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【かぐや姫の胸の内】タイ語、ベジタリアン、分かち合い。心に軸を持って新しい世界を拓きたい|大熊あゆみ in ChiangMai, Thailand

【かぐや姫の胸の内】多様な生き方が選べる現代だからこそ、女性の生き方を考えたい──

タイ・チェンマイ観光の中心地・旧市街から少し離れた場所に「ニマンヘミン通り」というおしゃれなエリアがあります。そこからまた少し離れると、広大な敷地に緑が溢れ、学生が思い思いに過ごすチェンマイ大学にたどり着きます。そこに程近いチェンマイ大学アートセンターの中に、ちょうど10年前に大熊あゆみさんが見つけた土の家「DinDee」が建っていました。今やチェンマイ在住の日本人はもちろん、タイのひとたちもみんな知っているカフェです。

放置され、取り壊されるはずだった土の家。「ここはきっと、温かい場所になる」と感じた大熊さんが許可をとり、改装して作ったカフェ「DinDee」は10年間営業を続けていましたが、2016年7月末日、惜しまれつつも閉店することになりました。そして、「DinDee」は、大熊さんが信頼するスタッフ・エーさんに引き継がれ、カフェ「ラモン」として新しい道を歩むことに。

「かぐや姫の胸の内」のママがチェンマイを訪れたのはちょうど引き継ぎの話が進む夏の頃。タイ移住とカフェ「DinDee」の歴史、そしてこれからの大熊さんご自身についてを、ママは聞いてみたいと思いました。

連載 今を生きる女性の本音「かぐや姫の胸の内」

第20回目は、タイ・チェンマイ在住歴17年の、土の家カフェ「DinDee」(以下、「DinDee」)元オーナーの大熊あゆみさんです。

土壁の温かみと豊かな緑、青い扉の調和が美しい「DinDee」外観
土壁の温かみと豊かな緑、青い扉の調和が美しい「DinDee」外観
「DinDee」内観。あゆみさんがひとのつながりの中から選び抜いた、タイ国内の魅力的なアーティスト作品や、あゆみさん自身が作った手作りのお菓子などが並んでいた
「DinDee」内観。あゆみさんがひとのつながりの中から選び抜いた、タイ国内の魅力的なアーティスト作品や、あゆみさん自身が作った手づくりのお菓子などが並んでいた

── こんにちは、あなたが大熊あゆみさんね?

大熊あゆみ(以下、あゆみ) はい、初めまして。

── 1999年にタイに移住されて、「DinDee」のオーナーをやっていらっしゃる。

あゆみ 正確には、元オーナーになります。2016年7月末日に店を閉め、現在は次の活動に向けた準備をしています。オープンしてから10年、店を閉めるとは予想していなかったけれど……お店を始めたとき、10年間は続けたいなと思っていたので、今年は何かの節目だったのかもしれません。お店自体は8年間苦楽を共にしてきたスタッフに引き継ぎ、「ラモン」と名を変えて再スタートを切ることになりました。

── あゆみさんの、次の活動って?

あゆみ タイ語、ベジタリアン料理、分かち合いの3つがこれからの私の軸。この10年間は「DinDee」をいかにたくさんのひとが集うコミュニケーションの場にできるかということに情熱を注いできました。いろいろな想いがあり、今年で店は閉めることになりましたが、私が私の信念を貫く限り、いつだって「DinDee」という場は再現できるかなとも思っていて。

大熊あゆみさん
大熊あゆみさん

── 「再現できる」。

あゆみ 自分の人生で大切にしたいテーマをきちんと自覚して、それに沿って行動することを決めたら、どこに居ても私が展開してきた「DinDee」という世界は築けます。私はいつも、なりたいイメージをつくって、それを「ぽん」と未来に置いて、あとは行動するだけ、という状態をつくります。今は、その「ぽん」と置く点を、どこにするか悩んでいる途中。もしかしたら、また小さな空間をつくるかもしれない。空間はつくらず、私自身が移動する形で何か新しい活動を始めるかもしれない。どうするかはまだ分からないけれど、進むことはたしかです。

── なにか、変わりたい、と思うきっかけがあったのかしら。

あゆみ うーん、特に何か大きな出来事があったわけではありません。ただ、時代や場所は変わっていきます。だから、それにこだわってしまうと辛くなることがある。

昔、日本のお坊さんが雑誌に寄稿した文を読み、今でも覚えているものがあります。

「日本人は仏教の無常、あるいは無常という気持ちをある意味においては魂のレベルで知っている。物事には始まりと終わりがあって、つねに同じ状態というものはない。ゼロになったらまた構築して、それが崩れたらまたつくる。それが生きていくことだと知っている」

というような内容だったと思うのですが、これ、きっと日本が自然災害が多い国だということにも由来しているんです。でも、日本人はこれまでの歴史においていつでもゼロからまた立ち上がって、時代を築く強さを持っている。私もそんな日本人の血を受け継いでいることは確かです。そう思ったとき、与えられた場所や技術、家族や想いはもちろん大切にするけれど、自然に移り変わるものに対しては特にこだわらない生き方もしてみたいと思った。今は、それに挑戦したい気持ちです。

── ふぅん……分かるような、分からないような。ねぇ、そもそもあなたはなぜタイのチェンマイという街にいるの? そしてなぜ、「DinDee」をつくったの? せっかく会えたのだし、少し昔話をしましょうよ。「DinDee」で人気だったという自家製酵素の梅ジュース、今日は特別につくってくれない?

あゆみ いいですよ。暑い夏にとてもよく似合う飲み物ですから。

靴を脱いでゆったりくつろげる、「DinDee」の小上がり席。営業期間はよくここで来客とおしゃべりを楽しんでいたという
靴を脱いでゆったりくつろげる、「DinDee」の小上がり席。営業期間はよくここで来客とおしゃべりを楽しんでいたという

初めて訪れたチェンマイに惚れ込んだ20代

タイ チェンマイ

あゆみ 20代後半の頃、旅行でチェンマイを訪れて、ひと目で好きになりました。日本に帰ったその日の夜からタイ語の勉強を始めて、以後3年間日本のデザイン事務所で働きながら、タイで暮らすために貯金。タイ語をもっと話せるようになりたいと思い、数回チェンマイを訪れて、3回目の渡航ではもう住み始めていました。

── 何にそんなに惹かれたの?

あゆみ タイ語の響き、街の全部。チェンマイの街の魅力は「混在」です。混在しているのは、今と昔の時代。それから、タイらしさと、海外らしさ。街によっては個性や歴史が強すぎて、自分が「これがいい」と思ったライフスタイルを実現しにくいことがあります。でも、チェンマイは希望する生活水準や内容にあわせて、自由自在にコントロールできる余白がある場所です。

たとえば、地元に根ざしたマーケットを活用しながらとても少ない予算でバックパッカーみたいにして過ごすこともできるし、ちょっとリッチに、良いホテルに泊まって、アーティストたちと触れ合いながら、音楽を聞いたりイベントに参加したりとリゾートみたいに過ごすこともできます。

旧市街の中心部にある「ワット・プラシン」
旧市街の中心部にある「ワット・プラシン」
毎週日曜日に開かれる「サンデーマーケット」
毎週日曜日に開かれる「サンデーマーケット」

あゆみ 「ドイ・ステープ」や「ワット・プラシン」のように、タイのお寺がたくさんあって、この土地ならではの文化や歴史を大切にしたいというひとも根付いている。同時にITやメディアの力に注目している若い世代も育っていて、新しいショップやレストラン、イベントなんかのカルチャーがどんどん進化しています。そういった「混在」した中で自分の暮らしを選びとれる場所が、チェンマイです。

ハンドドリップの美味しいコーヒーが飲める「Bay’s Cafe」。タイ人とアメリカ人の夫妻が経営するカフェレストラン「food thought」も併設
ハンドドリップの美味しいコーヒーが飲める「Bay’s Cafe」。タイ人とアメリカ人の夫妻が経営するカフェレストラン「food thought」も併設
「ニマンヘミン通り」近くにあるショッピングモール内の、24時間営業のコワーキングスペース「CAMP」
「ニマンヘミン通り」近くにあるショッピングモール内の、24時間営業のコワーキングスペース「CAMP」

── ふぅん……たしかに旧市街や「ナイト・バザール」などのマーケットでは昔ながらのタイの暮らしが見られるけれど、「DinDee」に近い「ニマンヘミン通り」は、おしゃれな路面店やショッピングモールでの買い物が楽しめる若者の街といった印象だわ。そう、そんな街での暮らしと、タイ語の響きが好きだったのね。

あゆみ はい。日本で猛勉強して、チェンマイで暮らし始めてからも、勉強を続けて。渡航後最初の1ヶ月間はチェンマイではなく首都・バンコクに滞在しながら、現地のNGO団体などを訪ねて回っていたんですが、そのときにタイ人のスタッフに、「タイでの暮らしはどう?」と聞かれて。全然答えられなかったんですね。もう、悔しくて……。その頃、語学書を一冊丸暗記するくらいには読み込んで、「もう私、タイ語喋れる」なんて自信をつけていた頃だったので、なんだか一気に自信喪失。「暮らしはどう?」なんて言葉は、会話集には載っていない。それからはまた実践を交えた猛勉強の日々。移住当初は、そんな感じの浮き沈みを繰り返しながら過ごしていました。

「ここをカフェにしたらきっと気持ちのいい空間が生まれる」

Dindee_タイチェンマイ
あゆみさんが「DinDee」に出会った当初の様子。(画像:「DinDee」公式Faceobookより)

── 「DinDee」との出会いはいつなの?

あゆみ 出会いは、移住7年目の2006年5月のこと。当時、土の家は2002年の建設後、放置されており、もしかしたら取り壊されるかもしれないという状況でした。そんなときに私はこの場所を偶然見つけて、懐かしい湿った香り、ヒンヤリとした土の感触、温かみのある丸い壁に触れて、「ここをカフェにしたらきっと気持ちのいい空間が生まれる」と直感しました。

ただ、その時、私はチェンマイ市内にあるHIVに母子感染した孤児たちの生活施設「バーンロムサイ」での仕事から、病院通訳の仕事に移ったばかり。病院では日本語とタイ語の両方が話せるひとが求められていて、日夜忙しく働いている状態で、しかもしばらくそれが続きそうでした。仕事と平行しながら土の家の改装の許可取り、また実際に土の家関連の仲間たちと修繕作業を進めて、結局病院の仕事と店の経営を続ける形で、カフェをオープンしたのが2007年3月のこと。

病院の仕事を辞めて、カフェ一本に絞ったのが2012年でしたから、約5年間は兼業でカフェオーナーをしていたことになりますね。といっても信頼できるタイ人スタッフにも巡り会えましたし、私はタイ人の男性と結婚したので、彼にもとても助けてもらっていましたが。で、そこから2016年の現在までずっと「DinDee」を軸に新しいことに挑戦してきました。

Dindee_タイチェンマイ
「DinDee」の元スタッフたち。一番左側が新「ラモン」店主のエーさん(画像:「DinDee」公式Faceobookより)

── お店は飲食提供だけではなくて、チェンマイ市内やタイ国内のアーティストの作品の紹介や販売もしていたのね。

あゆみ えぇ、飲食店としてだけではなく、ひとが集い、交流できるコミュニティセンターみたいな場所をつくりたいと思っていたんです。

私は昔から、ひとをつなげるのがすごく好き。たとえばタイ料理を学びたいというひとがお店にきたとして、私の友人にすごく素敵な料理家がいるから、そのひとに会いに行ったら? と言ってみたり、鉄を使ったアーティストが発表の場を探していて、一方でイベントを企画したいというひとがいるから、その2人をつなげたり。自分が持っているものをただ与えるというよりも、友人と友人をつなげていくということに、私はものすごく豊かさを感じるし、そもそも得意なんです。だから、「DinDee」もそんな機能を持った場所になったら良いなと。「分かち合い」の原点ですね。

── イベントや、現地ツアーなども行っていたと公式サイトで見たわ。

あゆみ そう、「ターおばさんのベジキッチンツアー」とか。

── ターおばさん?

あゆみ ターおばさんは、日本のキリン「世界のキッチンから」シリーズの「ソルティ・ライチ」のCMに出ていた方なので、見かけたことがある方も多いかもしれません。彼女は肉や魚を料理に一切使わない、タイでは大御所のベジタリアンタイ料理研究家。私自身も元々店を始めた頃からベジタリアンだったのですが、彼女のベジ料理を食べてからは更にベジ文化の魅力にどっぷりとハマりました。最初は肉・魚料理を提供していた「DinDee」のメニューも、次第にベジ中心のメニューに。そこから派生して天然酵母パン、発酵食づくりなどにもハマって、それらをワークショップやイベントにして「DinDee」でシェアをする、という活動も始めました。ターおばさんとの出会いは、私の中でとても大きいですね。

ツアーは、彼女の料理教室や、そのほかチェンマイ近郊の村での草木染めワークショップなどを体験する形で時折催行しています。これは、チェンマイでともに暮らす友人たちとアイディアを出しながら、試行錯誤でつくっているもので、これからも続けていけたらいいなと思っています。

ターおばさん_タイチェンマイ
ターおばさん(画像:ターおばさんのベジキッチンツアー) 撮影/松井聡美
ターおばさん_タイチェンマイ
(画像:ターおばさんのベジキッチンツアー) 撮影/松井聡美

── あなたが軸にしたいと言っていた、ベジタリアンや分かち合いは、ターおばさんとの出会いの中で生まれたものなのね。

あゆみ はい。最近はベジタリアンの友人と2人で「A Bakery」というユニットを組んで、天然酵母パンの本格的な製造・販売にも力を入れています。「DinDee」営業時代は定期的に店頭販売しており、ありがたいことにいつも売り切れ。それまでベジ料理や天然酵母パンなどに興味がなかったタイ人のひとが、徐々に興味を持ち始めてくれるのを見るとやっぱりうれしいですね。

マーケットに足を運んでくれたり、食生活を少しずつ変えてくれたり、もちろん「DinDee」によく通ってくれたり。これからは、私自身がタイのひと向けにベジ料理や天然酵母パンの教室を催行したり、ツアーを主催したりするのも楽しいかなって思っています。

A Bakery_タイチェンマイ
(画像:「A Bakery」公式Facebookアカウント)

── ふぅん……話を聞いていると、「DinDee」はあなたの充実した暮らしの始まりではあったけれど、あなたのすべてではなかったのね。

あゆみ 今でも「DinDee」は大好きですけれどね。でも、夫が数年前から単身赴任になり、実質的に一人で経営しなければいけなくなったり、そんな中、昨年少し体調を崩したりして。そろそろ40代も半ばに差し掛かるタイミングだし、自分がやってきたことを次の世代に継ぐ時期かな、と感じることもありました。これからの人生、大きくして行くか、小さくして行くか。そう考えた時に私は小さい方を選びたい、と思ったのも一つです。自分のできる範囲でもっと興味のある分野を深めて行きたい。そんな気持ちが重なって、今回の閉店、「手放す」という決断に至りました。

これからどうするかは、まだ秘密。考えていることも準備していることもあるけれど、公にできるくらいにまたステージが整ったら、「DinDee」の公式サイトやFaceobookアカウントなどでお披露目したいなと思っています。けれど最初に言った通り、私の軸は「DinDee」経営時代と変わらず、タイ語、ベジタリアン、そして分かち合い。軸が変わらなければこれからいつだって「DinDee」で目指してきた世界観は小さいなりにも続けていけるかなって。

── 分かる気がする。昔目指していたことが、いつの間にか過去になって通り過ぎ、また新しく目指す場所を見つけていた。ひとは時に、そんなステージの変化に気が付くことがある。そのときにたしかに場所や何かに囚われていたら、進めなくなったりするわよね。何かを掴みたい時は、何かを捨てる必要がある。あなたはそれを知っていたのね、きっと。

【かぐや姫の胸の内】明日月に帰ってしまうとしたら

── かぐや姫は月に帰ってしまった……。もしあなたが、明日月に帰らなければいけないとしたら、最後の日は何をする?

あゆみ  うーん……。これは、「Dindee」最後の日の話になりますが、その日、私は普通通りに営業をして最後の3時間だけ、友達やお客さんとみんなで美味しい料理と楽しい時間をシェアする持ち寄りパーティを開催したんです。「シェア=分け合う」ことは開店当初から私の中にあるコンセプト。最後の瞬間はそれまでやってきた長い人生や歴史に比べたらそんなに重要じゃない。私たちの中にはもうすでに心の中に「思い出」っていう大切な宝物が存在してるから。だから、最後は特別じゃなくてよかった。月に帰る時も、きっと同じかな。

── いいわね……。あなたのシェアという気持ちは、きっとこれからもどこかでずっと、息づいていくものなのね。そして始まりの美しさも。

チェンマイは、なんだか時間がゆっくりと流れていて、自分が透明になれた気がして、たのしかった。あなたが惹かれたのもとても分かる。次に来る時は、無数の灯りが空を飛ぶというロイクラトン祭りの時期に来たいわ。いつかまたチェンマイに来られたとしたら、あなたはそのとき何をしているかしら。これから、楽しみにしている。あなたのつくる未来は、どんな道だとしても、きっと明るいと思うの。

― 立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花 ―

お話をうかがったひと

大熊 あゆみ(おおくま あゆみ)
神奈川県川崎市育ち。大学卒業後、東京のデザイン事務所にて3年間勤務した後、来タイ。1999年〜2005年、財団法人バーンロムサイにて常勤スタッフとして勤務。2007年病院通訳の仕事と並行しながら、土の家を改装したカフェ「DinDee」をオープン。2016年7月末日に店をクローズしてからはキャリアを活かしたフリーランスとして、次のステージを展開中。

公式サイト:チェンマイ土の家のカフェ「DinDee」  
Facebook:カフェ「DinDee」天然酵母パンユニット「A Bakery」

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探求者

伊佐 知美

旅するエッセイスト、フォトグラファー。1986年生まれ、新潟県出身。世界中を旅しながら取材・執筆・撮影をしています。→ さらに詳しく見る

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【かぐや姫の胸の内】鳥取県智頭町に根を張って生きる|田舎のパン屋「タルマーリー」女将 渡邉麻里子 【かぐや姫の胸の内】彫刻と食器、好きだからどちらも続けていく|アーティスト 舘林香織 in London, UK

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