さっきまで晴れ渡っていたのに、気が付けばぽつりぽつり、と雨が降ってきていました。かと思えば次の瞬間、バケツをひっくり返したような水量に変わり、「雨ですね」と話していたと思ったら、みるみる青い空が広がっていく――。
チェコの首都・プラハで舞台美術家であり造形作家として働く林由未さんの自宅兼アトリエの窓からは、そんな景色が見えました。玄関に入った途端、異国に来たのだと感じさせる、林さん作の人形たち。
世界でもっとも人形劇が盛んな国のひとつ、チェコ・プラハで活躍する日本人女性がいる。そう聞いて、【かぐや姫の胸の内】のママが林由未さんを訪ねたのは、まだ夏の頃でした。
連載 今を生きる女性の本音「かぐや姫の胸の内」
第21回目は、プラハ在住歴10年の、舞台美術家・造形作家の林由未さんです。
── 初めまして。あなたが林由未さんね。ここは……アトリエ?
林 由未(以下、林) 初めまして。はい、自宅兼アトリエです。本当はもっと広い場所でやりたいんですけれどね、気が付いたらこうなっていました。
── 失礼だけど、今おいくつ?
林 37歳です。27歳の時に留学のためにチェコを訪れて、以後ずっとプラハに。今はフリーランスの舞台美術家・造形作家としてプラハで暮らしながら仕事をしています。
── ふぅん……。人形劇。正直、あまり馴染みがないのだけれど、チェコではとてもポピュラーみたいね。
林 人形劇は、チェコにとって歴史的にも重要な文化です。日本国内で6年間デザインを勉強した後、チェコに渡った私が最初に学んだ「チェコ国立芸術アカデミー大学院」は、世界で最初にできた人形劇を勉強する国立の大学でした。子どもたちは月に1度、少なくとも2ヶ月に1度は学校の授業で劇場を訪れますし、その他に家族で観に行く子も大勢います。
演目も多種多様で、人形だけのクラシックなものから、人形と人間の共演が見られるもの、シナリオによっては人形以外のものが登場する場合もあります。チェコを語る時に人形劇はもはや欠かせない要素。
というのも、チェコは長年ナチス・ドイツの支配下にあり、ドイツ語の使用を強要されていた時代がありましたが、人形劇だけはチェコ語での上演が許されていました。そういう意味で人形劇は、チェコ人にとってアイデンティティーを守る文化なんです。
── へぇ、大切なものなのね。たとえば日本で言うと、何に近いのかしら。あんまりセンスの良い質問じゃないけれど。
林 うーん。聞かれることが多いので考えたことがあるのですが、一番近いのは、漫画かもしれません。男性向け、女性向け、子ども向け、SF、ファンタジー、学園もの。漫画と一口で言っても、その詳細や分野を語るのはなかなか難しいですよね。それと似ているなと感じることがあります。
── ふぅん……。見た目も少し不思議で、こうやって人形が並んでいると非日常の世界に居る気分にもなってくる。あなたがなぜこの街にいるのか、なぜ人形づくりに向き合っているのか。もう少し詳しく聞かせてもらえたら嬉しいなと思って、今日はここへ来たの。
林 もちろん。いろいろお話したいですね。何か飲み物を用意しましょうか。ミントはお嫌いですか?
── いいえ、むしろ大好きよ。
林 じゃあ、ちょっとミントを摘んできます。ハーブ類は玄関先で育てているので。ちょっと待っていてくださいね。ミントとレモンのアイスティーを淹れますから。
どこまで自分が通用するか知りたくて
── あなたはなぜチェコに?
林 うーん……チェコに来て、人形劇の本場に入って、自分がどこまでできるのかを試したかったから。というのが正しいかもしれません。「造形作家になろう」と決意して来たわけではなくて、もっと20代ならではの勢いのある、生意気な感じだったと思います。これを説明するためには、もう少しさかのぼって過去をお話した方が分かりやすそうです。
林 出身は神奈川県横浜市。もともと祖父がモノづくりが大好きなひとで、幼少期は手づくりの人形や獅子舞でよく遊びました。絵や彫刻、ファインアートが好きで、いつか作家になりたいと思ってはいましたが、それらは果たして美術大学で学ぶことができる分野なのか? なんて思って(笑)。本当にアカデミックに勉強できるのはデザインだと考えたから、大学・大学院はデザインの道に進学しました。
── 人形づくりも、デザインから始まるのよね。
林 そうですね。デザインって全ての基礎だなと思ったんです。デザインができなければ、相手に伝えることすら難しい。アートはコミュニケーションしなければならない、と私は思います。一方通行で終わってしまうのであれば、それは変な話、自己満足に近い。コミュニケーションができるかどうかという点は「表現とは」「アートとは」ということを考える上での、最初の線引ではないでしょうか。私は、届けるところまで出来るようになりたいと思っています。
── へぇ。あなたは今、作家として仕事をしている。どうやってここまでたどり着いたの?
林 私がチェコに来たのは、大学院卒業から3年経ってからのことです。卒業後の3年間は日本でフリーランスの作家活動を続けていました。今も朝から晩まで仕事をしているのですが、この3年は人生でもっとも一心不乱に仕事をした時期で、もがいていたというか。朝からその次の日の朝まで、体を壊すくらい気が狂ったように仕事をし、限界までやってみてどこまで結果が出せるのかということに挑戦していました。
でも、作家として人形をつくればつくるほど、発表すればするほど「この人形は動くんですか?」とか「この人形を劇にしたらおもしろそうですね」とか言ってもらう機会が増える。ギャラリーを貸しきって作家として作品を発表しても、「じゃあ次の展開は?」と考えると、自分のキャパシティが膨れ上がってしまったというか、先が見えなくなってしまって。
言い方が難しいのですが何かをつくって「はい、これが作品です」なんて言っているうちは、やっぱりそれは作品なんかじゃないということだと思います。そういった粗さも、いま見ればおもしろいなとは思いますが……。「個展さえ開けば作家、展覧会をやっていれば作家であるなんて思い違いだな」と、打ちのめされることも多い時期でした。そしてこれは、大学院卒業の時点からずっと悩んでいたこと。
仕方がないですよね、作家になりたいと思って目指したとしても、何かを成したり、腑に落ちるまでは、やっぱり時間がかかるものなんだと思います。
── そうだったの。
林 えぇ。留学については、日本の大学在学中にチェコが人形劇の本場だと知ってから、ずっと興味を持っていました。けれど、私が日本にいる頃は祖父もまだ健在で家族もいましたし、なかなか踏ん切りがつけられなかったんですね。でも、やっぱり本場に行って勉強したいという気持ちは消えなかったので、27歳でチェコに渡ることを決めました。
最初は言語の壁もあってなかなか上手くいきませんでしたが、数年かけて舞台美術家、造形作家として暮らしていけるようになりました。ありがたいですね。忙しいですが、今は本当に毎日楽しく仕事ができています。仕事、と呼ぶのも違和感があるくらい、もう私にとってはモノづくりは生きる意味だから。
国を超えて、子どもたちの笑顔を創り出す
── 最近は、どんな仕事をしているの?
林 チェコ国内で上演する人形劇用の人形づくりはもちろん、舞台演出から担当させていただいたり、いろいろです。特に最近はチェコ以外での仕事も増えてきて、2016年は石川県金沢市(しいのき迎賓館での展覧会)や神奈川県横浜市のKAAT(神奈川芸術劇場)などで、日本―チェコ共同制作の上演もありました。今秋は京都での上演がありますし、今後も日本へは定期的に帰れればと思っています。
直近だと、2016年7月の数週間、アメリカのニューヨークで演出家・芦沢いずみさんの「Misterious Lake」のリニューアルの人形制作を担当させていただきました。これも今後、上演される予定なのでアメリカへもまた行けたらいいなと思います。
── 国を超えて、仕事ができるのね。
林 とても楽しいです。ニューヨークでの仕事は3度目でしたが、前回の渡航は、子供博物館にある劇場での上演のためだったので、「アメリカの子どもは人形劇にどんな反応をするんだろう?」と少し不安な面もありました。でも、やはり子どもに国籍なんて関係ないですね。私たちのつくった大きなドラゴンの人形の行進を観て、濁りのない目で「うわー!」と笑うんです。なんだか本当に涙が出そうになりました。子どもたちの純粋なリアクションを見るだけで、今まで積み重ねてきたどんな苦労も忘れてしまうくらい。そういったことって、本当にあるんですね。
── 素敵ね……。これから、あなたは今までの努力と経験と持ち前のやる気で、もっと活躍の場を増やしていくんだと思う。何か、他にもっとこれをやってみたいということはある?
林 2014年、「Petao-Design(ペタオデザイン)」の名でおもちゃ・人形ブランドを立ち上げました。本当は舞台美術家・造形作家としての仕事のほかに、もっとカジュアルに遊べるおもちゃなどをつくる仕事もしたいなと思っていて。ただ、どうしても時間が足りなくて手が追いつかなくて。
── 「Petao-Design」。
林 家庭内手工業をやりたいんです。日本には、伝統がたくさんありますよね。民芸品や、昔ながらのおもちゃなど。私は伝統を学んできたわけではないし、誰か家族がそういったことに関わっていたという背景もないのですが、今まで培ってきたデザインのちからで、何かゼロから日本らしいモノづくりができたらとてもおもしろいんじゃないかなと思って。
── たとえばどんなもの?
林 三毛猫をモチーフにした招き猫や、こけしなどです。そしてそれを定形にして他の誰でもつくれるような仕組みにしたい。誰かが手づくりした小さなものって、やっぱりすごく好きだし私の原点なんです。祖父を思い出すというか。作家とは別の軸の、私のモノづくりの在り方なんだと思います。
ずっと作家になりたいとは思ってはいましたが、「私は作家なので」という気張った感じや型にはまってしまうようなことは、嫌なんです。作家としてモノづくりをすると、やはりどうしても値段が高価になってしまうこともあるし、劇向けの人形となるとまた違った値段設定になります。そうじゃない別の場所でのモノづくりも、私は大切にしていきたい。だからその壁は、自分から積極的に崩していきたいなって。
林 どのモノづくりも、楽しいと感じる気持ちや、ときめき、表現したいという想いがあって、その先にアウトプットがあるのだと思います。作品、演劇用、観賞用、子どもが遊ぶ用。いろいろな場面や用途によって、つくり変えられるひとになりたいなと思います。
── へぇ……やりたいことを明確に認識しているのね。うらやましいわ。そして、やりたいことが尽きない。それは分かる気がするわ。好きなことを仕事にすればするほど、その純度が上がっていくほど、やりたいことは無限に出てきて、頭が先に行って追いつけなくなる。
林 本当、そんな感じです。でも、ひとつずつ形にしていくのは、さっきも言った通り、想像以上に時間がかかるから。
── そうね。
林 覚めない夢を見ているような。でも、楽しいですよね。いつもアイディアや思考は、体よりも先。本当にやりたいことが尽きなくて、まだまだやりたいことだらけ。これからも楽しみだなぁ。一つ一つ、頑張っていこうと思います。
【かぐや姫の胸の内】もし明日月に帰ってしまうとしたら
── 最後にみんなに聞いていることなのだけれど、かぐや姫は月に帰ってしまった……もしあなたが明日月に帰るとしたら、最後の日は何をする?
林 難しいですね。明日、月に帰るとしたら地球で何をするか。何だろうなぁ。でもまぁ、エゴイスト的な話ですけれど、生きてきた証が残せたらいいなと思います。最後の日だから何をするのかというよりも。
── うんうん。
林 だから、最後の日が来るのに備えて、何かを残せる状態を常に作っておきたい。人形は、つくり手の気持ちをダイレクトに反映するものだと思います。ひとの形って昔は巫女的な役割を担っていたと言われていて、神の怒りをおさめるような呪術的な意味を持つことがあります。人形という形をとった時点で、ある種強いちからを持つものだと思うんです。
布という素材だけだったら簡単に捨てることができるかもしれないけれど、目や手を持った人形なら、容易にポイッと放ることはできない。そういう意味では、この世界で生きていてほしいですね。自分ではないけれど、自分がつくったものたち。私が去った後も。
── いいわね。私も最近、よく自分がいなくなった後のことを考えるわ。あなたの仕事は、自分のためだけじゃなくて、チェコという国であったり、他の国であったり。そしてそこで生きる大人はもちろん、やっぱり子どもたちのためになっている。素敵な仕事だと思った。そして、貫こうとする強さが、とても美しい。
あなたが与えた感動や衝撃は、きっと観たひとの心にずっと残っていくと思うの。あなたはそうやって、子どもたちの未来に、誰かの未来に、何かを残していくのね。日本で仕事があるときは、必ず教えてちょうだい。あなたの手がけた人形と、あなたの与える夢を、私もいつかこの目で見てみたいから。
― 立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花 ―
(一部写真提供:Yumi-Hayashi)
お話をうかがったひと
林 由未(はやし ゆみ)
横浜生まれ1979年横浜生まれ。2002年、東京造形大学視覚伝達専攻科を卒業。2004年、東京藝術大学大学院デザイン科修了。糸あやつり人形に興味を持ち、大学在籍時代から、独自に人形制作を開始。2007年、チェコ国立芸術アカデミー人形劇学部舞台美術科大学院に入学、ペトル・マターセク教授に師事。2008年、ポーラ美術振興財団在外研修助成を受ける。2010年、同大学院を修了。その際、「独自の視点による中央ヨーロッパと日本文化双方の総合的な融合・発展に基づく人形劇の創造・発展への功績」として学長賞を受賞。2012年、文化庁の芸術家在外研修員として、DRAK劇場(チェコ)をはじめとする演劇現場にて研修。現在フリーの舞台人形美術家・造形作家として活動。プラハ在住。
■Yumi-Hayashi公式サイトはこちら、Petao-Design公式サイトはこちら
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