、地域の中での循環にできたとしたら、とてもおもしろいと思うんです。山形県鶴岡市の「アル・ケッチァーノ 」というレストランがあるんですが、そこに誰が食べに来ているかといえば、地元以外の人なんです。例えば東京からであれば、「アル・ケッチァーノ 」の料理を食べるために山形新幹線に乗って、数万円の交通費を払って、そして地域の人が作った野菜と地域の人の料理を食べて、地域の宿泊施設を利用して帰っていく。
この循環って、非常に地域の経済が回りやすい仕組みだと思いませんか。
── 思います。
大南 ですよね(笑)。それまで町になかったサービス業が生まれると、この可能性も生まれてきます。事実、今の神山町でも同じことが起こりつつあるんですよ。
青い目の人形の里帰りから始まって、「アート・イン・レジデンス」、「ワーク・イン・レジデンス」、「神山塾」や「サテライト・オフィス」……オーガニックの野菜でサービス産業に行き着く未来を、最初からしっかりと描いていたわけではありません。
今、神山町ではこの例に限らず、町の至るところで様々な事象が起こっています。僕は、それを「発酵しているみたいだなぁ」と感じていて。こちらの予想を超えることが起こっていると言うかね。
「枠」と「余白」未来を怖がらない大切さ
── いろいろなことを経て、神山町が成り立っているんですね。今の神山町の姿は、大南さんの予想の範囲内なのでしょうか? それとも、予想の範囲を超えて発展している……?
大南 どうだろうなぁ(笑)。いや、全然。想定外ですよ。もともと、この町は僕の手の中にないと思っているしね。
── 神山町は、新しいことにチャレンジする人の背中を押す土壌が育っている気がします。
大南 そうかもしれませんね。でも、それはやっぱりアートの力も大きいと思いますよ。
── アート、ですか?
大南 うん。神山町の生命はアートだと思う。既成概念にとらわれない人がずっと循環していく町、という意味で。
先日アメリカのFacebook本社の視察に行ったんですが、Facebookさんも最近、アート・イン・レジデンスを始めたんですよ。社員にアートのプロセスを見せることで、クリエイティビティを上げよう、という意図でね。
── 神山町と同じ取り組みですね。
大南 そう。昨日まで一生懸命作っていたものを、今日壊す。なんだそれ、と思うけれど、意外にそれって仕事に通じるところもあるし、刺激になる。「意味のないものに意味がある」とか、「役に立たないと思われるようなものがじつは役に立つ」という示唆を含んでいたりもします。
僕は、プロスキーヤーの三浦敬三さんが、エベレスト登頂の際に抹茶を飲んだという逸話もすごく好きでね。生死をかけた登山の際に、わざわざ重い茶器を持って、頂上付近で普段通りに抹茶を飲む。
それって一見、すごく無駄なことのように思えるのですが、じつは極限状態で平常心を取り戻させてくれるのって、いつもと同じ抹茶を飲むとか、そんなささいなことだったりするんです。
神山町のアートも、それと同じだなと思っています。つまりは、世の中の「隙間」ですよね。アートって、すぐにお金にならず、役に立つことではないかもしれません。でもだからって、埋めてしまったり、なくしてしまったりするのではなく、「わけわからん」みたいな余白を残しておきたいですよね。
日本はすべて効率的に物事を考えたいから、まず最初に隙間を埋めてしまう。隙間のないものが一番効率的で良いものっていう見方が大概を占める。でも、その隙間の部分がさっき言った抹茶であったり、アートだったりするかもしれないんです。
── 大南さん自体は、そういったアートの「隙間」のちからを、最初から見越して取り入れたのでしょうか?
大南 もちろん、と言いたいけれど、どちらかと言うと、アートを取り入れたらこの町はどうなっていくんだろう? という流れに興味があったという方が近いかな。
神山町は、結果的にシステムシンキング、デザインシンキングになっているということが多いけれど、もともとのベースにあるのは全部「ワクワクする」とか、「もっとおもしろいことは何か」とか。アートを取り入れるといいらしいぞという条件整備から入るのではなくて、これはなんだかおもしろそうだぞ、というチャレンジ精神の方をとる。
たまに「神山町で、アートはもう使命を十分果たしましたね」という感想をもらうこともあるけれど、もともと使命を与えてアートを始めたわけでないので。神山町のアートが終わるときは、「アートがつまらない」と感じたとき。おそらく、順番が違うんだと思いますよ。
── 「やればええんちゃう」という言葉に込めた大南さんの想いも、それに近いのでしょうか?
大南 近いところはありますね。
グリーンバレーがやってきたのは、「枠組みのない場」を創ることだと思うんですよ。例えば、前例のないことに誰かが挑戦したいと言い出したときに、一般的な自治体はそれを止めることが多いと思いますが、うちは止めない。
── なぜですか?
大南 止めるのは、自分の「枠」の外にその物事があるから。一度失敗した経験があったりしたら、それをもとに阻止することって、人にはよくあることだと思います。でも、「よくわからないから止める」のではなくて、「よくわからないから一度やってみせてよ」と考える。
それって結局、僕らが想像していないことがここで起こるかもしれない、という可能性と同義なんですよね。
グリーンバレーが十数年をかけて創り上げてきたのは、「枠組みのない場」です。物事はたぶん、枠の大きさのものしかできないようになっていると思うんです。だから、枠の大きさ以上のものを創りあげたいと思うのなら、それはもう枠をなくすしかない。一般的には、それはイノベーションって呼ぶのかもしれませんね。
数々の挑戦と失敗があるから、良い拮抗が生まれて、成功モデルが出てくる。神山町も、そのイノベーションが起こり続ける町であれば、「せかいのかみやま」として持続可能な町づくりができるんじゃないかなぁと思うんですよ。
わずか2.5%の変化が生み出すインパクトを信じて
── ありがとうございました。神山町がなぜここまで気持ちがよい、惹かれる土地なのかが少しわかった気がします。
大南 まだまだ変わっていくと思いますよ。西村さんいわく、この土地のよさは「健やかさ」だそうです。人に誠実でありたいという風土。でもじつは、いくら注目度が上がっても、神山町の人口はずっと右肩下がりなんですよ。
いろいろなメディアで「転入者が転出者を上回った」という部分が報道されて、そして「神山町は人口が増えているらしいぞ」と認識されることが多いけれど、でも現実はそうではない。繰り返しますが、人口は順調に減少し続けているんです。
神山町の総人口は5,882人(2015年6月現在)。移住者は約150名なので、割合にするとわずか2.5%ほど。でもそれでも、総人口の2.5%が外から来てくれた人、移住者になって、注目度が変われば、街全体の未来が変わる可能性は十分にあるということです。
神山町はまだ未完成かもしれませんが、これから日本全体が迎える地域の未来に、少しでも楔を打てたらいいなぁと思いますね。
お話をうかがった人
大南 信也(おおみなみ しんや)
1953年徳島県神山町生まれ。米国スタンフォード大学院修了。1991年青い目の人形「アリス」の64年ぶりの米国への里帰りを実現。1998年より全国初となる「アドプトプログラム」実施や「神山アーティスト・イン・レジデンス」を相次いで始動。2007年より神山町移住交流支援センターを受託運営の結果、2011年度、神山町史上初となる社会動態人口増を達成。2010年以降、IT企業7社のサテライトオフィスの誘致を実現。多様な人が集う価値創造の場「せかいのかみやま」づくりとともに、的確な目標に向かって過疎化を進め、人口構成の健全化を目指す「創造的過疎」を持論に活動中。
【8/20〜9/2 渋谷ロフトで神山フェアがはじまります】
※2015年8月6日発売の雑誌ディスカバー・ジャパンの特集【徳島県神山町で暮らすこと】より抜粋。
※イベントは終了しています。
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