営みを知る

【かぐや姫の胸の内】人生を明るく照らすのはいつだって自分自身-ポルカウスキー陽子 in Kuala Lumpur, Malaysia

【かぐや姫の胸の内】多様な生き方が選べる現代だからこそ、女性の生き方を考えたい──

ここは、都会の喧噪から引き離された知る人ぞ知る老舗スナック。
夜な夜な少なの女性が集い、想いを吐露する隠れた酒場。

確かに近年、女性が活躍する場は増えて来たように私も思う。

自由に生きていい。そう言われても、

「どう生きればいいの?」
「このままでいいのかな」
「枠にはめられたくない」

私たちの悩みは尽きない。

選択肢が増えたように思える現代だからこそ、
多様な生き方が選べる今だからこそ、
この店に来る女性の列は、絶えないのかもしれない。

ほら、今も細腕が店の扉を開ける気配。
一人の女性が入ってきた……

連載 今を生きる女性の本音「かぐや姫の胸の内」
第15回目となる今回は番外編。マレーシア・クアラルンプール在住の現地通訳・ライフコーチのポルカウスキー陽子さんを国を越えて訪ねます。

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旅暮らし系ライター佐野知美の世界一周さんぽ vol.1~マレーシア・クアラルンプールへ~

マレーシア・クアラルンプールにて陽子と

ポルカウスキー陽子さん

── こんにちは。クアラルンプールには初めて来たわ。

ポルカウスキー陽子(以下、陽子) こんにちは、マレーシアにようこそ。クアラルンプール、良い街でしょう。

── あなたはなぜ、この街で暮らしているの?

陽子 うーん……家族がいるから、でしょうか。私の旧姓は江頭陽子で、横浜生まれ山口県育ちの日本人です。ポルカウスキーはアメリカ国籍を持つ夫の姓。2002年に日本で出会って、2007年に結婚。アメリカのミシガン州で3年弱暮らした後、夫がクアラルンプールで仕事に就くことをきっかけに、2010年に夫婦でマレーシアに移住してきました。

現在マレーシア在住歴は6年。いまは5歳になる息子と3人でクアラルンプールで暮らしています。

── お仕事は、なにを?

陽子 現地の日英通訳とイベント企画、あとはライフワークとして「CROSSING」という名前のコーチング教室を主宰していて、イベント企画もしています。

ポルカウスキー陽子さん

── ふぅん……。あなたと出会ったのは、クアラルンプールのフラワーアレンジメント教室だった。

陽子 そう、現地のひとしかいない中に、ひとり旅行者風の女性がいるから正直ちょっとびっくりしました(笑)。

── 楽しかったわ。で、なぜ私はあなたの家に泊まっているのかしら。

陽子 さぁ……なんだか、いいひとかなって思って。私もそうやって、いろいろなひとに助けてもらいながらここまできたから。家がないなら来なさいよって思っただけです。

── へぇ……ありがとう。ねぇ、そのいろいろって部分を、ちょっと話してみない?

陽子 そうですね、夜は長いし。私、こっちにきてたくさんのビールを飲んだけれど、シンガポールの「Tiger」ビールが一番好きなんです。「Tiger」でいいですか?

── いただくわ。

在住6年目の陽子が語る、愛すべき街・クアラルンプールの魅力

クアラルンプール

── クアラルンプールってどんな街なの?

陽子 多様性のある街、ですね。一言で言い表すのはとても難しいけれど、私はこの街が好きだし、もっとこの街を楽しめるひとが増えたらいいなって思います。マレーシアの国教はイスラム教。マレー系、インド系、中国系、それに加えてマレー・インド系やマレー中国系など、暮らす中で愛が生まれて、国を越えて血縁関係を結んだひとたちのコミュニティも多くあります。ニョニャ料理やプラナカン文化などは、その代表例です。

言葉も多様。でも、多数の言語や文化・背景が混在する国だからこそ、クアラルンプールの街に限っては英語が広く通じます。クアラルンプールを一歩出たら、ちょっとまた事情は変わりますが……。

── そうね、街中、特に観光地を歩いている間は、むしろマレー語を聞くのが難しいくらいに感じたわ。タクシーの運転手も、軒並み英語が話せる。

クアラルンプールの町並み
クアラルンプールのチャイナタウンの街並み

陽子 クアラルンプールは公共の交通機関も発達しているから、女性ひとりでもたしかに旅はしやすいかもしれません。でも、まだひったくり被害や時には誘拐なんて事件も耳にすることがあります。夜道は一人で歩かない、車やバイクには気をつける、バッグはしっかり持って歩道の端を歩くなど、最低限のことに注意を払って旅をした方がいいかもしれないですね。

── ふぅん、気をつけるわ。そういえば、この街はご飯がとても美味しいわ。私は、「ナシ・レマ」や「ラクサ」、「ホッケンミー」が好きだった。でも「チェンドル」やチャイナタウンなどにある「漢方亀ゼリー」なんかも、嫌いじゃない。

ナシ・レマ
「ナシ・レマ」
チェンドル
「チェンドル」

陽子 いっぱい食べましたね(笑)。観光地として有名なペトロナス・ツインタワーの周辺のショッピングモールを歩いても楽しいですし、イスラミック・アートミュージアムのような美術館も興味深いです。宗教、歴史、観光、食事……クアラルンプールは時間が経てば経つほど、おもしろみを感じられる街だと思います。

違う国で暮らし続けていくことは簡単じゃない

── 日本、そしてアメリカの生活から、クアラルンプールへ。戸惑うことはなかった?

陽子 そりゃあ、ありましたよ(笑)。お国柄は違うし、仕事は何をすればいいか分からないし、何よりクアラルンプールに来てから出産したので、困ったこともたくさんありました。でも嘆いていても仕方がないし、私にとってのドン底時代はマレーシアではなくむしろアメリカ生活時代だった気がするので、それに比べたら、全然ましだったかな?

クアラルンプール

── 山口県にいた頃から、海外で暮らしてみたい、国際結婚したいという気持ちがあった?

陽子 いや、まったく。私は高卒なので特に学歴が高いわけでもないし、英語能力もゼロ。高校を卒業して数年地元の美容部員として働いた後、NHKの関連会社で社員として働きました。その時に、偶然英語教師としてアメリカから山口県へ派遣されてきた夫・ティムに出会って。長いお友達付き合いから発展して交際に至り、諸々あって結婚することに。

── ……かなり端折ったことは伝わってくるけれど、わかったわ。英語はどこで身につけたの? ずいぶんと流暢に話しているようだけれど。

陽子 結婚して渡米する前に、地元で知り合った外国人と交流しながら、独学で。

でも、渡米した先のミシガン州・アナーバー市には、日本で言う東大みたいな、クレバーなひとたちが集まる大学があって、それこそ日本人でもトップクラスに英語を操ることができる日本政府から派遣された外交官とか、優秀なひとたちがたくさん暮らしていました。

そのひとたちの英語を聞いたら、もう自分なんてダメダメだなって。ちょっとでも英語が話せると思い上がっていたのが恥ずかしくなるくらいで……。

ティムは久しぶりに帰ってきた地元で楽しくて仕方がなかったようで、自分の好きなアメフトの試合がいつでも見られる年間パスチケットを買ってくれたりしたんですが、英語は聞き取れないし、アメフトのルールはそもそも分からないし、アナーバーは1年の半分以上が冬みたいなところですから、寒くて、辛くて……。あ、いいところですけどね、アナーバー。

でも、そんなこんなで、渡米したときの年齢は29歳。若かったこともあって、毎晩「日本に帰りたい」とティムに泣きつくような、どうしようもない困ったちゃんでしたね。

── そんなあなたが、なぜアメリカで楽しく笑って過ごせるようになるのかしら?

ポルカウスキー陽子

陽子 うーん、多分きっかけは、アメリカで暮らし始めてくすぐに日本食レストランで働き始めたこと。落ち込んでいたときに、偶然入った日本食レストランの店主がいいひとで、久しぶりに楽しい時間を過ごせたなと思ったので、その日の夜のうちにお店に連絡してみたんです。「私を雇ってもらえませんか」って。

── へぇ。

陽子 募集も何もしていなかったんですが、ちょうど人手がほしい時期ではあったようで、無事に採用。そこで働くうちに、英語を教えてくれる友達ができたり、常連さんと仲良くなったり。毎日を泣き暮らすんじゃなくて、自分から行動して毎日を楽しく彩っていこうと思えるように、思考がだんだんと前向きになっていったのはこのあたりからだったと思います。もとから明るい性格ではあるのですが。

6ヶ月レストランで働いた後は、通訳や日系企業でアシスタントとして働きながら、夜間カレッジに通い、2年目からはアメリカを出るまで移民方弁護士事務所で弁護士の補助をするパラリーガルとして働いていました。

── ふぅん……で、そんな暮らしを3年弱続けた後、あなたたち夫婦はクアラルンプールに移り住むことになるのね。寂しくなかったの?

陽子 じつは、結婚当初、ティムは学生だったんです。山口県で約5年英語教師を務めた後、アメリカの大学院に戻って、MBAやMPP(*1)などの修士をとるための勉強をしていました。クアラルンプールは、卒業後の彼の一番最初の勤め先。やりたい仕事が見つかったならと、私は手放しで賛成しました。

(*1)MBAはMaster of Business Administration の略称で経営学修士。MPPは公共政策修士でのことを指し、Master of Public Policyの略で専門職学位のひとつ。

私を変えた「High self-esteem」と「Chillax」

── ふぅん……コーチングに出会うのは、クアラルンプールにきてから?

陽子 そうですね。クアラルンプールでは最初主婦業をしていたのですが、やっぱり働きたいと日本の現地法人の広告代理店に就職。英語を使って現地と日本を結んで、クライアントを持って企画を作る手伝いをして……と比較的充実した生活を送っていたのですが、あるとき「今の英語力じゃこれ以上幅のある仕事はできない。もっと英語を学びたい」と思うことがありました。

── そうなのね。

陽子 そこで、会社を退職してフリーランスで働くことを視野に入れながら、英語力アップを狙うことに。そのとき出会ったのが「英語コーチング」だったんです。

── 「英語コーチング」?

陽子 英語をなぜ学ぶのかを考える、コーチングのことです。効果はひとそれぞれだと思いますが、私の場合は「なぜ英語を学ぶのか」、「何がしたいのか」、「そして今私は何ができるのか」という点がすごくクリアになりました。人生や仕事に対するやる気が向上するコーチングって素晴らしいと感じて、コーチを志すようになりました。

その後は2014年に広告代理店を辞め、フリーランスでクアラルンプールで行われる会議やイベントの日英通訳の仕事や、イベント企画の仕事をしました。その傍ら、ライフワークとして、おもに海外移住された女性を対象にコーチング業を始めました。

主宰のコーチングルーム「CROSSING」は2015年2月にスタートさせたので、やっと1年と少し経ったところですね。

ポルカウスキー陽子

── ふぅん……。辛いときにあなたを支えてくれるものは、なんだったのかしら。

陽子 なんだろう(笑)。分かりませんが、私は本当に「ロー・セルフ・エスティーム」だったんですね。

── ローセルフ……?

陽子 「Low self-esteem」。自信がない、自己肯定感が低いひと、と思ってもらえればよいです。でも、人生を生きるには「High self-esteem」の方が、断然楽しい。自分は何もできないとか、どうせダメなやつと決めているのは、もしかしたら世間ではなくて、自分自身や、過去の経験かもしれないんです。

── あぁ、それは分かる気がするわ。何かを始めるときにストップをかけているのは、ほかでもない自分だということがある。

陽子 そうそう。日本を飛び出した先、アメリカでそのことを学びました。世の中には、なんて「High self-esteem」なひとが多いことか。

そしてクアラルンプールでは、「オッケーラ~(OK lah)」って、みんな言うんです。「いいよいいよ、気にしないで」みたいな意味で、「ラ~」って。

── ふぅん。たしかに街中で「OK lah」という看板を見かけた気がしたわ。

陽子 日本人も、日本の風習も大好きです。でも、こうやって日々いろんな国のひとを見ていると、日本人は自分の可能性を自分で狭めてしまっているのではないかしら、と思うこともあるんです。

私自身が昔そうだったから。だから今はコーチングという職業に就いて、駐在の夫について来て、自分の人生のハンドルを握れていない、これからも握れないかもしれないと心の奥底で感じる女性に、自分の強みに気付いて、自分をもっと生かして楽しく海外で生きる方法を探してほしいと活動しているのかもしれません。

陽子さんの旦那さん・ティムと息子さん
陽子さんの旦那さん・ティムと息子さんのユマくん

陽子 あ、そうそう。それと、ティムはいつも、「Chillax(チラックス)」なんです。

のんびりするという意味の形容詞の「Chill」と、リラックスするという意味の動詞の「relax」を掛けあわせた造語。私はその正反対でせっかちな性格だから(笑)、彼を見ていると、私ももっとおおらかに生きてもいいのかなって感じます。

── へぇ……日本の外の風が、あなたの心を少しずつ変えていってくれたのね。

陽子 楽しいですよ、海外での暮らしは。自分の暮らしは自分でつくっていけるんだという気概さえあれば、どこでだって自由です。大変なこともあると思いますが、いつも「チラックス」と「オッケーラ~」を思い出して、気長に頑張る。肩肘張って全力を尽くすことだけが「頑張る」ではないときがありますから。

【かぐや姫の胸の内】いつか月に帰ってしまうとしても

── かぐや姫は月に帰ってしまった……。もしあなたが、明日月に帰らなければいけないとしたら、どうする?

陽子 え? 月ですか? そうですねぇ……。私、旅行がとても好きなんです。ティムと息子のユマとも、年に3回くらいは海外旅行に出かけます。今年は年初にオーストラリアへ。その前は、バリ島の隣のロンボク島へ。昨年は家族で、キャンピングカーでアラスカを3,000km旅しました。5年前には、アメリカ西部(アリゾナ、ユタ、ネバダ)に3人でロードトリップに行きましたが、それは人生観を変える旅でしたね。

クアラルンプールはいろいろな都市への直行便が出ているから、移動もしやすいんです。だから、明日がもし地球最後の日だとしたら、家族と一緒に旅行に行くかな。ユマという名前は、アメリカの小さな街の名前でもあるんです。その街は「the sunniest place in the world」と言われていて。日本語だと「日照時間が一番長い」という意味になり、私の名前が「陽子=Sun」なので選びました。だから、もしかしたらそこへ行くかもしれない。

どの道、きっとどこかへ行きますね。ここに留まらずに。

── ふぅん……いいわね。私も、まだもう少しここに留まらずに違う場所へ行きたいわ。話を聞かせてくれてありがとう。また地球のどこかで、会えたらいいわね。

陽子 なんとなくだけど、また会えると思う(笑)。さて、そろそろ寝ましょうか。「Tiger」ビールもなくなってきたことだし。

― 立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花 ―

クアラルンプールの夜景

お話をうかがったひと

ポルカウスキー陽子さん

ポルカウスキー 陽子
マレーシア・クアラルンプール在住。フリーランスの日英通訳、ライフコーチ(NLPプラクティショナー)、イベントオーガナイザーとして活動。「コーチングルーム CROSSING」主宰。同い年のアメリカ人で励まし上手な夫と5歳のわんぱく息子の3人暮らし。趣味は食べること、旅行、読書、ブログ、お酒を飲むこと。座右の銘は、『小さなことからコツコツと、出来ることから少しずつ』。ブログ「CROSSING 陽子 in クアラルンプール

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伊佐 知美

旅するエッセイスト、フォトグラファー。1986年生まれ、新潟県出身。世界中を旅しながら取材・執筆・撮影をしています。→ さらに詳しく見る

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【かぐや姫の胸の内】生花の美しさと楽しさを、マレーシアに伝えたい|「HIBANA」CEO小倉若葉 in Kuala Lumpur 【かぐや姫の胸の内】結果的に誰かを救ったとしても「私が救った」と思うことは永遠にない-「未来食堂」小林せかい-

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