語るを聞く

【かぐや姫の胸の内】職人の瞳に恋してる - 伝統産業女優 村上真希 -

【かぐや姫の胸の内】多様な生き方が選べる現代だからこそ、女性の生き方を考えたい──

ここは、都会の喧噪から引き離された知る人ぞ知る老舗スナック。
夜な夜な少なの女性が集い、想いを吐露する隠れた酒場。

確かに近年、女性が活躍する場は増えて来たように私も思う。

自由に生きていい。そう言われても、

「どう生きればいいの?」

「このままでいいのかな。」

「枠にはめられたくない。」

私たちの悩みは尽きない。

選択肢が増えたように思える現代だからこそ、
多様な生き方が選べる今だからこそ、
この店に来る女性の列は、絶えないのかもしれない。

ほら、今も細腕が店の扉を開ける気配。
一人の女性が入ってきた……

今晩のゲストは、造形作家、美容師、画家などの作り手一家に生まれ育ち、モデル・女優業を経て伝統産業女優の道を志すに至った村上真希(むらかみ まき)さん(以下、真希)です。

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真希 こんばんはー!

── こんばんは。待っていたわ、あなたが噂の真希さん……ね?

はい! 予約した「伝統産業女優の村上真希」です。職業付きで予約しちゃって、すみません。

── 最近お店に来たお客様が「今、伝統産業女優がアツい!」と豪語しているのを聞いてから、ずっと会える日を楽しみにしていたの。ようこそ、真希さん。

それはうれしいです。でも、アツいと言っても私が自分の職業を伝統産業女優と定めたのは、つい最近のことなんです。走り出しの段階で必死だけど、私はこの道で生きていくことを決めました。決めたというか、もう私にはこの道しかない。これまでの人生で重ねてきたモデル、女優の経験、そして母から受け継いだ伝統工芸品とその担い手に対する愛。それらが交差するところが伝統産業女優なんです。

── 「伝統産業」「美しい人」「30代」……。なんだか、新しい道が開けそうな条件が揃っているわね。そして何より笑顔がいい。芋焼酎の水割りが好きだと聞いたわ、なかなか飲める口ね。まずは座って、お飲みなさい。

「伝統産業女優」として生きていきたい

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── 真希さんが伝統産業に興味を抱いたきっかけはなぁに?

はい。伝統産業と関わる仕事をしたいという想いは、ずっと昔から持っていました。秋田出身の母親が伝統工芸品が大好きだったので、家の中は手作りの器や桐箪笥、毎年贈られてくるこけしなどで溢れていて、小さな頃から身の回りにあるのが普通の生活。

母は作り手の方から、ものができた背景やこだわりを聞いて購入していました。母づてにその職人さんの想いを聞くと、それまで感じていた愛おしさが倍増して、もう胸の奥がきゅんと締め付けられるような気持ちになる。伝統工芸品にはずっとそんな想いを抱き続けてきました。

── ふぅん。伝統産業女優って、具体的には何をするお仕事なのかしら。伝統産業も分かるわ。女優も知ってる。でも、その言葉を掛けあわせた職業は、いくら私と言えども初めて聞いたのよ。少し悔しいわ。

(悔しい?)

私は、日本各地に脈々と受け継がれてきた伝統産業や職人さんにまつわる「物語」を伝える架け橋になりたいんです。これまで、伝統工芸品や伝統芸能、伝統文化などにそこまで親しんでこなかった現代の若い世代の人や、もっと言えば海外の方々に、その素晴らしさを知っていただくためのきっかけ作りがしたい。

その方法は色々考えられると思います。映画やCMを始めとした映像で発信したり、実物に触れることのできるイベントを企画したり。私もまだ知らない産地の魅力を活動と共に体感して伝えて、伝統産業の認知度を広げたいと思っています。

おこがましいことを言えば、これから伝統産業に関わる映画やCM製作などの企画が持ち上がった時、「それなら村上真希だろう!」と言っていただけるくらいになりたいと思っています。

── いいわね。真希さんが主演をつとめた、富山県高岡市を舞台とした「ニッポン・ローカルショートムービー『すず』」を観たことがあるの。じゃあ、あれも伝統産業女優の仕事の一貫と言えるのね。

ありがとうございます! はい、そうですね。菱川勢一監督の『すず』は色んな意味で私の転機となった映画です。

富山県高岡市を盛り上げようという想いで、監督やプロデューサー、役者はもちろん、地域の方や職人さんが一体となって作り上げた作品なのですが、これまでのモデル・女優経験の中であの現場ほど鳥肌が立ったことはなかった。

撮影をしている間ずっと「私がやりたいのはこれだ、これなんだ!」と心が震えるのを感じていました。伝統産業女優になりたいという志を、確固たるものにしてくれた映画だと思っています。

── 他にも作品があるなら、観たいわ。普段の真希さんも好きだけど、演技をしている時のあなたはもっと好き。

うれしいです。近日公開予定の宮崎県児湯群新富町が舞台で、壱岐紀仁監督の落語と御神楽を題材にした映画『ねぼけ』や、福井県鯖江市の『恋の手本』など、地域の魅力を発信することがテーマの1つである作品には積極的に出演させていただいています。

── 今度観るわ。伝統産業女優としての活動の目標は何?

先ほど申し上げたことと重なりますが、伝統産業に興味を持っていない人たちに、伝統産業や伝統工芸品、そしてそれが生み出される地域の魅力を伝えることです。

伝統産業って、私が生まれる前から脈々と受け継がれてきた大切な歴史で、私が死んだ後もずっと繋がっていくものです。素晴らしいものはたくさんあるのに、知らないだけでその魅力を知らずに過ごしてしまっている人がいるのがもったいない。伝統産業の魅力を伝えた先に、「私もやりたい」「作ってみたい」と思ってくださる担い手の方が出てくるくらいまでなれたら最高ですね。

簡単に言うと、伝統産業界のアイドルになりたいです(笑)。役者は死ぬまで役者だと思っているので、私も死ぬまで伝統産業のPRをしていきたいですね。

── なるほど、いい仕事ね。でも、人生には悩みと挫折が付き物。あなたがこの道を歩み始めるまでの、軌跡を教えてごらんなさい。少しだけ、迷いと悲しみの跡が見えるのよ。

演劇、料理、モデル……紆余曲折の20代を経て

村上真希

── 演じることに興味を持ったのは、いつ?

物心がつく前からみたいです。3歳の頃はすでに母親の鏡台に向かって、1人で歌ったり演技したりしていたと聞いています。舞台の上下を決めて、出たり入ったりしながら「なんでなのよ」とセリフを言ってみたり(笑)。

演劇に対する思いを拡げたきっかけは、小学校二年生くらいの時に母親と観に行ったミュージカルの『ピーターパン』。今でもはっきりと思い出せるのが、榊原郁恵さんが舞台を飛び出して私の頭上を飛んでいるシーンです(笑)。

今考えればそれっていわゆるワイヤーアクションなのですが、当時の私は「女優って飛べるんだ!」と思ったんです。違う人生や違う自分になれる可能性に、幼心にわくわくしたのだと思います。

小学校に入ると、季節の行事としてクラスで演劇をやる機会が増えました。私はそれが楽しくて仕方がなくて、自分で物語を考えて作文用紙にシナリオを書いて、配役して演じてというのを率先してやっていました。

昔から演技も好きだったけれど、作ることも好きだったから料理の道へ進もうかと思ったこともあります。

でも19歳の時に、親戚の紹介でモデルのナオミグレースさんに出会ったんです。彼女は今はシャンソン歌手ですが、当時はモデルとして活動されていて、スカウトしていただく形でモデルの世界に入りました。

確かに昔から身長が高くて、それをとてもコンプレックスに思ってはいたのですが、私は全然きれいじゃないし、もさっとしてて、自分がモデルになれるなんて思ったこともなかった。だから、なれるのものならなってみたいという気持ちで。

── あなた、きれいよ。若いし。

いや、ほんとにもさっとしてたんです。

── 昔の写真ないの?

今度持ってきます。本当に全然垢抜けない女の子だったんです。

── ふーん……。あ、そう……。で、事務所に入ったりしてモデルの活動を始めたのね。

そうですね。それなりに上手くいっていた気もするのですが、私は売れたいという気持ちが少し弱いのか、自分にあまり自信が持てなくて。

どうしようかと迷った結果、新たなステージを求めて事務所の移籍を検討することにしました。その頃です、母が末期の癌だと分かったのは。

焦りました。いなくなるって1ミクロも信じられなかったんですが、でも形にしなきゃと必死で急がなきゃと思ったんです。モデルとして何か形を残さなきゃ、母にきちんと伝えなければと思って、事務所のオーディションを受けて希望の事務所に合格したことを告げた後に母は亡くなりました。

── そうだったのね……。

それからの私の支えとなったのは、モデルとして自分が売れたいというよりも、村上真希という名前が世の中に出ることで「あぁ、あの村上恭子さんの娘ね」と母を思い出してくれる人がいるかもしれないという想いでした。

私が仕事に本当に打ち込むようになったのはこの時だったのかもしれません。母をいなくなったものとしたくない。モデルを始めてから4年、23歳の時のことでした。

転機は「演じること」との再会

村上真希

── モデルの仕事と女優は別物よね。なぜ女優を目指そうと?

その後モデルの仕事を続けるうち、転機となったのは「芝居を学びたい!」と思った出来事、言わば「役者の仕事との再会」でした。

たまたま同じ事務所のモデルの方と同じCMオーディションを受ける機会が同時期に幾度か重なり、毎回彼女が選ばれるという現象が起こったんです。同じような背格好なのに、何がそんなに違うんだろう……。答えが知りたくなった私は、「壁に耳を付ける戦法」を遂行しました。

── ……最後だけ意味が分からないわ。

オーディション会場と控室が、たまたま隣り合わせのオーディションがあったんです。控室には他に誰もいなかったので、壁に耳をぴったりと付けて、何か学べればと思ったんです。必死です。そしたら、その子は声だけで分かるほどに「演技ができていた」んです。

……あれ? と思いました。演技は私が小さい頃から好きだった、得意としてきた分野じゃないか! と。その子はもとからの素質でそれができているようでした。であれば、私はその能力をもう一度きちんと学んでみようと思ったんです。演じることを学んで、身に付けて、それを強みにしてやっていこうと。

事務所に黙って役者の養成所を探して、「アクターズクリニック」という養成所に通うことを決めました。

── すごい行動力ね。

行動力は、私の数少ない取り柄です(笑)。養成所に通い始めてからは、芝居がどんどん楽しくなっていきました。

モデルはかっこよく歩くことが仕事だったりしますが、芝居だと「そんなにきれいに歩かないで」と言われる。「落ち込んでいるシーンなんだから、そんな背筋は伸びていないはず」と。

心の向くまま感情を出すトレーニングも心の底から楽しかった。3歳の頃から鏡台の前で1人で楽しんでいた感覚が戻ってきました。つんとすまさなくていいんだ、感情を出していいんだ。泣いていい、笑っていいんだ。それまでモデルとして積み重ねてきた、私の中の思考や感情の回路が少しずつ変わっていくのが分かりました。

そうやってモデルと女優の道を進んでいた先に巡り会えた仕事が、全世界10カ国の映画祭で上映された、完山京洪監督作品の『シーソー seesaw』でした。これが、私にとって初主演の映画。完山監督との出会いは本当に大きな出来事で、そこから女優人生が始まったと言っても過言ではないほどの影響を受け、また自信もいただきました。とても感謝している方の一人です。

そして、その仕事を通じて出会ったのが、映画『すず』の菱川勢一監督でした。

伝統産業に関わる仕事ができることが幸せ

村上真希

── あなたの話を聞きながらずっと思っていたの。真希さんは、職人になりたいとは思わないのかしら?

思いません。と言いたいところですが、極論を言えば、もしかしたら私はいつか職人になりたいと思って生きているのかもしれません。だから、いろいろな工場や展示会に行って「すごいなぁ愛しいなぁ」って言いながら、どこかでうらやましい気持ちを持ったりしているのかもしれないですね。

でも、私は伝統産業や職人さんのことが好きすぎるんです。職人を目指すと公言することは、私にとっては「神の領域に踏み込む」みたいな感覚もあるんです。今は伝統産業に関わるお仕事ができることだけで幸せだなと思っています。

── 真希さんがいつか職人を志しても、それはとても自然な流れだと感じるわ。でも、真希さんは職人と結婚するという選択肢もあるじゃない。それはどうなの?

もしもらってくれる人がいるのなら(笑)! でもよく友達に「真希は早く嫁に行け。いい嫁さんになるから」って言われます。私、一人の人を好きになると、その人以外の男性は見えなくなってしまうんですよね。

でも、20代の終わりに大失恋もしました。他の生き方もあるかもしれないと思って、一般企業に事務職として就職したこともあります。色々な経験をした上で、やっぱり私は自分の好きなこと、女優として、そして伝統産業に関わる者として生きていきたいと思いました。だから、結婚ももちろん魅力は感じるけれど、まずは自立した女性でありたいです。

── 私も昔、人生を共にしようと約束した人がいたわ。今もその人のことは大好きだけれどね。人生を寄り添わせるのかは、また別の問題ね。独りだからこそ分かることも、世の中にはきっとある。

地域と世界をつなぐ「伝統産業女優」の第一人者を目指して

村上真希

── 真希さんが夢を叶えるために、足りないものはあると思う?

ひとつ、決定的に足りないものがありますね。私は、好きなことや熱中することになると、表現することが先行しすぎてお金の話を後回しにしてしまうんです。ビジネスとして考える能力が足りないのかな……?

── それは真希さんのいいところでもあるわ。あなたを見ていると元気になるし、一緒に何かやりたいと思うし、そして何より応援したくなる。

ビジネスの面は、そうね……。プロデューサーを見つけなさい。お金や未来を示してくれる味方がいたら、あなたはきっと最強よ。でも大丈夫、あなたは絶対に成功するわ。

嬉しいです。私は昔からコンプレックスの塊だったんですが、伝統産業女優と名乗ることで、得意分野に関われるという意味で自分に自信が持てるようになった気がします。

私が19歳でモデルを目指したということも、もしかしたら世間一般で言えば決して早い方じゃなかったのかもしれません。でも、何かを始める時に遅いことなんてないと思うんです。年齢なんて関係ない。人生は一回きりですから、大切なのは前を向いて、全てを差し置いてでも、がむしゃらになれるものを見つけること。見つけて動き出せた時って、誰にも負けない最強な時だと思うんです。

── あなたには、孤独感はあんまりなさそうね。

あはは、そうかもしれないですね。孤独……考えたことがないです。作り手って製作中は一人の世界に没頭しますよね。家族がそうだったから、幼い頃から孤独に慣れているのかもしれません。

── 真希さんは、伝統産業女優以外に夢ってあるのかしら。

そうですね……。夢はとにかく伝統産業女優として生きていくこと。それから、私は母をとても尊敬しています。友達のようで、道徳心に関してはとても厳しく、正義の味方のように強くて思いやりがあり、やられたらやり返す精神で育てられました(笑)。そんな母親になるのも、私にとっては母が亡くなってから強く想い描いている夢です。

あとは、私の両親は昔、60歳を越えたら2人で山奥に窯元を作って、陶芸をして暮らそうと約束をしたそうなんです。母が亡くなった今、父のその願いを叶えられるのは私かなと思っていて。だから、山にこもって陶芸をしながら東京に出てきて……という暮らしができたら最高にいいなとも、ぼんやり思い描いたりしています。

ということは、私はやっぱり職人というか作り手になりたいんですね、きっと(笑)。今自覚しました。

── いい未来ね。

【かぐや姫の胸の内】いつか月に帰ってしまうとしても

── 最後に1つだけ聞かせて。かぐや姫は月に帰ってしまった……。真希さんがもし、明日月に帰らなければならないとしたらどうする?

ええっ、実現不可能なことでもいいんですよね。父親、兄、祖父に祖母に、亡くなった母親、死んだ愛猫のトラ、仲良くしていただいている職人さん達、特に高岡の職人さん達や各産地でお世話になった方々……大好きな人たちをみんな読んで、一夜の「真希姉Bar」がやりたいです。

── 「真希姉Bar」ってなぁに?

私は時々、飲食店を貸しきって、店主として来てくださった方をもてなす「真希姉Bar」という不定期イベントを主催しているんです。

最後の夜は、その「真希姉Bar」に大好きな人をみんな呼んで、母に大好物だった餃子を300個くらい作ってもらって、父の得意料理の「おとんのたまごサンド」と私が作る村上家の家庭料理を振舞って、富山県の日本酒「勝駒」や宮崎県の「白霧島」などお気に入りのお酒をたくさん買い込んで……。

大好きな人に囲まれてちゃんぽんして、記憶がなくなっている間に月に帰れたら最高ですね。

── 楽しそうすぎて混ぜてほしいくらいだわ。

ぜひ(笑)。

── あなたは家族と伝統産業、そして演じることが心から好きなのね。底抜けに明るくて、パワーがあって、しっかりと悲しみを乗り越えて。

伝統産業女優、いいじゃない。地域に散らばる素敵な魅力を、余すことなく日本中に、そして世界中に伝える女性になりなさい。たまには走りこむのよ。強い体が、強い心を作るって常連・絵美里が言ってたわ。

また、遊びに来なさいね。

— 立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花 

お話を伺った人

村上真希(むらかみ まき)

公式サイト:オフィシャルブログ「村上真希からのsignal☆
Twitter:@maki_murakamin
出演経歴:

  • 富山県高岡 伝統産業青年会40周年記念作品 菱川勢一監督作品 村上真希主演『すず』『すずのつくりかた』

  • 宮崎県児湯郡 新富町観光協会協力 壱岐紀仁監督作品 村上真希主演映画『ねぼけ

  • 福井県鯖江市制作 近松文学賞2013 受賞作品 村上真希主演『恋の手本』

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[取材日記]伝統産業女優・村上真希さんとの出会い|灯台もと暮らし|note(ノート)

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伊佐 知美

旅するエッセイスト、フォトグラファー。1986年生まれ、新潟県出身。世界中を旅しながら取材・執筆・撮影をしています。→ さらに詳しく見る

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【蔵前】【かぐや姫の胸の内】ごはんとくらし、本を愛する私たちの出版社「アノニマ・スタジオ」 【かぐや姫の胸の内】常に、見晴らしのよい場所を求めています。- 鈴木 絵美里 -

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