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【かぐや姫の胸の内】鳥取県智頭町に根を張って生きる|田舎のパン屋「タルマーリー」女将 渡邉麻里子

【かぐや姫の胸の内】多様な生き方が選べる現代だからこそ、女性の生き方を考えたい──

「算数無視したら、経営なんて成り立たない。ふたりで何度も話してきたよね。『真っ当な”食”に正当な価格をつけて、それを求めている人にちゃんと届ける。それで世のなかを少しでも真っ当な場所にしていこう』『つくり手が尊敬される社会にしていきたい』って」

「ふたりがいないと店が成り立たないので、文字どおり、二人三脚、一心同体。仕事も人生もずっと一緒。ケンカもするけれど、僕が職人で、マリが女将、僕がパンをつくり、妻がパンを売る。どちらかが欠けたら、その時点で「タルマーリー」は、「タルマーリー」でなくなってしまう。その一体感こそが、僕らの最大の強みかもしれない」

(渡邉格『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』、講談社、Kindle版:No.1459)

鳥取県八頭郡智頭町の那岐という集落に、旧那岐保育園を改装してつくった、「タルマーリー」という名のパン屋があります。移住に挑んだ彼らの歴史や、「田舎のパン屋」を営む経緯、発酵の不思議やマルクスの経済講義など、人生の価値観を揺さぶるエピソードがたくさん詰まった著書「田舎のパン屋が見つけた『腐る経済』」出版から3年。増刷を重ね、3万7千部以上が売れているといいます。

2014年には韓国語に翻訳され韓国でベストセラーに、その後は台湾や中国で翻訳版が出版、海外の密着ドキュメンタリー番組が制作されるなど、国境を越えて注目を浴び始めた「タルマーリー」のパンとビール、カフェ、そして暮らし方。

夫・渡邉格(イタル)さんの目線から語られることの多い「タルマーリー」の物語。けれど、「タルマーリー」は妻・マリさんの存在なしには語れないことを、いまやファンはみんな知っています。女将、母、そしてひとりの女性として、どうやってこの数年を過ごしてきたのか? 鳥取県智頭町移住後1年半を経たマリさんに、【かぐや姫の胸の内】のママは話を聞いてみたいと思いました。

連載 今を生きる女性の本音「かぐや姫の胸の内」

第23回目は、鳥取県智頭町で、天然の菌だけでパンやビールをつくり、カフェも営む「タルマーリー」の女将、渡邉麻里子(以下、マリ)さんの登場です。

「タルマーリー」女将の渡邉麻里子さん
「タルマーリー」女将の渡邉麻里子さん

── 初めまして、あなたがマリさんね。

マリ 初めまして、「タルマーリー」へようこそ。

── お店に入った途端、ふわりといい香りがした気がする。

マリ 麹や発酵の香りだと思います。タルマーリーは、自家製天然麹菌から酒種を醸し、パンをつくります。「手前味噌」という言葉があるように、このあたりで80~90代のおばあちゃんに聞いてみると、昔は自分の家で糀を採取して味噌をつくることが当たり前だったようです。

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マリ 発酵は生きるひとみんなに開かれた技術。でも現代の暮らしでは、あまり身近な存在ではなくなってしまっています。

── 発酵や菌。発酵デザイナーの小倉ヒラクさんと知り合ってから、私はそれらがグッと身近になった。だから今なら、あなたの言わんとすることが分かる。けれど、もし彼と知り合っていなかったら、「何を言っているんだろう?」と理解できなかったかもしれないわ。

マリ そうかもしれませんね。でも、こういう菌の世界を象徴として、自然界に則してモノを作るという楽しさを伝えていきたいですね。「地域の天然菌 × 天然水 × 自然栽培原料」でつくる「今ここで、タルマーリーにしかつくれないパンとビール」。

原材料のみならず、地域の薪を利用してパンやピザを焼くなど、里山の恵みを最大限に活かした加工と、それを楽しむ場をつくることが、ここ鳥取県智頭町で私たちのやりたいことです。

2008年に千葉県いすみ市でオープンした小さなパン屋は、岡山県勝山、そして鳥取県智頭町という場所の移動と時を経て、いま大きく進化しつつあります。鳥取県智頭町は、タルマーリーの理念を集大成できる可能性に満ちている。

── ふぅん……。ねぇ、やっぱりパンとビールをいただいてもいいかしら。ちょっと、香りが良すぎて我慢できない。あなたがなぜこの町にいるのか、パン屋を営むことになったのか、そしてどこを目指しているのか。贅沢だけど、いただきながら、あなたの話を聞かせてもらえたらうれしいわ。

マリ もちろん。「タルマーリー」はカフェであり、パン屋、ビールの醸造所です。お持ちしますから、ちょっとお待ち下さいね。

鳥取県智頭町のタルマーリー
旧那岐保育園を改装してつくった、「タルマーリー」全景

タルマーリー

タルマーリー・ビール

鳥取県智頭町のタルマーリー

夫婦で二人三脚。直感で動き、理論は後からついてくる

── マリさんの現在のお仕事が知りたいわ。

マリ 基本的に主人がパンやビールをつくるひと、私が売るひとでずっとやってきました。ただ、私の仕事は幅広くて……大きくはタルマーリーの総務と渡邉格のマネージャーといったところでしょうか。営業時間は店に立って販売や接客。朝夕はPCに向かって事務作業全般、つまりweb発信や原稿チェック、経理、労務。それに、食材探し、取材や講演のスケジュール管理など……。

鳥取県智頭町のタルマーリー

── ふぅん。ダブルブレーンなのね、素敵。2人の出会いは、いつ?

マリ 私たち夫婦は2人とも東京出身。出会いは新卒で入社した農産物の会社の同期としてでした。ただ、彼は社会に出た後、ハンガリーで1年暮らし、それから大学進学をしたので、私とは7歳の差がありますが。

── へぇ。イタルさんは、パン屋さんにずっとなりたかったの?

マリ いえ。主人がパン職人になると決めたのは、おじいちゃんが夢に出てきて、パン屋になれと言ったから、だそうです。本人はパンよりもご飯が好きで、パンのつくりかたもまったく何も知らないし、家族親戚友人一同「?」となる状態で修業に入りました。

とにかく思い立ったら行動するひとで、岡山時代には井戸を掘るといって、庭にスコップひとつで何メートルも掘って、結局失敗、ということもありました。

最初は私も意味が分からず、理論的に反対したりしましたけれど、何を言っても気が済むまでやらないとダメらしい……と諦めてからは、見守りながらサポートしています。彼の直感と行動力、その結果がいつもおもしろくて、凄いなぁって。ずっと一緒に仕事していても飽きません。直感で動き、理論は後からついてくる。それがタルマーリーのやり方です。

── ず、ずいぶんとユニークな旦那さまね……楽しそうで、うらやましいわ。

「いつか田舎で暮らしたい」と思っていた

鳥取県智頭町の風景
鳥取県智頭町の風景

── パン屋はいいとして、地域暮らしは、ずっとあなたもしたかったの?

マリ 小さい頃から憧れていました。私は東京都世田谷育ち。サラリーマンの家庭で何不自由なく育って、良い教育を受けさせてもらって。でも、子ども時代に長期休みにはいつも過ごしていた、千葉県勝浦の記憶が大人になってもずっと残っていました。

── 海沿いの街ね。

マリ 夏休みに毎日海で潜ってサザエを獲ったり、魚を釣ったり。朝市でおばあちゃんたちが売っている新鮮な野菜や魚を食べると、やっぱりとても美味しくて、東京とは違うなって。それが幼心に本当に楽しくて、いつか「生産者に近い場所」で暮らしたいなと思うように。

── そういえば私も、田舎育ち。都会に憧れて一度は家を出たけれど、最近は「もう東京はいいや」って思い始めている。小さな頃の記憶って、意外に大きなウエイトを占めているものなのかもしれないわ。

マリ そうそう、小説『大草原の小さな家』が大好きで、ずーっと読んでいたんです。

その後、大学では農学部で勉強をして、農産物の会社に就職。でも、都会での仕事は体調もすぐれないし、売る側よりもやっぱりつくる側の人間になりたいなぁと思って。そんな時に、似たような夢を抱いていた主人と結婚して、彼と一緒に「タルマーリー」開業に向けて準備を始めることになりました。

── うん。

マリ 私たちは東京出身なので、まずはフィールドとなる田舎をどこかに探さなくてはいけない。でも、どこに着地したらいいのか……。まったく知らない土地はやはり不安で、私の田舎の原点は千葉に、そして彼は千葉県内の大学を卒業していたので、最初は馴染みのある千葉に店を構えることにしました。けれど、開業して3年で東日本大震災が起きて。子どもたちを安心して育てられる場所、そしてパンの製造に適した綺麗な水の湧き出る場所を探して、次に岡山に移り住むことに。

そこで3年半営業を続け、2015年4月からは、3度目の移住の地として鳥取県智頭町に根を下ろして暮らしています。

「森のようちえん」との出会い。田舎でしかできない子育てがしたかった

鳥取県智頭町のタルマーリー
撮影:Kazue Kawase(YUKAI)

── 風の噂で、岡山の店もとても上手くいっていたと聞いたわ。それなのになぜ、鳥取移住を検討し始めたのかしら。妻として母として、場所を変えることは恐くなかった?

マリ 正直、ものすごく不安でした。でも、もとはといえば私がイタルを引っ張ってしまったところもあって。

── そうなの?

マリ 岡山は大好きでしたし、離れるつもりもありませんでした。それに、イタルはずっとビールがつくりたいと言っていたけど、私は反対だったんです。天然の菌で発酵させるパン屋の経営だけでも精一杯なのに、その上酒税のかかるビールもなんて、経理担当としてはプレッシャーが半端ない。あまりにも「ビールやるぞ」と言い続けるから「しつこいなぁ」って思っていたくらいで(笑)。

今でこそ鳥取県智頭町でパンとビールづくりをしていますが、当時はパンは勝山で、ビールはもう一拠点を近くに持って、そこでつくろうかと考えていたんです。しぶしぶですけれどね。

……でも一方で、じつは私は千葉時代からずっと子育てに悩みを持っていて。

── 子育ての悩み?

マリ 田舎での子育てに憧れ、実際に田舎で暮らしてはいるけれど、土日はお店が忙しくて子どもをどこにも連れて行ってあげられない。私は、自分が過去に千葉県で過ごしたような豊かな時間を、子どもにもっと与えてあげたいと思っていたんです。田舎でしかできない自然体験や、教育の道を探したかった。

それに、やはり過疎地の教育の選択肢は多くないんです。子どもが少ないから、保育園も小学校も1つずつ、選択の余地はありません。外遊びや自然体験を積極的に取り入れようとする姿勢は、むしろ都会の方が強いというのも、田舎に来てわかったことでした。私はなんとなく最近の「とにかく平穏無事に1日を過ごす」「擦り傷ひとつつくったら先生が親に謝る」というような安全重視の風潮が、しっくりこなくて。

── そうだったのね。

マリ 自然豊かな里山で思いっきり身体を動かし、のびのび育ってほしい。そのためには、どうすればいいんだろうーー?

そう思っていたときに、鳥取県智頭町の「森のようちえん まるたんぼう」のスタッフさんが、勝山までパンを買いに来てくれました。「森のようちえん まるたんぼう」には園舎がなく、智頭町の資源である森林そのものが園のフィールドです。園のスタッフは安全確保をしながらも余計な口出しはせず、子どもたちを”見守る”ことに徹します。森のようちえんの存在は、教育環境に悩んでいた千葉時代に知って、それからずっと気になっていました。

鳥取県智頭町
「森のようちえん」のコンセプトは見守る保育。鳥取県智頭町内に14箇所の森のフィールドを持ち、雨の日も雪の日も、子どもたちは森の中で思いっきり遊ぶ

マリ だから、うちの店にパンを買いに来てくれた時、「これはチャンス!」と思い、その森のようちえんのスタッフさんをつまかえました。「西村さん(森のようちえんの代表)を、紹介していただけませんか!?」と。

最初は、勝山の店と並行して智頭町寄りの岡山県内でビール工場を立ち上げ、そこから息子を「森のようちえん」に通わせられたら、と考えました。それを現実的に実行しようというとき、気付いたら「森のようちえん」の願書提出が締め切り間近だったんです。

そして、早速面接に行ったら、知人がその情報を智頭町役場の方に伝えてくれて。それで間もなく、役場の方が勝山まで足を運んでくださり、「智頭町に移転してほしいというわけではないのです。ただタルマーリーさんのやりたいことを聞かせてください」と(笑)。

── へぇ。

マリ そのスピード感と紳士的な姿勢に驚きましたが、そのときは智頭町への移転というのは考えられず、お断りするつもりでした。でもその前からなんとなく直感的に思っていたんです。パンとビール作り、そして子育て、家族の暮らし。思い切ってどこかへ一気に場を移したほうが、全部がうまくいくような気がして。

そこからは何かに導かれるように物事が進みました。岡山県内で探していた物件の話が頓挫してしまい、途方に暮れて、「そうだ、智頭町役場に行こう」と、その足で役場に行きました。そうしたら、勝山に来てくれた役場の方は、わずか1日でこの旧那岐保育園がタルマーリーには最適だろうと判断してくれていたんです。早速ここに案内され、見た途端にもう主人とふたりで小躍りして、その場ですぐに「ここでやらせてください」とお願いしました。

同時に住居も役場の紹介で見つかり、息子も「森のようちえん」に通えることに。

鳥取県智頭町のタルマーリー

マリ 2014年秋に岡山県勝山の店を閉めて準備を進め、2015年6月から新しく鳥取県智頭町「タルマーリー」として、ビアカフェとパン屋をオープンさせるに至りました。

── 愛着のある土地を離れる決断は、辛かったでしょう。

マリ そうですね。人生最大の決断でしたが、でも、今は間違っていなかったかなと思います。

発酵に適した綺麗な空気と水、子育てに最適な自然、協力してくれる地域の方々。パン屋としても、ビール醸造所としても、母としても、ありがたいなと思うことばかりです。小さなことかもしれませんが、ビールを煮た後に出る麦芽カスを畜産農家に引き取ってもらい肥育牛に食べさせるという、そんな地域内循環を子どもたちに見せてあげられる日常が、とても幸せだなと思うんです。

すぐ近所の林業家が、ビールの原料となるホップの自然栽培(無肥料無農薬栽培)を始めて下さったり、役場が率先して自然栽培の普及活動を始めて下さったり。智頭町では、信じられないスピードで私たちの夢が進んでいきます。タルマーリーは農産加工業者として、これからもっと智頭町に根ざしたものづくりをして、地域内循環を促進させていきたいと思っています。

鳥取県智頭町のタルマーリー
タルマーリーが描く地域内循環のイメージ図(タルマーリー公式サイトより)

【かぐや姫の胸の内】いつか月に帰ってしまうとしたら

── 「タルマーリー」はすごく有名になったし、思想や暮らしに共感するひともとても多いわ。それこそ、国を超えて。だからこそ、あなたはきっと辛いこと、困ったことをたくさん乗り越えてきたんだと思う。

最後にひとつだけ聞かせて……。かぐや姫は月に帰ってしまった。最後の1日、あなたは何をする?

マリ えええー、私ひとりで月へ?! それは辛すぎる、想像するだけで涙が出てきます。家族とこれからずっと離れ離れに暮らさなきゃいけないなんて、私には手足をもがれるような思いですね……。

私たち家族は、特別に深い絆があるのかもしれません。夫婦で修業して起業して、3度の移住を経験し、家族みんなで愛情を持っていろいろな問題を乗り越えてきました。明日でお別れとなったら、とりあえず大泣きしますね。そしてきっと、家族4人を一緒に縄でぐるぐる巻きにするとか、絶対に離れられない様にして、4人いっぺんに月へ行ける様に工夫します(笑)。

── そう……いいわね。また、遊びに来てもいいかしら。私、あなたのことがとても好きになった。強くて、柔らかくて、自然の緑がすごく似合う、美しい母。今度は泊まりがけで来てみたい。ビールを飲んで、パンを食べて、鳥取県智頭町の森の中で星を見るの。きっと鳥取、私ももっと好きになるわーー。

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― 立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花 ―

トップ画像撮影:Kazue Kawase(YUKAI)
一部写真提供:タルマーリー

お話をうかがったひと

渡邉 麻里子
1978年、東京都世田谷区生まれ。幼少期から田舎暮らしに憧れ、環境問題に危機感を持ち、東京農工大学農学部で環境社会学を専攻。日本、USA、NZの農家や環境教育現場で研修し、食や農の切り口から環境問題に取組む道を模索。新卒で就職した農産物流通会社で渡邉格と出会い結婚。農産加工場に転職し、販売や広報を担当した後、タルマーリーを開業。夫婦共同経営者、タルマーリー女将として、販売、企画、経理、広報、講演活動などを担当。また1女1男の母として、田舎での職人的子育てを模索中。(Twitter:@talmary_mari

このお店のこと

タルマーリー
住所:鳥取県八頭郡智頭町大背214-1
電話:0858-71-0106
営業時間:ビアカフェ 10:00~16:00
定休日:火・水・木曜日(月曜はパンの製造をしません)
智頭駅までのアクセス:京都から2時間半、大阪から2時間、神戸から1時間半(特急スーパーはくと)、岡山から1時間20分(特急スーパーいなば)、鳥取から30分(特急スーパーはくと/特急スーパーいなば)
公式サイトはこちら

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探求者

伊佐 知美

旅するエッセイスト、フォトグラファー。1986年生まれ、新潟県出身。世界中を旅しながら取材・執筆・撮影をしています。→ さらに詳しく見る

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【かぐや姫の胸の内】人形劇の本場・チェコで“好き”を追求して生きる|舞台美術家・造形作家 林由未 in Prague, Czech 【かぐや姫の胸の内】タイ語、ベジタリアン、分かち合い。心に軸を持って新しい世界を拓きたい|大熊あゆみ in ChiangMai, Thailand

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