営みを知る

【かぐや姫の胸の内】誰とも比べない、私だけの絵を描いて生きていく|イラストレーター・井上希望 in London, UK

【かぐや姫の胸の内】多様な生き方が選べる現代だからこそ、女性の生き方を考えたい──

ここは、都会の喧噪から引き離された知る人ぞ知る老舗スナック。

夜な夜な少なの女性が集い、想いを吐露する隠れた酒場。

確かに近年、女性が活躍する場は増えて来たように私も思う。

自由に生きていい。そう言われても、

「どう生きればいいの?」
「このままでいいのかな」
「枠にはめられたくない」

私たちの悩みは尽きない。

選択肢が増えたように思える現代だからこそ、
多様な生き方が選べる今だからこそ、
この店に来る女性の列は、絶えないのかもしれない。

ほら、今も細腕が店の扉を開ける気配。
一人の女性が入ってきた……

連載 今を生きる女性の本音「かぐや姫の胸の内」

第18回目となる今回は番外編。イギリス・ロンドン在住のイラストレーター・井上希望さんを訪ねます。

井上希望さん

── こんにちは、初めまして。

井上希望(以下、井上) こんにちは。

── 失礼だけど、年は、いくつ?

井上 31歳です。

── イギリスには、いつから?

井上 中学卒業後の後、15歳の頃にイーストボーンの高校へ留学して、そこからずっと。なので、今年でもう……何年ですかね。随分と長くイギリスで暮らしています。

── 職業は、イラストレーターをしていると聞いたわ。このカフェのカップデザインは、あなたが手がけたものらしいじゃない。

ロンドン
ロンドン市内のカフェ「ローカルヒーロー」の様子。カップと壁画のデザインは井上さんが手がけた

井上 (なんで知ってるんだろう……)

はい。ロンドンを拠点にイラストレーターの仕事をしています。カフェ「ローカルヒーロー」のカップデザインと壁画は、もともとアルバイトをしていたご縁で、お店リニューアルの際にお話をいただきました。普段は、イギリスのエージェンシー「Lemonade Illustration Agency」に所属しながら、ポストカードデザインや雑誌、書籍、ウェブ向けの挿絵デザイン、アニメーションのキャラクターデザインや背景作成など、イラスト関連の様々な仕事をしています。

── どれもかわいいわね。

map of London
ロンドン市内の有名観光スポットを描いた地図イラスト
カレンダー
井上さん作の2016年のカレンダー

井上 ありがとうございます。

でも、なんで私のことをご存じなのですか?

── ふふ、私はなんでも知ってるの。ねぇ、コーヒーを飲んでもいい? あなたがデザインしたカップで美味しいロンドンのコーヒーが飲みたいわ。

世界中のひとと友だちになれるかな?

── そもそも、なぜ15歳という若いときに、留学を?

井上 小さい頃から英語が好きで。英語を話せたら、世界中のひとと友だちになれるかもしれない、くらいの気持ちで中学生のときに留学を両親に相談しました。母は、若い頃留学したいと思っていたそうですが、一人っ子のために両親の反対にあい、叶わなかったらしく。それもあって、四人兄弟の長女の私が希望するなら、とOKしてもらいました。

井上希望

井上 イギリスの学校は9月入学なので、中学卒業後の3月から半年間はイギリス南部のニューイックという街で語学学校に通いました。その後は、イーストボーンというさらに南にある高校へ。

といっても、そんなにスムーズではなく、半年間の語学学習では高校の授業についていけるほどの英語力まで届かなくて、高校入学は11年生に入学するところ、1年繰り下げた、10年生からの入学を選びました。

── イギリスの英語は、速いわね。

井上 えぇ。それもあるのですが、理科や数学の授業を、全部英語で理解するのが本当に難しくて。同じ内容のテストでも、日本語で書かれていたら多少点数がとれそうな内容も、化学とかだと、何を聞かれているのかまず質問が読み取れない!(笑) 今では笑い話ですが、一度100点満点の小テストで0点を取ったときは落ち込みましたね……。

── あら。

井上 イギリスの高校はおもしろくて、卒業するまでに自分の学ぶ教科を4つくらいまで絞る必要があるんですよ。私は数学、化学、物理と、あとは美術をとっていて。

── なんだか美術だけ異色な気がするわね。

井上 そうかもしれません。数学や化学も好きだったのですが、大学に行ってからも学び続けるイメージが描けなくて。そこに、心はない、と思ってしまったんですね。

でも、小さい頃からイラストや漫画を描くのが好きで、高校でもデッサンや油絵の授業が好きでした。日本の高校に通ったことがないので分かりませんが、こっちだと高校の授業でもモデルさんがきて、生徒がデッサンしたり、自分でキャンバスを張ったりするんです。そういうのがすごく楽しくて、高校卒業後はアートの道へ。

── じゃあ、小さい頃からイラストレーターになりたい、と思っていたの?

井上 うーん、イラストレーターという言葉自体、中学生の頃に知ったくらいだったかなぁ。漫画家になりたいと思ったことはありました。でも漫画家って締め切りもすごく大変なイメージだし、自分でキャラクターを描いて、その上ストーリーも作らないといけないから、私にはできそうもないなと。

2005年にロンドンのキングストン大学に入学、イラストレーション&アニメーション科に進学しました。イギリスでは美大生は入学前の1年間は「ファウンデーションコース」という美大入学準備のための諸々を学ぶ制度があり、私はその1年でイラストグラフィック、フォトグラフィー、ファッション、3Dのモデルメイキングなどさまざまなアートの基礎に触れました。

大学ではたくさんのことを学べてとても楽しかったのですが、アート系の学生って就職先を見つけるのが大変なんですね……。

── そうなの?

井上 はい。日本もそうかもしれませんが、アート系学部の卒業生は、なかなか大変。と言っても賢い友だちは在学中に教員免許をとって、美術の先生になったりとか、イラストレーションではなくアニメーションを専門にした友だちは、そのままアニメ制作スタジオに就職先を見つけたりなどしていました。イギリスはアニメーションも活発なんです。でも、私はなかなか決まらなくて。

イラストで仕事をしたいという気持ちはありましたが、必死に職を探して、まずは先輩が働いていたテレビ制作会社のバックオフィスの仕事をすることに。

── へぇ……ねぇ、日本に帰って仕事をするという選択肢はなかったの? 私はロンドンがとても素敵だと思ったから、この街に残るという選択は何ら違和感がないように思えるけれど。

ビックベン
井上さんがよく休日に散歩するという、ロンドンのビックベンの風景

井上 いずれもしかしたら日本に帰るかもしれないとは思いましたが、そうだとしても一度ロンドンで働く経験は、マイナスにはならないだろうと思っていました。

だから最初の就職はロンドンで、と考えたのですが、気が付いたら、帰国しないままかなりの時間が経ってしまっていましたね(笑)。ロンドンは、住みやすくて、居心地が良いんです。いろいろな国籍・背景のひとがいるから、もともと混じっているのが当たり前。日本人だから寂しいという感情を抱くこともないですし、ロンドンで出会ったひとと結婚もしたので、そのまま。

── 結婚しているの?

井上 はい、インド出身の夫とこちらで出会って。なので時折インドにも行きます。

── いいわね……インドカレーは大好きだわ……。

井上 ロンドンのカレーも美味しいですよ。ぜひ食べてみてください。

私の絵が必要なひとはいませんか

井上さんが手がけた書籍の表紙イラストや、付録デザインの例
井上さんが手がけた書籍の表紙イラストや、付録デザインの例

── イラストレーターって、どうやったらなれるの?

井上 大学卒業が2008年、現在のエージェンシーに所属したのが2011年。イラストレーターとしての仕事が軌道に乗ったのはエージェンシーに所属してからですから、やっぱりどこかに所属するのがいいのかもしれませんね。今のエージェンシーは大きくて、約100名ほどのイラストレーターが所属しています。それまでの3年間は、アルバイトをしながらかなりもがいた期間でした。

── イラストレーターとしての一番最初の仕事は何だったか覚えている?

井上 もちろん……! 美大卒業後すぐのことで、個人出版の方の絵本にイラストをつける、というお仕事でした。学生の頃のクラスメイトがその方の本の絵を描いていて、私を紹介してくれたのがきっかけでした。

その後は、自分の空いている時間に絵を描いて、カフェなどのスペースを借りて展示したり。書き溜めた絵をエージェンシーに送って、仕事があれば連絡をくださいというアピールも、その頃から始めました。Eメールで返事がこなければ、封筒にサンプルを入れて送ったりしたことも。

アメリカ在住の女性から依頼を受けて描いた、アダムとイブ、ペアの動物たちのイラスト
アメリカ在住の女性から依頼を受けて描いた、アダムとイブ、ペアの動物たちのイラスト

── ふぅん。やっぱり、そういう努力の時期って、誰にでもあるのね。今は、イラストレーターの仕事一本で生きている?

井上 はい、と言っても本当に波が激しい仕事なので、イラストの仕事だけに絞ることができたのはここ半年くらいの話ですね、正直なところ。

── 分かるわ、フリーランスの宿命よね。

井上 今は、エージェンシーに所属しながら、そこ経由でお仕事をいただくことが多いですね。イラストレーターのエージェンシーはあまり馴染みがないかもしれませんが、芸能事務所をイメージしていただくとわかりやすいと思います。作品やプロフィールを登録して、得意分野などを伝えておくと、案件ごとに依頼がくるシステムで、ブランド『キャス・キッドソン』の書籍の付録デザインなどの大きな仕事は、やはりエージェンシー経由でいただきました。

あとは、日本には「イラストレーション・ファイル」という名のイラストレーター名鑑があり、2年ほど前からそこに載せていただいています。なので、日本の仕事はその名鑑経由で依頼いただくこともありますね。雑誌『MORE』の挿絵もそこからのご縁です。

── そんなものが……。ねぇ、この絵本かわいいわね。

イスラエルの絵本にあてたイラスト
イスラエルのジラさん作、絵本『おじいちゃんの天国』のために描いた挿し絵

井上 ありがとうございます。これは、一番思い出に残っている仕事です。私は自分の作品をサイト「nozomiinoue.com」にアーカイブしているのですが、そのサイト経由で、4年前にイスラエルから突然1通のメールがきたことがあって。

── うん。

井上 「ストーリーは出来上がっているのだけど、どうしても気に入ったイラストレーターが見つからない。1年ほどずっと探していて、やっとこのひとだと思えるひとを見つけました。井上さん、私の絵本の挿絵を描いてくれませんか」という内容でした。とても、うれしくて。

── それは泣いて喜んでいい話ね。

井上 そう、本当にうれしかった。その後は2ヶ月ほどかけてイラストを描いて。出来上がりった絵本を初めて見たときは感動しましたが、何せヘブライ語が全然読めないので、それはちょっと残念です(笑)。

── いいわね、絵って、歌と一緒で国を超えて伝えられるものがある。たまに文字を書いていると、もどかしくなるときがある。私も歌ったり描いたりしたいわ。踊ろうかしら。

誰とも比べずに、私の仕事を人生を楽しめる日がくるように

井上さん

── これから先、何をしたいと思っている?

井上 イラストレーターとしては、もっと安定してお仕事をいただけるようになって、依頼していただいた方に満足してもらえるひとになること。あとは、夫の出身国・インドなどって、まだまだ字が読めなかったりとか、家庭の事情で学校に通えなかったりする子どもがいます。そういった子どもたちのために絵本を作って、知識を得たり世界を知ってもらったりできるようなチャリティの仕事ができたら良いなと思っています。

……あとは、ほかのひとと自分をあまり比べないようになりたい。

── 比べない?

井上 イラストを描いていても、どうしてもほかのひとと自分を比べてしまうことがあるんです。でもそれって、意味がないし進歩もない。自分が自分のことを好きになって、どう過去の自分と比べて変われるかを考えるほうが、人生よっぽど楽しいなって。

たとえばfacebookで友だちや同業のイラストレーターさんが幸せそうに暮らしているのを見て、羨ましいなって思うこと、まだあります。でも、SNSってやっぱり切り抜きだから。いいところだけの切り抜きをみて、「あのひとはいまこんな人生を送っていて、いいな、羨ましいな」と思うよりも、今の自分の暮らしを見つめたほうが良い。いつかそんなことを暗に伝えられるイラストが描けたらいいなぁ。

── いいわね。ねぇ、そういえばイラストレーターって場所を問わずに働ける仕事な気がするのだけれど、ロンドンを離れようとは思わないの?

井上 じつはちょっと、今それを考えていて。

── そうなの?

井上 まだ分かりませんが、たしかにイラストレーターは場所を問わずに仕事ができます。私は紙に鉛筆でデッサンを描いて、本番はアクリル仕上げ。イラストによってはコラージュのこともありますが、仕上げはパソコンで行っているので、画材、パソコン、あとは高性能のスキャナーさえあればどこでも作業可能です。

夫がインド出身なので、インドでもいいですし、私の故郷の日本でも、もし気に入った場所があればほかの国でもいい。前に車を借りて夫と旅したイタリアのトスカーナ地方、大好きだったなぁ……。まだまだ分かりませんが、宿泊場所と朝食だけを提供するB&B(Bed and Breakfastの略)のような宿を経営しながら、訪れてくれたひととおしゃべりして、そこからインスピレーションを受けた絵を描いて、という暮らしにも憧れます。だからロンドンにこだわり続ける気持ちは夫婦ともにないですね。もちろんここも居心地がよくて特に出たいという気持ちにもならないので、なかなかきっかけが見つかりませんが。

── ふぅん。人生の選択肢は多いほうがいい。たとえひとつしか選べないとしてもね。人生は短い。選択した結果に納得感が持てるほうが、圧倒的に幸せに近づけると思うのよ。

【かぐや姫の胸の内】もし明日月に帰ってしまうとしたら

── ねぇ、かぐや姫のお話って知ってる?

井上 もちろん! 15歳まで日本にいましたから。

── かぐや姫は、最後月に帰ってしまうじゃない。もしあなたが明日、月に帰らなければいけないとしたら、最後の日は何をする?

井上 ふつうかもしれないけど、家族と一緒にご飯が食べたいです。そのときは何を食べよう。イギリスの料理か、インド料理か、日本食かは分からないけれど。お世話になったひとたちに会いにも行って。幸せな食事の時間が持ちたいな。

── ありがとう。ロンドンは素敵な街だし、この街で思い思いに生きている女性に会えてうれしかった。ポストカードをひとつ買うわ。日本に持って帰るわね。あなたの絵を見るたびに、あなたとロンドンを思い出す。あなたのイラストがより多くのひとの目に止まることを私もこれから願っているわ。

― 立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花 ―

お話をうかがったひと

井上 希望(いのうえ のぞみ)
小さい頃から絵を描くのが大好き。英語をもっと話せるようになって、色んな人と出会いたい、と2000年に渡英。語学学校、現地の高校を卒業。在学中にアートを専攻しようと決心。その後、ロンドンのキングストン大学でイラストレーション&アニメーションを学ぶ。卒業後、アルバイトをしながら展示や作品制作をし、活動の場所を広げていく。優しい色づかいで心温まるイラストを描く。現在は、雑誌の挿絵や絵本の挿画、パッケージデザイン等、幅広い分野で活動している。ロンドンを拠点に、イギリスに留まらず、イスラエル、アメリカ、日本のクライエントとも仕事をしている。公式サイトはこちら。Twitter:@nozomiorange、Facebook:NozomiInoueillustration

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探求者

伊佐 知美

旅するエッセイスト、フォトグラファー。1986年生まれ、新潟県出身。世界中を旅しながら取材・執筆・撮影をしています。→ さらに詳しく見る

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【かぐや姫の胸の内】彫刻と食器、好きだからどちらも続けていく|アーティスト 舘林香織 in London, UK 【かぐや姫の胸の内】“バリで生きる”と決めて早17年、私は今日も元気です|「sisiバッグ」生島尚美 in Indonesia, Bali

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