徳島県神山町のメイン通りを歩くと、ふと目に入ってくる黄色い看板。「東芝電気工事材料」と書かれた建物の下にひっそりと、けれど凛と立っているのが「LICHT LICHT KAMIYAMA(以下、リヒトリヒト)」の看板です。
ガラス張りの扉の向こうにちらりと見えるのは、靴。
「それぞれの足やライフスタイルに合った、ちょうどよいものづくり」を信条に、神山町でオーダーメイドの靴作りをしている金澤光記さんに、お店ができるまでの経緯と、靴に込める想いを聞きました。
一人ひとりの足に合わせて、靴をこしらえる
── ここは、オーダーメイドの靴屋さんなのだとか。
金澤 光記(以下、金澤) オーダーメイドの靴屋です。2015年1月にオープンしました。
── 靴は、どうやって頼めばよいのでしょうか?
金澤 基本的には、来店していただいて、お話をじっくりと伺って、その人の足や、どんな靴がほしいかを相談しながら採寸や採型をして作っていくスタイルです。「パターンオーダーシューズ」と「フルオーダーシューズ」があります。
── これまで、どんな靴を?
金澤 一般の方向けの靴のほか、足の不自由な方向けの靴も作ってきましたね。
金澤 足の悪い方の中には、室内用としての靴を履かれることがあります。ですから、そういった方が外出するときに使用する、室内用の靴にかぶせるカバーを作ることもありますね。
靴って、人生を楽しむために必要なアイテムだと思いますし、おしゃれが楽しめる部分でもあります。靴が足にフィットする喜びを、どんな方にでも届けられたらいいなと思っています。
いろんな選択肢があっていい
── 金澤さんと、靴の出会いについても教えていただけますか?
金澤 高校1年生の時にテレビ番組で、靴デザイナーの人が靴を作っている様子を観たのがきっかけです。それまで、靴を作るということが身近になかったので、とても新鮮でした。
もともと叔父が家具職人だったり、従兄弟が服飾のデザインをしていたりと、親類に企業勤めをしている人が少なかったから、僕もなんとなくスーツを着て仕事をする以外のことがしたいなとは、おぼろげに思っていました。
そんなことを考えているときに靴の映像を観たので、こういうこともできるんだとすごく印象に残ったんですよね。それからずっと、靴職人になりたいと言い続けて、親を説得しました。
── では、高校卒業後は専門学校へ?
金澤 そうですね。一般的な靴作りの基礎はもちろんですが、障害のある方の靴作りが学べる学校を選びました。
── それは、なぜでしょう?
金澤 一般的な靴はもちろんですが、それよりも足の不自由な人の靴を作ることに、強く惹かれたんです。難しいけれど、意味のあることなような気がして。
少し話は飛びますが、『フォレスト・ガンプ』という映画をご存知でしょうか? 最初のシーンに、子どもが靴を履くシーンがあります。その靴は、支柱の入った金具がガチャガチャ音を鳴らすような靴。足の不自由な人の中には、そういった決まった靴しか履けない方もいます。選択肢が極端に少ない。
たとえば僕が足にケガをしたり、あるいは病気にかかって、以前と足の形や大きさが変わってしまったとします。すると今まで持っていた靴で履けるものがなくなってしまう。そうすると整形外科などで靴を作ることになります。
でもその靴は履けたとしても、いつでもその靴しか履けないのなら、今までのように服装や気分に応じて靴を選ぶことは出来なくなってしまうし、日本にはまだまだそういった方たちが満足出来るような靴を提供しているところが少ないと思います。
金澤 でも、もっと選択肢があってもいいじゃないですか。
僕は、「これしか履けない」のでなくて、「これが履きたい」と思えるような靴を作れる人になりたいと、高校生の時から思っていました。例え足が不自由になっても、ファッションには変わらず興味があるし、かっこいい靴が履きたいなって純粋に思う。そういった方の希望に沿った靴が作れるような職人になりたいと思ったんです。
── 15歳のときの決断としては、とても大人びているように感じます。
金澤 そうでしょうか?(笑) 僕が選んだのは専門学校だったのですが、解剖学や病理学などが学べるほか、実技があったり資格が取れたり、あとは理学療法士さんや、救命救急士さんがいるような学校でした。義足を作る人もいて、目指す職種が違う人たちと触れ合いながら2年間を過ごせたことは、とても意味のあることだったと思います。
── 靴を作るということは、もっとファッションに近いことなのかと思っていました。
金澤 そうですね。靴を作りたいと志すひとは、モノづくりがしたい人や、ファッションに興味があるという人が多い傾向はあると思います。
でも、僕が選んだ学校は全体としては体や健康、足についてみんなで考えながら、自分の欲ややりたいこと中心ではなく、相手のひとに合ったものを作るというのがベースの考え方としてあるようなところでしたね。
── 卒業後の進路はどうしたのですか?
金澤 ドイツに勉強しに行きました。学校の先生に、ブレーメンにあるアーセンドルフという場所を紹介してもらって、1年間の修行をしました。ドイツでは、一般的な靴を作る「マイスター」と、整形外科的な靴を作る、「オーソペディ」というマイスター資格の両方があって、僕が修行させていただいたお店のマイスターは、その両方の資格を持っている方でした。
マイスターが1人、職人が3人、あとは事務を担当してくださる方がいる比較的小規模は組織だったのですが、スポーツ選手向けの靴も作っている場所だったので、ドイツのサッカー選手も出入りするようなところで、とても勉強になりましたね。
帰国後は、神奈川県や、出身である愛知県で靴作りの仕事をしてきました。
この町でお店を開きたい
── 神山町にお店を構えるまでは、どういった経緯になるのでしょうか?
金澤 靴作りの仕事を10年続けたくらいから、独立心が芽生えてきました。どこかでお店を構えようというイメージはありましたが、どこでやりたいかはそこまで明確でなかったんです。うちの奥さんが徳島県の出身だったから、出店する候補地にあがりました。
でも、徳島県でいきなりお店を開くとしても、どこでやったらいいのか全然わからない。まずはどこかで2、3年働いて生活する中で自分の求めるようなものがあれば独立しようか、なんて考えていたときに、偶然「神山塾」の存在を知ったんです。
── NPO法人グリーンバレーが主催している、職業訓練の名称ですね。
金澤 はい。半年間でいろいろな人に出会えたり、新しいことが学べたり、これからの暮らしを考えるいいきっかけになるんじゃないかと思って、入塾を決めました。それが、僕と神山町の最初の接点ですね。
── じゃあ、そこから神山町を気に入って?
金澤 そうですね。きれいな川や美しい星空などの豊かな自然があり、知恵のあるとてもあたたかな人々が暮らし、そこにITや移住者やアートなどが絡み、様々な変化が起きているおもしろい町だなぁと思いました。でも、お店を開く直接のきっかけは、神山塾の塾長に、今の「リヒトリヒト」がある場所の物件を紹介してもらったことですね。
── 「東芝電気工事材料」の看板は、なかなかインパクトがあります。
金澤 最初見た時は、ボロボロでした(笑)。20年くらい、だれも住んでいなかったようです。
最初は、立地も不安で、本当に人がきてくれるのかなって、心配していたりしました。でも、受注に関しては、自分から働きかければ何とかなるかもしれないと思ったし、何より人生の中でチャンスを切り開くのは運次第なところがあると思うんです。まだまだ未熟な部分もたくさんありましたが、やりながらそこは何とかしていくしかないなと思って、このタイミングで始めることにしました。
お店を改装してオープンしたのが、2015年の1月15日のこと。毎日必死で、周りのひとや家族に助けられながら、でも充実した日々を送っています。
── 実際にお店を構えられて、いかがですか?
金澤 想像よりもたくさんの注文をいただいて、ありがたい限りです。オープン当日に、県内の新聞に記事を掲載していただけました。問い合わせも多く、今では県内だけでなく県外からもお客様が来てくださいます。
自分用にはもちろん、家族向けのプレゼント用にご購入くださる方もいますね。
金澤 あとは、企業や団体から、「こんな靴は作れないか」と相談いただくことも増えてきました。最近だと、県の鳥獣害対策の関連で、みよし市の食肉加工場で出る鹿の皮をなめして、ジビエの革を使った商品の開発を手伝ってくれないかという打診をいただきました。
もともと、地域に密着したお店を出店するなら、料理のように、地域資源を活かした取り組みをしたいと思っていたので、こういったお話をいただけるのはとてもうれしいです。
他にも地域や企業とコラボしたり、あとは福祉関連の商品を開発したりだとか、やりたいことはまだまだたくさんあります。オーダーメイドの靴屋を起点に、いろいろなことに挑戦していきたいですね。
もしかしたら「理想の暮らし」は必要ないのかもしれない?
── 金澤さんご自身の暮らしとしては、いかがですか? 神山町に移住されて、理想の暮らしは、できていますか?
金澤 うーん、そうですね。お店を始める前は、やっぱり理想の暮らし方、働き方があって、本を読んだり人に話を聞いたりして、構想をふくらませていたと思います。
でも、実際にお店を始めて見ると、理想とはかけ離れていることも多くて(笑)。すごくうれしいことなのですが、例えば注文がたくさんあって、定休日も作業したり夜遅くまで残業したり。お店を経営するかたわら、せっかく自然が豊かな場所なのだからと、趣味の登山にも勤しみたかったのに、なかなかその時間がとれなかったり……。
家にネズミや虫が出たり、夏は湿気、冬は寒さと、悩みは尽きません。でも、それでもなんだか充実しているんですよね。
金澤 ……べつに、思い描いていた理想の暮らしや働き方は必要ないのかもしれません。先を見据えながら目の前にある仕事に精一杯取り組んで、落ち着いた環境で毎日を一生懸命に過ごしていると、意外とそれだけで気持ちよく過ごせるというか。
周りの人たちのサポートや、もちろん家族の理解あってこそですし、そういった人とのあたたかい触れ合いも毎日を彩ってくれているんだと思います。
これからは欲も出てくるだろうし、都会の生活をうらやましく感じることもあるのかもしれませんが、でも全体としては、今とても幸せなんじゃないでしょうか。
── 仕事も暮らしも、なんだか良い方向に動いているのですね。応援しています。またぜひ、お話を聞かせてくださいね。今日はありがとうございました。
お話をうかがったひと
金澤 光記(かなざわ こうき)
1985年生まれ、愛知県尾張旭市出身。高校在学中に靴作りに興味を持ち、神戸医療福祉専門学校で主に足の障害を持つ人の靴(整形靴)を作る技術を学ぶ。卒業後は整形靴の本場ドイツのブレーメンにあるアーセンドルフにて1年間修行し、帰国後は義肢装具会社に勤務。並行して、クラフトフェア出展・個展開催などにも精力的に取り組む。愛知県、神奈川県で勤務したのち、妻の出身地である徳島県への移住を考え始め、縁あって神山町へ。2015年1月15日に念願の靴屋「LICHT LICHT KAMIYAMA」を寄井商店街にオープン。「どんな人も、同じように気持ちよく歩ける靴作り」を目指す。
「LICHT LICHT KAMIYAMA」の公式Facebookページはこちら
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